スイスで「世界デビュー」狙う自殺カプセル「サルコ」にスイスが反発する理由
オーストラリアの医師が開発した自殺カプセル「サルコ(Sarco)」が、世界で初めてスイスで使われるーー少なくとも運営団体はそう望んでいる。しかし医師が介入するスイスの自殺ほう助モデルとは理念が大きく異なるため、スイスの州当局や自殺ほう助団体が強い拒否反応を示している。
スイスは今月、サルコの話題で持ち切りだった。7月初めに独語圏の日刊紙NZZが「サルコによる死者がスイスで間もなく誕生する」と最初に報じる外部リンクと、国内外のメディアが相次いでこの話題を取り上げた。しかしその後の報道では、シャフハウゼン州検察が刑事訴追をちらつかせて管内での使用をけん制し、ヴァレー(ヴァリス)州は使用を禁止した。
SF小説のような近未来型デザインのカプセルは3Dプリントで作られ、ボタン1つで数分以内に痛みや苦しみなく確実に死ねるーー。開発者によれば、死ぬ際に多幸感すら感じる。「自殺ほう助界のテスラ」とも呼ばれるサルコは5年前に既にその姿が公開されたが、現実世界で実際に使われたことはなかった。
多くが語られなかった会見
それが今現実になろうとしている。メディア報道が過熱するなか、サルコの運営団体は17日、「流布する誤情報を正すため」という理由で、記者会見を突如チューリヒで開いた。
その際、サルコを使う自殺ほう助団体「ラストリゾート(The Last Resort)」をスイスで数日前に立ち上げたことも明らかにした。
しかし記者会見の目的とは裏腹に、団体側は多くを語らなかった。第1号の実施場所については複数の州に接触したことは認めたものの、州名は明らかにせず「まだ最終決定に至っていない」と濁した。
連邦制のスイスでは、州が医療など幅広い分野で権限を持つ。しかし、州が法的にサルコの規制に関する決定権を持つのかどうかは定かでない。
誰が最初の利用者となるのかについても「情報を公開して、利用者がメディアの食い物にされるのは極めて道義に反する」という理由で語らなかった。
時期に関し、団体創設メンバーのフィオナ・スチュアート氏は「今年中」と発言したが、共同代表のフロリアン・ヴィレ氏は「2週間以内か、あるいは月内か、実際にサルコが使われることはありえる」と含みを持たせた。*
サルコとは何か
サルコはオーストラリア人医師で安楽死推進家のフィリップ・ニチケ氏とオランダのエンジニア、アレックス・バニンク氏によって開発された。ニチケ氏は1997年、出身国で安楽死推進団体「エグジット・インターナショナル(Exit International)」(スイスの自殺ほう助団体「EXIT」とは無関係)を創設している。スチュアート氏はニチケ氏の配偶者で、エグジット・インターナショナルの活動にも深くかかわっている。
サルコは酸素欠乏症により利用者を死に至らせる。カプセルの中に入った人がいくつかの質問に答えたあと、ボダンを押すと大量の窒素ガスがカプセル内部に放出され、室内の酸素レベルが30秒以内で21%から0.05%に急激に下がる。
ニチケ氏によれば、中の人は通常2回の呼吸で意識を失い、痛みなく約5分で死に至る。カプセル内の酸素レベルや中にいる人の心拍は、外からモニタリングが可能という。
無料で提供
2012年に始まったサルコ開発プロジェクトには計65万ユーロ(現在のレートで約1億1000万円)の資金が投じられた。カプセルの3D プリントには1万5000ユーロかかるが、「経済的に裕福でない人も平等に使えるように」(スチュアート氏)、サルコの利用は無料という。利用者が負担するのは約18フラン(約3000円)の窒素購入費だ。
カプセルの機能が正常に作動するかを確かめるための技術的機器テストは昨年、オランダのロッテルダムで継続して行ったという。
対象は健全な判断能力を有する50歳以上の人だが、不治の病を抱える若い人も受け入れる。スイスの自殺ほう助団体と異なり、有料の会員登録も必要ない。
リベラルな法制度
だが、なぜスイスがサルコの「デビュー場所」に選ばれたのか。それは間違いなく、スイスの法的環境が極めてリベラルだからだ。スイス刑法では、利己的な動機がない限り他人の死を助ける行為は犯罪にならない。
自殺ほう助のプロセスに関しては、国内医師団体の包括組織FMHが「健康な人の自殺ほう助は行わない」「医師が2回の面談を行う」という行動規範を定めているが、法的拘束力はない。
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ヴィレ氏は「これだけリベラルな法システムを持つスイス以外にベストな選択肢はない」と話す。
また、団体側は、サルコをスイスで合法に使用できると確信している。自殺ほう助を合法に行うための3条件「利用者がボタンを押す」「利用者に健全な判断能力がある」「サルコを提供する側に利己的な動機がない」をいずれも満たしているからだという。また、スイスの法律では使用に許可は要らないと主張する。
スチュアート氏は会見で「これまで2年間、異なる専門家から広範囲にわたる法的アドバイスを受けた。私たちの理解では、サルコの使用に関し何ら法的障害はない」と断言した。
サルコを規制できないスイスの法律
しかしヴァレー州の州医師は、州内でのサルコ使用を禁止した。スイス医薬品承認機関スイスメディック(Swissmedic)が認可していないというのが理由だった。
しかし、Swissmedicはサルコは現時点では医療機器に該当せず、よって自局の管轄ではないとしている。Swissmedic広報のルーカス・ヤギ氏はswissinfo.chの取材に対し「自殺カプセルの使用目的は、法律で定められた特定の医療目的のいずれにも該当しないという結論に達した。死に至らしめることは、病気や怪我、障害の治療や緩和ではない」と説明する。
