魔のアイガー北壁で新記録
スイス人アルピニストのダニー・アーノルド氏が危険なアイガー北壁を一気に踏破し新記録樹立。この話題に登山界は沸いている。
最新記事:アイガー北壁の登攀がなぜ困難なのかを探った「魅力溢れる『死の壁』、アイガー北壁」やスイス人登山家ロジャー・シェリさんがアイガー北壁を登攀するようすを撮影したビデオ「危険に満ちたアイガー北壁を43回登攀した男」も併せてご覧ください。
4月20日、わずか0.5リットルの砂糖水を持ちアイガー ( Eiger ) 北壁に臨んだ。1938年に最初の登山家が3日間かけて登った ( そして生還した ) ルートの記録を破ろうという意識はなかった。アーノルド氏自身が「その日」を語る。
中央スイスのウーリ州出身で27歳の山岳ガイドであるアーノルド氏は、途中高さ1800メートルの絶壁がある悪名高いヘックマイヤー・ルートを2時間28分で登攀 ( とうはん ) 。スイスで最も有名なアルピニストの一人、ウエリ・シュテック氏が2008年に樹立した記録を20分ほど縮めた。
「最速のアルピニストとして神のように崇められているウエリ・シュテックを凌ぐ人がいるなんて、実に信じがたい。つまらないちょっとしたミスが死につながることもあるというのに・・・」
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と嘆息するのは、アイガーを舞台にしたIMAX映画「アルプス ~ 挑戦の山 ( The Alps ) 」の主人公ジョン・ハーリン氏だ。
アーノルド氏は、想像した以上にうまく登れたとこの特別な日を振り返る。切り立つ崖、嵐、そして雪崩。これまでに数え切れないほどの命がこの山で消えていった。
swissinfo.ch : 登山中に「こんなところで一体何をやっているんだろう。恐ろしく危険なことじゃないか」などと思った瞬間がありましたか。
アーノルド : まったくありませんでした。一度もです。落下を考えた瞬間さえありませんでした。とにかくすごく集中していたので、そのような考えは浮かばなかったようです。登り始めるまでは怖かったのに、一歩踏み出してしまったらその恐怖はどこかへ行ってしまいました。
swissinfo.ch : この日、同じルートにはほかにも20人いました。こんなに多くの人と一緒だと自分のペースで登ることが困難ではありませんか。
アーノルド : 「神々のトラバース ( 横断 ) 」と呼ばれる所 ( 山頂近くの急勾配でむき出しの地点 )では少々危険だったので、かなり慎重に登りました。ほかの人たちが前にいたので追い越さなければなりませんでした。注意深さが要求されます。
ただ、同じルートを登る人がほかにもいると良いこともあります。登りやすい道筋がついていて、ほとんどのホールドは雪に覆われていませんでした。不利な点といえば、時々追い越すために少し待たなくてはならないことです。
swissinfo.ch : つまり、もっと早い記録も可能だったのでしょうか。
アーノルド : そうとは思いません。もう終わったことなので、後悔はありません。
swissinfo.ch : どのぐらい前から、記録更新を計画していましたか。
アーノルド : 約2年前、挑戦してみたいと思いました。それから2年間、おそらく3回ほどアイガーを目指して家を出発しました。「さあ、今日こそトライするぞ」と。ところが、いつもルートに入る前に断念。登山コンディションがいまいちだったり、わたし自身の調子が良くなかったりといった具合でした。
swissinfo.ch : 今回の登攀に向けてどのようなトレーニングをしましたか。
アーノルド : これといった特別なトレーニングはまったくしませんでした。山岳ガイドなので、山はいつも登っています。ただ、わたしにとって最良の準備は身体面よりもむしろ精神面。わたしは強靭な神経の持ち主だと自分では思いますが、これは重要です。
swissinfo.ch : 北壁は以前にも登っていますね。
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アーノルド : これまでアイガーにはいろいろなルートで6、7回は登頂しています。ヘックマイヤー・ルートは最も頻繁に登ったルートです。今回の登攀の1週間前にもこのルートを登っていたので、コンディションが良いことは知っていました。雪は少し固めで、岩は乾いていて、氷は多くありませんでした。本当にすばらしい登攀でした。
swissinfo.ch : ウエリ・シュテック氏に彼の記録を破ろうと思っていることを話しましたか。
アーノルド : その前に、実は記録更新をそこまで真剣に考えたことはありませんでした。これまで速さを競って北壁を登ったことがなかったからです。頭の片隅では記録更新が一つの目標になると考えていたかもしれませんが、スタートしたときにはそのような考えはもうありませんでした。むしろ、予行演習か練習だと言い聞かせました。そうでなかったら、プレッシャーが大きすぎたと思います。
「神のトラバース」にさしかかったとき、時間を確認しました。時計は午前10時44分を指していて、登り始めてわずか1時間40分しか経っていない。これには驚きました。これで一気にモチベーションが上がり、それは疲れを凌ぐほどでした。
ウエリには事前に話しはしませんでしが、下山したその晩に携帯電話からメッセージを送りました。彼にはメディアからではなく、わたしから最初にその知らせを届けたかったのです。彼は今、ヒマラヤにいます。
swissinfo.ch : シュテック氏の反応はどうでしたか。
アーノルド : 祝福してくれました。あと、どう登ったか、どんな用具を使ったかについても聞かれました。
swissinfo.ch : シュテック氏は全ルートをロープを使わずに登攀しましたが、あなたは2回使いました。そこにはどのような違いがありますか。
アーノルド : ロープを使うと、おそらく3、4分は早くなるかもしれません。わたしも ( ロープを使わずに ) フリークライミングで登りたかったのですが、それができるほどコンディションは良くありませんでした。一部、雪のない所があり、そこはロープなしでは無理なので。
swissinfo.ch : 次の挑戦は何ですか。
アーノルド : ウエリのほかの記録に挑戦するつもりはありません。それがわたしの目標ではないからです。それよりも、( ルート上に氷があればアイスクライミングもする )ミックスクライミングに取り組みたいと思っています。今年の秋はヒマラヤで新しいルートを開拓する予定ですが、どの山かはまだ言えません。
ダニー ( Dani ) ことダニエル・アーノルド氏は1984年にスイスに生まれる。14歳で登山を始め、現在はウーリ州ビュルグレンに住んでいる。
今回の新記録は、午前9時5分にヘックマイヤー・ルートに入り、午前11時33分に登頂。ウエリ・シュテック氏の記録をほぼ20分縮めた。
スイスの非常に難易度の高いミックスルートの登攀 ( とうはん ) で有名になる。ミックスルートとは、雪上、氷上のほか、登りにくい岩場でピッケルとアイゼンを使いながら登攀するルート。
2010年、南米パタゴニアのトーレ・エガー ( Torre Egger ) でスイス人登山家シュテファン・ジークリスト氏とトーマス・ゼンフ氏と共に初の冬季登攀に成功。
アイガー北壁は世界有数の絶壁に数えられる。岩や氷の塊が下にいる登山家に向けて落ちてくることもある。アイガー周辺の天気がさほど悪くなくても、高さ1800メートルの壁は凶暴な嵐を捕らえるバックネットのような働きをする。
ヘックマイヤー・ルートは北壁登攀の最も容易なルート。それでも国際基準では2番目に難しい「超難関+ ( プラス ) 」とされ、かなり要求度の高いルート。登山技術とコンディションにもよるが、ほとんどの登山家は登攀に1~3日間を要するのが普通。
( 英語からの翻訳、中村友紀 )
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