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国連は失敗?国際連盟の歴史から分かること

Le président Woodrow Wilson parmi la foule, le jour de la signature du traité de Versailles, le 28 juin 1919
第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が調印された1919年6月28日、シルクハット姿のウッドロー・ウィルソン米大統領(当時)はパリ市民の熱狂的な歓迎を受ける。しかし、国際連盟の主唱者だった同大統領はその後、米上院で反対に遭い、ヴェルサイユ条約の批准および国際連盟への加盟は否決される。米ロックフェラー財団が国際連盟内で保健衛生などの分野で積極的に活動し、資金提供を惜しまず、影響力を持つことになるとしても、この大国の不参加は国際連盟最大の弱みだった Gallica.bnf.fr/Bibliothèque nationale de France

創設75周年を記念するはずの国連総会は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、オンラインも併用する史上初の形式での開催となった。会場は人影もまばらでゴーストタウンのようだ。国連の手腕、さらには存在意義が改めて問われている。

例年であれば米ニューヨーク・マンハッタンの高級ホテルを満室にする政府代表団の姿が無く、国連事務局ビル周辺は静まり返っている。第75回国連総会の壇上には一般討論演説を行う国家元首の影すら見えない。

国連創設75周年を祝う雰囲気ではない。新型コロナの世界的流行、その国際的な対応、経済的な悪影響だけではなく、アジアや中東の軍事大国の間で高まる緊張によって、国連が体現する国際秩序は激しく揺さぶられている。国家主義の指導者らは世界中で不和の種をまいている。国連の努力にもかかわらず、地球温暖化への国際的な取り組みが始まったばかりであることは言うまでもない。

そこで疑問が次々と湧いてくる。多国間主義は危機に瀕しているのか?1945年に構築された世界秩序―国連および世界貿易機関(WTO)の前身であるGATT(関税貿易一般協定)などの国連機関―は崩壊しつつあるのか?国家のエゴイズムは最終的に国際協力を台無しにしてしまうのか?

これらの問いにイエスと答える人が多い。しかし、ジュネーブ国際開発高等研究所(IHEID)のダヴィッド・ロドーニョ教授外部リンク(国際関係史)はより慎重だ。これらの政府間組織は何ができ、何をしたいのか、なぜいくつかの目標は達成できないのかと問う方が意味があると同教授は考えている。国際連盟の歴史を調べると、その浮き沈みが、多くの面で、国連の過去と現在の困難に反映していることが分かる。

理想と厳しい現実

国連はいつでも理想を振りかざして、成果や目標を発表し、自らの過ちに触れることはない。マーケティングとソーシャルネットワークの現代において、この傾向は強まっている。そのため広報内容が国連の評価基準になるが、実態はそれほどでないことが多い。このギャップは繰り返し世論によって指摘されている。「国連には自己批判がほとんど見られないため、自省は低劣。政治と倫理をごちゃまぜにし、説得力を欠くことが多い」とロドーニョ教授は話す。

その一方で、国際連盟と国連は、難民、保健衛生、交通、通信、貿易といった分野に重要なイノベーションをもたらしたと強調する。

例えば、国際連盟設立からの100年を通じて要となってきた原則の1つ―民族自決権―を例に取ろう。民族自決権は、米国のウィルソン大統領が第1次世界大戦末期に発表した「14カ条」に表れている。ドイツと連合国側との間で締結された講和条約で、国際連盟の設立承認を含む1919年のヴェルサイユ条約の内容に14カ条は大きな影響を与えた。

国際的駆け引きの勝者

「14カ条は文明国を自任する国々にしか通用しない」とロドーニョ教授は主張する。第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国の廃墟から出現した民族独立の願望は、ヴェルサイユ条約で部分的に認められた。しかし、その後、民族自決権は大国間の条約によって抑制され、中東ではフランスと英国に付与された委任統治に取って代わられた。

「委任統治は欧米列強の帝国主義の表れだ。暴力的で抑圧的な植民地体制だったため、アジア、アフリカ、中東で広がった民族運動との戦いは続くことになる」と同教授は強調する。

しかし、この時代背景を考慮すると、国際連盟は解放的で革新的な機構でありえただろうか?民族自決権は真に尊重されていたのだろうか?同教授の説明によると、「土台無理だった。国際連盟は第一次世界大戦の戦勝国が表明した意思であり、戦勝国はすべて植民地帝国だったからだ。戦勝国は自分たちのイメージに合わせて国際連盟を作った」

このことは国連についても当てはまる。たとえ国連が独立した旧植民地諸国を統合し、民族運動に共鳴したとしてもだ。国連の普遍主義とは、安全保障理事会の常任理事国5カ国をはじめとする加盟国が認めることだ。

平和とその代償

平和と国際安全保障は、国際連盟のように国連の存在意義である。「第一次世界大戦を二度と起こすことのないよう手を尽くしたいという考えに国際連盟は執着していた。この究極の目的のために、国際連盟は、通信手段の発達や、貿易や難民保護を調整する枠組みの発展に活動範囲を広げようとした」とロドーニョ教授は指摘する。

「国連と少し似ているように、国際連盟は、加盟国よりも大きい正当性をもつと信じて何もかも調整しようとした。しかし、この姿勢は昔も今も、財布のひもを握る大国のパワーゲームとは全く相容れない」と同教授は説明する。

多国間主義の危機?

ロドーニョ教授は、多国間主義が危機に瀕しているとは考えていない。「多国間主義の危機がよく話題になる。しかし、人知れず多国間主義が機能している分野はたくさんある。そして、威信、権威、正当性を保ちながら、国連は非常に重要な役割を果たし続けている」

国連は、国際連盟のように、加盟国が同意する分野でしか行動しない。しかし、最悪の事態を免れることができないときがあっても、国連は事態を前進させることができる。国際連盟が構想した難民高等弁務官は、国連の下で実現した。また、国際労働機関(ILO)が第二次世界大戦を生き延びた。これらはほんの数例にすぎない。しかし、これらの国際機関は今も昔も大国の善意に依存している。そして、大国はいつも国際舞台における自国の目的や利益に応じて国際機関を利用しようとする。だから、今日のように国際的な緊張が高まると、これらの国際機関は揺らぎ始める。

仏語からの翻訳・江藤真理

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