一方、シャフハウゼン州の検察は、サルコに対する情報が不十分などとして、使用すれば刑事訴追の可能性が出てくると警告した。
スチュアート氏は「法的見解が異なるのであれば、最後は裁判所が判断することになる」と話す。
スイスの自殺ほう助団体はなぜ反対するのか
スイスの主要自殺ほう助団体がサルコを拒否するのは、サルコが自殺ほう助のプロセスから医師を極力排除しようとしているからだ。
サルコの利用許可を得るには、精神鑑定で健全な判断能力があることを医師に証明してもらわなければならない。だがそれ以外で医師の介入は必要ない。窒素ガスも処方箋は不要だ。
一方、1980年代から脈々と続くスイスの自殺ほう助モデルはオランダなどと同様、医師が介在する。
理由の1つが、致死薬にペントバルビタール酸ナトリウムを使用しているためだ。これは医師の処方箋が必要で、それが故に「不治の病にかかっている」などの条件が原則的に設けられている。自殺ほう助も、医師との面談を経て初めて認められる。
スイスの法律・判例によれば▽健全な判断能力がある▽死にたいと言う永続的な願望がある▽本人が自殺を実行するーーなどの条件を満たせば自殺ほう助が受けられる。だがスイスの自殺ほう助団体は、これらに加えて以下のような条件を設けているところが多い。
―制御できない耐え難い痛みがある。
―不治の病に冒されている。
―耐え難い障がいを抱えている。
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1998年からチューリヒで自殺ほう助を行っているディグニタスはswissinfo.chの取材に対し、同団体では、医師が介入するスイスの自殺ほう助は専門の訓練を受けた団体スタッフによって行われ、全ての自殺ほう助は当局(検察、警察、州医師)のチェックが入っているとコメントした。
また「このように法的に安全で確立された(スイスの自殺ほう助の)慣行を鑑みると、自発的な死を目的とした技術先行のカプセルがスイスで広く受け入れられるとは想像できない」とした。
バーゼルの自殺ほう助団体ライフサークルの代表で医師のエリカ・プライシヒ氏は、医師の介入は不要不急の自死を防ぐ「門番」の役割も果たしていると指摘する。
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「人々が(自殺の)代替案についての十分な情報もなく、判断能力や死にたいという希望が熟考の末のものであることなどの保証がされないまま、死を迎えてしまうことを危惧している」と話す。
スイスの自殺ほう助団体はまた、自死する人がそれを見守る家族とカプセルで隔てられ「孤独」に息を引き取るやり方が「非人道的」だと訴える。
スイスで最も設立が古く、国内最大の自殺ほう助団体であるエグジットは声明で、団体の会員とその親族は「死ぬときに互いに離れ離れにならず、必要であれば最後の数分間、触れ合ったり抱き合ったりすることができる」ことに大きな意味を感じており、この最後の触れ合いを不可能にするサルコはエグジットの原則に反するという。
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サルコはまた、スイスのリベラルな自殺ほう助を脅かす可能性がある。プライシヒ氏は「サルコが使用されれば、スイス当局はサルコの運営者を相手取って訴訟を起こす可能性がある。しかしスイスの法はサルコを禁止するすべがない。私は、すべての自殺ほう助団体をライセンス制にすべきではないかとすら思い始めている。それなら今回のようなことは起こらないだろう」と話す。
*2024年8月2日追記:エグジット・インターナショナルとラストリゾートは7月28日の共同声明で、17日に予定されていた米国人女性のサルコ使用を無期限延期したと発表した。
この女性がサルコの最初の使用者となる予定だった。声明では「本人の精神状態が悪化する懸念が高まったこと、特にスイスで最近サルコに関する報道が集中したことを考慮した」としている。
その2日後、両団体はこの女性がスイスのクリニックで自死したと発表した。両団体は、女性はサルコへのアクセスを拒否された後に姿を消し、スイスの自殺ほう助団体ペガソスに助けを求めたと説明した。
*2024年9月24日追記:ラストリゾートは24日、23日にシャフハウゼン州で米国人女性がサルコを使い自死したと発表。サルコによる第1号の自殺ほう助となった。警察はこれに関連し複数人を逮捕した。記事はこちら。
米アラバマ州で今年1月、国内で初となる窒素を吸入する方法での死刑が執行された。
米国では現在、死刑に使う致死薬の入手に苦慮している。製薬会社が倫理上の理由から死刑目的の薬物販売を拒否するなどの動きが起こったためだ。
州当局は痛みが少なく人道的な方法だとしたが、国連は未検証の方法であり拷問につながるおそれがあると警告していた。死刑の瞬間に立ち会ったジャーナリストらは、死刑囚が苦しんでいたようだったと地元メディアに語った。
フィリップ・ニチケ氏は2023年12月にアラバマ州の法廷でこの死刑囚の弁護側証人として出廷。証言の中で、酸素欠乏症が安らかな死をもたらすのは本人がそれを希望している場合に限られ、死刑執行時に使用されたフェイスマスクも密閉状態が維持できないリスクがあり、不適切だと指摘した。
ニチケ氏はチューリヒでの会見で「死を望まない人と死を望む人では大きな違いがある。(サルコの)利用者が自ら死にたいと窒素を吸うのなら全く問題はない」と語った。アラバマ州で使われたような濃縮ガスも使用しないと述べた。
編集:Marc Leutenegger、独語からの翻訳:宇田薫、校正:大野瑠衣子
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