マンガのヒーローになった新しいウィリアム・テル
2032年、経済危機で荒廃したチューリヒは危険な無法地帯と化し、立入り禁止になった。そこへ中世時代の狩人のいでたちをした大男の自警団員が現れた。
「テル:復活伝説」は、クロスボウ ( 石弓 ) の名手でスイスの国民的英雄ウィリアム・テルを、「ターミネーター」や「ロボコップ」風のバットマンとスーパーマンに仕立てている。
このマンガのスイス人作者ダーフィト・ボラー氏は、アメリカで学んだ後、マーベル ( Marvel ) やディーシー・コミックス ( DC Comics ) などの有名マンガ製作出版会社に勤務した。スイスとマンガの関係、テルを主人公に据えた作品の着想を得た経緯、作品に込められた教訓の有無などについてインタビュー 。( オーディオで試聴可 / 英語 )
swissinfo.ch : マンガの最初の思い出は何ですか?
ボラー : 最初の思い出は、アメリカで母から「タンタン ( Tintin ) 」をもらったことです。それまでまったく見たことがないものでした。当時わたしは5歳の子どもだったので、タンタンで何もかもが吹き飛びました。
もちろんミッキー・マウスは本当に大きな存在で、わたしは素晴らしい「ミッキー・マウス・マガジン ( Micky Mouse Magazine ) 」を購読していました。ウォルト・ディズニーの小さなポケットサイズのマンガ本で、主にスカンジナビアやイタリアで発行された作品を載せたポケット・ブックでした。それから「フィックス・アンド・フォクシー ( Fix and Foxi ) 」などウォルト・ディズニーのドイツ製コピーのような作品もありました。
swissinfo.ch : スイスにはマンガの読者が大勢いるのでしょうか
ボラー : わたしが学生のころ、学校ではかなりありふれたものでした。しかし、当時はキオスクで売っているマンガの全盛期だったのです。新聞の売店に行くとシリーズもののマンガ本がたくさんありました。
13歳のときは、チューリヒの学校に通っていました。1980年代初頭に、チューリヒ初のマンガ専門書店がオープンしました。そこはまさに黄金郷!まったく信じられませんでした。世界中のマンガが置いてあって、昼食代の大半はそれに消えました。
swissinfo.ch : スイス国内では地域差がありますか。 フランスに近いスイスのフランス語圏では、フランスやベルギーの昔からあるコミックに人気があるのではないでしょうか。
ボラー : 「アステリックス ( Asterix / フランス人マンガ家ゴシニィとユディルゾ作 ) 」は常にドイツ語圏でも大人気でした。「ラッキー・ルーク ( Lucky Luke / ベルギー人マンガ家モリス作 ) 」と「タンタン ( ベルギー人マンガ家エルジェ作 ) 」もそうです。わたしはこれらの作品には全然魅力を感じませんでしたが、確かにスイスのフランス語圏では、フランスの作品が中心になっています。しかし、現在フランスで最も人気のあるマンガ家は、スイス人のゼップ ( Zep /フィリップ・シャプイ) です。彼の「ティトフ ( Titeuf ) 」のシリーズは信じ難い成功を収めています。新刊本が何百万部も売れるのです。
ドイツ人はマンガを製作せず、常に輸入していました。その理由は非常に単純です。ドイツでは、第2次世界大戦後にマンガが禁止され、ドイツ人はその後遺症から立ち直れなかったのです。
swissinfo.ch : ヨーロッパのマンガを熟知し、アメリカのスタイルを採用したわけですが、日本のマンガはどうですか。
ボラー : そういう質問が出るとは面白いですね。子ども時代のベストフレンドは日本人でした、彼は家では日本語を話していて、母親は子どもたちに日本のマンガを読ませていました。日本のマンガの父といわれる手塚治の作品など、日本のマンガがいつもたくさんあって、わたしは非常に大きな影響を受けました。そのころスイスのテレビでも日本のアニメが放映され、おかしなことにドイツと共同制作の作品もありました。日本のマンガの影響はとても大きく、後で妻に日本のマンガの仕事を結構してもらいました。
swissinfo.ch : ウィリアム・テルの作品はどのようにして着想を得たのでしょうか。
ボラー : アメリカで生活していたとき、約10年前にスイス人のスーパーヒーローが存在しないことに気付きました。最初は、スイスアルプスの洞窟に隠れているスーパーヒーローのチームのようなものを考えていました。実はテルの第2巻に登場します。
アメリカ生活の終盤に、典型的なヒーローのウィリアム・テルで何かをしなくてはならないと気付きました。しかし9.11米同時多発テロが発生し、アメリカ人が愛国心の名のもとに何をしたかを見ました。そして金融危機が起きて「スイスの銀行」、「ウィリアム・テル」、「愛国心」について考えました。その瞬間、すべてがひらめいたのです。
わたしは自分を愛国者だと思ったことはありません。いつも自分は世界市民だと思っています。愛国心は、それがなければやらないようなことを国民にさせるためのコントロール・メカニズムです。非常に単純で卑劣です。愛国心は、誇るべき遺産ですが、戦争を起こすため、特に現在アメリカがやっていることにも使われているのです。まったく卑劣だと思います。
swissinfo.ch : ウィリアム・テルが登場する舞台は、右派の「国民党 ( SVP/UDC ) 」に酷似した政党が支配する警察国家と設定されていますが。
ボラー : 実は、( その政党の ) メインキャラクターはコルベア ( Cholber ) という名で、これは ( 国民党代表の ) ブロッハー ( Blocher ) 氏の名前のつづりを並べ替えたものです。この部分も似ています。
