スイスでサマースクール、「夏休みだけでも放射線から体を休ませてやりたい」
毎年夏休みにスイスの私立校が開催する語学のサマースクールに、子弟を送り込む日本人家庭は多い。
しかし、今年は「せめて3週間でもいいから、放射線を浴びている子どもの体を休ませてやりたい」と願う親たちが増え、日本の生徒数が例年の2、3倍に膨れ上がった学校が少なくとも数校ある。
「スイスは人道主義の国。人を守り、受け入れてくれる国だ。また、年少の子どもの教育に優れているとの評判もあり、スイスの学校を選んだ。しかし、一番の目的は、福島原発事故以来マスクを外させたことのない生活から子どもを解放し、普通の空気を吸わせてやりたかった」と話すのは、ジュネーブに滞在しながらヴォー州にある私学のサマースクールに娘2人を送り込んだ東京都新宿区に住む山田美智子(仮名、40代)さんだ。
仮名を希望するのは、「娘の学校に知られると村八部扱いされ、娘が学校を続けられなくなるからだ」。また今までも周囲から「気にし過ぎ」、「放射能ノイローゼ」と言われ特別扱いされてきた。
しかし、山田さんは決して例外ではない。この夏 NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」は福島の子ども35人をイタリアに送った。スイスのサマースクールでもヴォー州のル・ロゼ(Le Rosey)校は、昨年の2倍の13人、ジュネーブ州のコレージュ・ドゥ・レマン(Collège de Léman)校は、昨年の4倍の20人の日本人を今年受け入れた(ただし、20人全員が放射能のせいで来たという確証はとれていない)。ただ、ル・ロゼ校の方はフクシマを考慮し、方針として例年の生徒数枠を2倍にしたという。
ジュネーブ滞在中もNGO「放射線防御プロジェクト」のメンバーとして活動を続ける山田さんに、1人の母親としての今の想いを語ってもらった。
swissinfo.ch : 「放射線防御プロジェクト」のメンバーになったきっかけは何でしょうか。
山田 : 福島原発事故が起きた3月11日、マンションの隣のフランス人が、「大変なことが起きた。窓を閉め、換気扇も止め、窓の枠に目張りをして、外出しないように」と言って来た。何が起こったのかわけが分からず、フランス大使館に直接電話したら、同じことを言われた。
すぐネットで放射能汚染について調べるとチェルノブイリのことばかり出てきた。そしてとんでもないことが起きたと理解した。それまでは、原発のことも、ましてやそれが日本に54基もあることなど全く知らずに生活してきた。3・11で世界が変わった。その日から、明日も今日と同じ平和で普通の生活ができるという「日常」が消えた。
フランス人たちはエールフランスが出した特別便ですぐに本国に帰っていった。東京は大丈夫なのかといろいろ検索するうち、「放射線防御プロジェクト」に行きあたった。
「放射線防御プロジェクト」は、まずは東京都内の放射線量を正しく測定し、その後徐々に日本各地の放射能を測っているグループ。これだと思った。
東北、関東の被爆した人々を避難させてあげたいというのが、このグループの究極的な活動になると思う。しかし、口で「現実はこうなのよ」と言っても(一般の人は)聞く耳を持たないので、正確な測定値を提示することから始めている。
swissinfo.ch : 3・11以降どのような日々を過ごされたのでしょうか。
山田 : 3・11から10日間は、春休みだったこともあってほとんど外出せず、買い置きの米や、みそは発酵食品で昨年の大豆が原料だから大丈夫と思い、そういったものばかりで生活した。さすがに、3月20日過ぎに買い出しに出たが・・・栄養を考えるとほかの食品も食べざるをえないが、怖くて今でも味噌汁とご飯が中心の生活を送っている。
やがて新学期が始まってからは、子どもには毎日マスクを付けさせ帰宅したらすぐシャワーを浴びさせ、外出はまったくさせなかった。5月のゴールデンウイークに軽井沢に連れて行ったら、そのときから下の娘に鼻血が出始め、2カ月間止まらなかった。実は、軽井沢が汚染されていたと後で分かり、被爆させてしまったのではとショックを受けた。
