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スイスの中立性を探る「ベルジエ報告」から5年 ベルジエ教授にインタビュー

スイスでは知らない人はいない、ジャン・フランソワ・ベルジエ元チューリヒ連邦工科大学教授。 swissinfo.ch

1990年代半ば、アメリカのユダヤ人協会がホロコースト犠牲者のスイスの休眠口座にある預金の返還を求める集団訴訟を起こした。これを受けてスイスへの国際的批判が高まり、議会はジャン・フランソワ・ベルジエ教授が率いる独立専門委員会 ( ICE ) にスイスの第2次大戦中の中立性の調査を委託した。

2002年の3月に政府に渡された独立専門委員会の膨大な最終報告「ベルジエ報告」はこれまでの「スイスは中立性を守った」という伝説を覆す結果となった。

 ベルジエ報告の結論を受け入れるのは多くのスイス人にとって難しく、当時多くの論争が起こった。5年たった今、ベルジエ報告を振り返る。

 ベルジエ報告は第2次世界大戦中にスイス当局は少なくとも、およそ2万人のユダヤ人亡命希望者を追い返したこと、ユダヤ人の休眠口座の返済が滞ったこと、ナチスが売却した金塊の77%をスイスが購入し、実質上ドイツの戦費調達の助けになっていたことなどを指摘した。

 反対に、強制収容所に送られたユダヤ人護送車がスイスを通過したことはなかったこと、1933年から1945年の間、スイスの法律がナチズムに影響されず、ドイツの圧力に耐えたことなど肯定的な結果も明らかになった。 

 日本でも年末には独立専門委員会の要約版の最終報告が全訳される。出版元の京都大学学術出版会の編集者、鈴木哲也氏は「1国の近代史をこれだけの規模で徹底的に明らかにしようとする試みは稀有です」と語り、スイス人だけでなく、ドイツや東欧などの関係国も含めた120人近い研究者を動員したことや研究者の資料閲覧のために法律も変えたという事実に驚いたという。「日本でも歴史の共通認識が必要だと言われている時代に模範になる」と語った。

swissinfo:  ベルジエ報告で最も重要な発見は何でしょう。

ベルジエ : 全てが重要ではありますが、難民政策や金塊については前々から少し分かっていたことでした。個々の部分が大切というのではなく、現れてきた全体像が重要なのではないでしょうか。スイスはドイツと経済的に密接な関係にあり、ドイツに囲まれていたという事実です。幾つかの企業はこれに便乗し金儲けをしようとし、幾つかの企業はこのような状況下でも一定の距離を置くことができました。

もう一つ、重要な発見はスイス政府が弱腰だったということです。政府として真っ直ぐで毅然とした態度を取らず、銀行や鉄道など民営部門に責任をなすりつけてしまったのです。

swissinfo:  調査で印象が深かったことはなんですか。

ベルジエ : 驚いたのは私が想像していたより、当時のスイス人は反ユダヤ主義だったということです。暴力的なものではなくても、ユダヤ人移民に対する漠然とした反ユダヤ主義が存在していました。悲しかったのは調査中、親の知り合いだった人もそうだったと発見したときです。

swissinfo:  スイスに否定的過ぎるとの批判がありますが。

ベルジエ : 報告をよく読めば完全に否定的ではないと分かるでしょう。スイス人は他の国民と同じように弱点と長所を持っていたということです。これはスイス人が信じていた伝説的な姿でなく、人間的なスイスの姿なのです。

調査前は私自身も幻想がありました。しかし、歴史家は情報源を受け入れるしかありません。

swissinfo : 「ベルジエ報告」をスイス政府に委ねてから5年がたちます。その時の状況はどうでしたか?