さらに、第1巻の終わりでは、ウィリアム・テルがサイボーグであることが分かります。ロボコップとターミネーターを合わせたような、完全なコントロールユニット ( 制御装置 ) なのです。人間の部分を持ったサイボーグなので、第2巻と第3巻で彼は、自分が何者なのかを見つけなければなりません。
swissinfo.ch : 作品には教訓が含まれているのでしょうか。
ボラー : 面白いエンターテイメントでなければなりませんが、今日人生の舵取りや、外から受け取るメッセージに対応していくのは容易ではないことも伝えたいと思っています。最大の教訓は、政治家や銀行が言うことをすべて信じてはならない、彼らの主張が愛国的かどうか、そして何が非愛国的かを考えることです。誰が良くて誰が悪いのか明確でないことを見せるために、ウィリアム・テルを非常に残忍な自警団員にしたのです。
わたしたちは気を付けなければなりません。スイスは依然としてヨーロッパ最高の場所だと思います。わたしたちは小さなパラダイスに住んでいるのです。しかしEU ( 欧州連合 ) は . . . . . ヨーロッパのほかの地域を旅行してみれば、そこがそんなに素晴らしい場所ではないことが分かります。
swissinfo.ch : ご自分のマンガのスタイルをどのように表現しますか。
ボラー : ウィリアム・テルを完全なアメリカン・ヒーローのように見せたいと思っています。アーティスティックに描きたいとはあまり思っていません。フィルム・ノワールに影響されたバットマンシリーズ「バットマン:ダーク・ナイト・リターンズ ( The Dark Knight Returns ) 」、「シン・シティ( Sin City ) 」、「スリーハンドレッド ( 300 ) 」のマンガ家 ) フランク・ミラーのようにレイアウトをもっとアーティスティックにするべきかと思いましたが、第1巻ではそうしない方がいいと考えました。ただ読みやすくしたい、そうすれば読者が見てすぐにすべてが分かると考えたのです。
swissinfo.ch : シリーズの3巻すべてがヒットしたら、続編を描きますか。
ボラー : それはやや未定にしておきます。大成功した場合、いずれにせよ続けないのは愚かです。
さらに正確な歴史マンガを描くという選択肢もあります。最初は、文学や歴史をどのくらい織り込むべきか何度も自問自答しました。読者がそうしたスタイルを本当に好むようならば、スーパーヒーローの話でなくてもよいと思いました。もっとフランスのマンガのような、本当に楽しむだけのマンガにすることもできたのです。その場合、本質的にはシラーの演劇を脚色したものになったでしょう。
1968年にチューリヒ郊外で誕生。
ヨーロッパで自作のシリーズ物のマンガ本を出版した後、1988年にマンガ雑誌を発行。1990年代初頭にアメリカニュージャージー州のジョー・クーベルト・グラフィック・カトゥーン・アートスクール ( Joe Kubert School of Graphics and Cartoon Art ) を卒業。
卒業後、マーベル ( Marvel ) 、ディーシー・コミック ( DC Comics ) 、アクレイム ( Acclaim ) 、 ワイルドストーム ( Wildstorm ) 、トップ・カウ ( Top Cow ) 、 ラップ・グラフィックス ( Warp Graphics ) などのコミック制作・出版会社で「スパイダーマン ( Spiderman ) 」、「バットマン ( Batman ) 」、「ウィッチブレード ( Witchblade ) 」、「マジック・ザ・ギャザリング ( Magic the Gathering ) 」、「スターウォーズ ( Star Wars ) 」などさまざまな作品を手がけた。
2008年にスイスへ帰国し、スイス初の商業オンラインコミック誌「バーチャル・グラフィックス・アンド・ザンパノ ( Virtual Graphics and Zampano ) 」を設立。
3部作の「テル:復活伝説 ( Tell: The Legend Returns ) 」には、独・仏語版のほかに英語版もある。インターネットでは英語版が無料で読めるが、書店でも20.5フラン ( 約1770円 ) で販売されている。第2巻は2011年6月、第3巻は2012年1月に出版予定。
言い伝えによると、ウィリアム・テルはウーリ州のビュルグレン ( Bürglen ) 出身で、クロスボウ ( 石弓 ) の名手。
14世紀初頭、神聖ローマ帝国時代にオーストリアのハプスブルグ家は、ウーリ州の支配を狙っていた。
ウーリ州のアルトドルフ ( Altdorf ) の代官に任命されたゲスラーが村の中央広場に自分の帽子を掛けたポールを立てさせ、その前を通る村人に礼をするよう強制した。しかしテルは従わなかったため逮捕された。
その刑罰として、テルは息子のウォルターの頭の上に置いたリンゴを射抜くよう命令される。弓矢がリンゴに命中した場合は自由を約束されたが、射ることを拒否した場合は息子もろとも処刑すると宣告された。そして1307年11月18日、テルは見事一発でリンゴを射抜いた。
しかしゲスラーは、テルが矢筒から矢を2本取り出していたことに気づき、後でその理由を尋ねた。テルは、もし失敗して自分の息子を殺してしまったら、ゲスラーに弓矢を向けるつもりだったと答えた。
ゲスラーの怒りに触れたテルは縛りあげられ、船でキュスナハト ( Küsnacht ) の城に連行されることになった。しかし嵐がルツェルン湖を襲い、テルは船から脱出した。キュスナハトへ先回りしたテルは、到着したゲスラーをクロスボウで射殺した。
ウィリアム・テルは、ウーリ州のシェヒェンバッハ川 ( Schächenbach ) でおぼれていた子どもを助けようとして1354年に死んだと言われている。
( 英語からの翻訳 笠原浩美 )
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