1885年、ハワイに渡った日本人移民を描いた油絵が、スイス・チューリヒのヨハン・ヤコブ美術館外部リンクに展示されている。この絵はほとんど公の場に登場したことがなく、国外の展示は初めて。何の変哲もない絵画に見えるが、実はハワイの王から明治天皇に献上される目的で描かれ、結局実現しなかった作品だという。その理由は謎のままだ。
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マルチメディア・ジャーナリスト。2017年にswissinfo.ch入社。以前は日本の地方紙に10年間勤務し、記者として警察、後に政治を担当。趣味はテニスとバレーボール。
作品は米国人画家のジョセフ・ドワイト・ストロングが1885年に制作した。マウイ島のサトウキビ農園が舞台で、青空の下、帽子をかぶった着物姿の日本人男性が両手を腰に当て、ほっとしたような表情で立っている。隣には座って子供をあやす日本人女性の姿も。休憩中の姿を切り取った一枚だ。
今回の展示を発案したのはスイス・チューリヒ大で日本近現代史を教えるマーティン・デューゼンベリ教授(41)と東アジア美術史が専門のハンス・トムセン同大教授(60)ら。インターネットなどで絵の存在を知り、「明治元年150周年に当たる2018年、スイスの人たちに当時の日本と外国の交易の歴史を伝えたい」と、所蔵する三井製糖外部リンク(本社・東京都)に掛け合い、3年越しで実現させた。
歴史を紐解くと、1860年代以降のハワイ王国には日本人移民が続々と入植していた。サトウキビ栽培に力を入れるハワイが労働力を求めたのが始まりとされ、85年、当時のハワイ政府と明治政府が結んだ契約に基づく「官約移民」の第一陣約940人が入植した。絵はその第一陣の人たちを描いたものだという。
宣伝材料?
作品は一見、移民労働者の日常に焦点を当てた、ごく普通の絵のように見える。だが、デューゼンベリ教授は、この絵が「PR用」としてデフォルメされたものだと指摘する。当時、ハワイの日本人移民は過酷な環境の中で重労働を強いられ、生活は厳しかったといい「本来であれば笑顔でのんびり休憩など出来なかったはず。移民の暮らしが素晴らしいものだとPRすることで、ハワイ側がもっと多くの労働者を呼び込もうとしたのではないか」と分析する。
一説によるとこの作品はハワイの王から明治天皇に献上される目的で描かれたが、明治天皇が手にすることはなかった。理由ははっきり分かっていないといい、デューゼンベリ教授は「あくまでも個人としての意見だが、女性が胸を露出させているため文明開化の風潮にそぐわない、馬に乗って労働者を見張る監督官が背景に描かれており、日本人移民を従属させているようなイメージを与えるーなど、日本が求めている移民の理想像と合致しなかったためではないか」と推測する。
その後、絵は三井製糖(当時の社名は台湾製糖)の手に渡り、普段は本社社長室に飾られている。同社によると、絵を貸し出すのは首都圏の百貨店の巡回美術展に出品した1986年以来、今回が初めてといい、担当者は「作品の文化的価値が評価され、とても光栄に思う」と喜ぶ。
デューゼンベリ教授は「当時の日本とハワイを取り巻く交易の歴史がどのようなものであったかを知る上で非常に興味深い史料」だと話している。
ハワイ生まれの民謡「ホレホレ節」
3日夜には同美術館で、日本人移民がハワイで作った民謡「ホレホレ節」や、日本の炭坑節の演奏会が開かれ、民謡津軽三味線・井坂流スイス支部のメンバーが力強い歌声を披露。スイス人、日本人ら約35人が参加し、デューゼンベリ、トムセン両教授から当時の歴史や歌詞の意味について説明を受けた後、労働者たちが歌に込めた魂の叫びにじっと耳を傾けていた。
展示は5月31日まで。
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