ベルジエ : やっかいな大仕事の終わりに辿り着いたという大きな安堵がありました。それから、100人以上もの歴史家が携わっていたプロジェクトでしたので、みんなでやり遂げたという誇りもありました。これと同時に、何かやり残したという気持ちもありました。我々の任務でないけれども興味深い問題を棚上げしなければならなかったからです。例えば、当時の政治、経済、軍隊の決定機関の分析などです。

我々は皆まっとうな仕事をしたという確信がありました。もっと議論が行われ、卑怯な攻撃をされるかと思いましたが、そのようなことはほとんどありませんでした。

swissinfo:  スイス市民として現在のお気持ちはどうでしょう。

ベルジエ : まずは、政治家たちが私たちの遂行した任務に興味を示していないと分かって失望しました。もっとも、政治家たちが熱意を持って、この仕事を委託してきたのに、興味を失ってしまったために、当初、予定していた政治的議論が避けられました。

反対に、世論の方はとても深い関心を示しました。スイス人、特に若者は知る必要があったのです。報告終了後の数カ月間、数え切れないぐらいの議論が行われました。会場に入りきれないほど人が溢れて印象的でした。我々の仕事に関する展示もスイス中を巡り、大成功でした。

swissinfo : 当時のスイスの状況を考えるとそういった環境の中で仕事をするのは難しかったのではないでしょうか。

ベルジエ : 最初から最後までプレッシャーをかけられました。当初は調査を早く勧めるようにせかされたり、結論に影響を与えようというものでした。最後の方は困るような事実ははやまって出すなといった反対の圧力でした。

外国からの圧力は1998年の夏から突如、治まりました。ホロコースト犠牲者のスイス銀行休眠口座に関して、スイス銀行はニューヨークのユダヤ協会に12億5000万ドルの賠償金を支払ったからです。

swissinfo : この報告はスイス人と過去の和解をさせることができましたか?

ベルジエ : スイス人が自らの過去がこれまで描かれていたほど完璧なものではなかったという認識を持ったのではないかと思います。冷戦の間に描かれたスイスの伝説的な姿と70年代に出た批判的なスイスの姿との間には丁度、中間点があったのです。

swissinfo、 聞き手、イザベル・アイシェンベルジエ、 屋山明乃

- 独立専門委員会 ( The Independent Commission of Experts / ICE ) は9人の歴史家で構成されるが、全部で100人以上の外国人( アメリカ、ポーランド、フランスなど ) をも含めた歴史家が参加した。

- 調査の間、歴史家たちには銀行の守秘義務も解除され、スイスの公共部門、民間企業を含めた全ての資料の閲覧が可能になった。

- 「ベルジエ報告」は英、独、仏、伊の4カ国語で存在する。

- 日本でもベルジエ報告の最終報告が京都大学学術出版から、今年の末か来年上旬に出版される予定。『中立国スイスとナチズム:戦争責任の国際共同研究』に全訳される。第1部に英語版の全訳、第2部には中立外交についての考察も加えられる。

1996年12月:連邦政府が2200万フラン ( 約21億円 ) の予算でジャン・フランソワ・ベルジエ氏の率いる独立専門委員会 ( ICE ) にスイスの第2次世界大戦中の役割の調査を委託をする。

1998年5月:第1レポートの中間報告「スイスと第2次世界大戦中の金魂の取引」を発表。

1999年12月:ナチス時代のスイスの移民政策に関する第2レポートの中間発表。

2001年12月:最終レポートを終了。

2002年3月:独立専門委員会がこれまで出版された28巻、1万1000ページに加えスイス政府に、600ページの最終レポートを渡す。こうして5年間を経て、独立専門委員会が解散。英語で出版された最終レポートはチューリヒのペンド社 ( Pendo ) から出版。

2004年11月:ジャーナリストのピエトロ・ボスケッティ氏による200ページのベルジエ報告の要約、『スイスとナチ—みんなのベルジエ報告 ( Le rapport Bergier pour tous )』をゾエ社 ( Zoé ) で出版。

2006年3月:ベルジエ報告を簡単に説明した教科書副読本『見つめて考えよう』( Hinschauen und Nachfragen ) がチューリヒ州教育委員会によって刊行される。フランス語圏では今のところ同様のものは存在しない。

2006年11月:ベルトラン・ミュラー氏とボスケッティ氏による『ジャン・フランソワ・ベルジエ氏との対談 ( Entretiens avec Jean-François Bergier ) 』がゾエ社から出版。ドイツ語圏では2007年3月にNZZ出版社から出版予定。

2007年末か2008年初めには日本でも出版予定。

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