新宿区の汚染も高い数値を示している。毎時0.09~0.12マイクロ・シーベルトなどで、年間にすれば約1ミリシーベルトになる。(数値としてそれほど高くないかもしれないが)、問題は道路脇など、高濃度の場所を車が通過し放射性物質が舞い上がりそれを子どもたちが吸い込み内部被爆すること。それが一番怖い。たとえ微量でも放射能は人体に影響を及ぼすからだ。
公園では、「木のベンチは汚染されているから座っちゃダメ」と言い、花にも触らせないようにするという異常な生活を送っている。
そこで、せめて夏休み中だけでもこうした環境を抜け出し、海外で(放射能から)体を休めさせてやりたいと思った。
swissinfo.ch : で、スイス行きを決定したと・・・スイスを選んだ特別な理由がありますか。
山田 : 子どもを海外に連れ出したのは私だけではない。ドイツやタイに子どもを送った人を24人も知っている。チェルノブイリの子どもたちを夏の間だけでも保養にと、北海道に19年間呼んでいたNPO法人「チェルノブイリへのかけはし」は、今年は福島の子どもを35人イタリアに送った。
これに応募したがだめで、仕方なく自分でオーガナイズして来た。スイスを選んだ理由は人道主義の国なので、「原発難民」を受け入れる可能性もあるのではないかと思ったから。また幼児の教育に優れているとも聞いたからだ。
それに、できれば子どもたちだけでも今後スイスの私学の寄宿舎に入れられないかと、その可能性を探ることも一つの理由だった。
しかし、下の娘はまだ5歳。寄宿舎に入れるには幼すぎる。日本には正直なところ連れて帰りたくない。この子の笑い顔がいつまで続くのやら。スイスに里子に出したい気分・・・ (同席した娘さんに目をやりながら涙ぐむ)
swissinfo.ch : 8月18日付の朝日新聞に、福島の子供1180人の45%が甲状腺被爆しているという記事が出ました。福島や東京、千葉のホットスポットの子供の疎開は緊急課題ですし、脱原発も含め、なぜ日本では各地で大規模な市民運動が起こらないのだと思いますか。
山田 : まず、幼稚園に砂場の放射線量を測ってくれと言っても取り合ってもらえなかった。今幼稚園や学校は文科省からの通達である電力の節約目標に必死なだけで、もはや子どもを守ってくれる所ではない。放射線量が高いと分かるとその辺りの地代も下がるといった問題もあるかもしれない。
市民運動が起こらないのは、結局私たちは「神経質な母親」として特別扱いされ、やはり少数派。情報統制もあって危機感を持っている人が少ない。大丈夫と思ったり、仕方がないとあきらめたり・・・メディアも東電がスポンサーの場合が多く、本当のことを書かないところが多い。では、ネットの情報をと思うが、ネット内に巧妙に入り込んで、ネット上の情報は7割がうそだと言ったりする人たちも出てきた。そもそも国民の不安を煽るところはインターネット上から削除するという法律もできる可能性がある。
ただ、今回「放射線防御プロジェクト」の海外支部ができ、そこがアレンジしてくれ、ドイツでホールボディカウンターを使って私と娘2人の内部被爆を調べてから帰国する。こうした市民運動の広がりや繋がりは大切だと思う。
「放射線防御プロジェクト」も小さなグループのままでは(今の)方向を変えられないので、「放射能からみんなを守る」を共通目標に「放射能から子どもを守る全国ネットワーク」など、ほかの市民グループと繋がりたい。繋がらないと話にならない。そしてその繋がりが何かを動かすのではと思う。
「核戦争防止国際医師会議 ( IPPNW ) 」と「放射線防護協会 ( Gesellschaft für Strahlenschutz e.V. ) 」が共同で行ったドイツの調査「チェルノブイリの健康への影響―原発大惨事から20年 ―( Gesunndheitliche Folgen von Tschernobyl-20 Jahre nach Reaktorkatastrophe ) 」によれば、最も放射線量が高かったウクライナ地方だけで、事故のあった1986年以前の5年間 ( 1980 ~1985年 ) の数から予想される小児白血病11種類の患者の合計は346人。1986年以降 ( 1986 ~1991年) の同様の実際の合計は519人。つまり173人の患者の増加がみられたとしている。
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