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ありがとう、ヒンギス

ロジャー・フェデラーと並び、スイスで最も成功したテニスプレーヤーで元世界女王のマルチナ・ヒンギス(37)が26日、三度目の引退を表明した。4大大会を通算25回制覇する輝かしい業績を挙げながら、二度の引退を経験するなど起伏の多いテニス人生だった。

ヒンギスはチェコスロバキア(現スロバキア)のコシツェで生まれた。名前はチェコの名テニスプレーヤー、マルチナ・ナブラチロワにあやかって母親のメラニーさんが付けた。8歳でスイスに移住。2歳から母親のコーチでテニスを始めた。

14歳でプロ転向。1996年、15歳9カ月でウィンブルドン選手権のダブルスを史上最年少で優勝。16歳3カ月で全豪オープンの女子シングルスを制し、同大会でも史上最年少チャンピオンになった。同年3月、最年少の16歳6カ月で世界ランク1位に上りつめ、その年は全豪オープンに続きウィンブルドン、全米オープンを制して4大大会の3冠を達成した。

ヒンギスは女子シングルスで5回、同ダブルスで13回、混合ダブルスで7回、それぞれ4大大会を制しているが、「スイスのお嬢さん」は国内で特別な人気者になったわけではなかった。スイスが生んだもう一人のスター選手、ロジャー・フェデラーが世界をにぎわす一方で、自身は4大大会の決勝でかんしゃくを起こしてブーイングを浴びたり、大会中の薬物検査でコカインの陽性反応が出て(本人は否定)テニス界を追われたりと、悪い意味で注目を集めてしまった。

ヒンギスは足の負傷で一度プロテニス界を去った後、現役復帰し、この薬物使用疑惑で二度目の引退をした。その後2013年に再びテニス界に舞い戻り、今度はダブルスで活躍。ダブルス、混合ダブルスで4大大会のタイトルを10度手にした。

元世界女王は2015年、あるインタビューで、99年の全仏オープン決勝でシュテフィ・グラフ(ドイツ)に敗れ、母親に抱きついて泣きじゃくったことを問われると「私は当時18歳で、勝ちたいという強い熱意で臨んでいた。試合に感情はつきものだし、それがあるから面白い。でなければつまらないでしょう」と笑いを誘った。

(英語からの翻訳・宇田薫)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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