まもなくお目見え、スイスの培養チョコレート
スイスの新興企業フードブリューワーが細胞培養チョコレートを2026年までに商品化する準備を進めている。同社の創業者はカカオとコーヒー生産に革命を起こしたいと意気込む。一方で、こうした新規食品は倫理的、文化的、そして環境にどのような影響を及ぼすのか?
実験室生まれのチョコレートは一体どんな味がするのだろう?それは驚くほど美味しい。程よい硬さで、ちょうど良い具合に細かく砕ける。甘みと苦みが調和した芳醇な心地よいアロマが舌の上に広がる。
舌の上でとろけると、どこか遠い土地を思い起こさせるようなシンフォニーを奏で始める。
まるで伝統的なチョコレート工房のワークショップでの一コマのような感覚体験だが、私たちが今いるのは、チューリヒ湖畔ホルゲンにある新興企業「フードブリューワー(Food Brewer)外部リンク」の殺風景な無菌のチョコレート製造用試験施設だ。作業台には、ピペット、試験管、トング、スパチュラ、はかり、温度計などの様々な実験器具が並び、その周りで実験衣の人々が働いている。いずれも最先端の生物学や細胞工学の研究者だ。
同プロジェクトのリーダーで生物工学専門のノエミ・ヴァイス氏がチョコレートの製造方法を説明する。「まずカカオ豆から細胞を採取する。これを寒天培地に置くと増殖が始まり、カルスと呼ばれる一種の修復組織が形成される。2週間後に顕微鏡でここから適切な細胞を選別する。この作業には人工知能も利用する。この細胞を糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養分が豊富な栄養液と一緒にバイオリアクターに入れる」
バイオリアクター内で細胞が成長し最初の「収穫」ができるまでには数週間かかる。「次に(収穫物を)乾燥させてカカオパウダーにする。これを焙煎すればチョコレートの製造に使える状態になる」とヴァイス氏は説明する。(詳しい工程図外部リンクはスイスの研究雑誌「ホライズンズ」を参照)
こう聞くと簡単な工程に思えるかもしれないが、その裏には、同社が2年かけて積み上げてきた研究成果のノウハウが詰まっている。2021年に設立されたフードブリューワーは、カカオとコーヒーの生産に革命を起こすことを目指している。
同社の共同設立者で最高経営責任者(CEO)のクリスティアン・シャウブ氏は「細胞培養のアイデアに私は一瞬で魅了された」と言う。「この製法は、カカオとコーヒーの生産に革命を起こす可能性を秘めている。そうなればこの業界の環境的な持続可能性や人類にとっての公平性が高まる」
2026年までには市場に
工業型農業の慣行は土壌の劣化、水質汚染、生態系の破壊を招いた。更に気候変動による気温上昇と頻発する異常気象が、深刻化する食糧生産問題に拍車をかけている。これを受けて世界最大級のカカオ生産地域の西アフリカではカカオ生産量が大幅に減少し、2024年のチョコレート価格は急騰した。
こうした状況はフードブリューワーにとって追い風となっている。「最近、多くの生産者から問い合わせが来ている」とシャウブ氏は言う。「農作物の質や量を損なう原因となる気候条件や害虫の有無に影響されない弊社の技術の優位性に、彼らは関心を寄せている」
同社は2022年、ごく少数のメンバーで試験を開始。2年で従業員を20人に増やした。従業員は世界各国から来ている。今年2月には、「シードラウンド」(創業直後のスタートアップが行う投資ラウンド)で500万フラン(約8億6千万円)超を資金調達した。スイスのチョコレートメーカー大手のマックス・フェルヒリンも協力企業に名を連ねる。同社はこの技術を安定供給の確保と多様化の機会と捉えている、とフードブリューワーは言う。
「協力企業と共に、細胞培養チョコレートを2026年までに商品化したい」とシャウブ氏は意気込む。「来年上半期に米国食品医薬品局(FDA)に申請する。2026年には承認されるはずだ」
フードブリューワーの製造施設内では、話し声が壁を反射して響き渡る。しかしここにはまもなく、ビール醸造所にあるようなステンレス製タンクが数十基設置される予定だ。2035年までに年間数万トンのカカオ生産を目指す。
シャウブ氏は「地産の『ゼロキロメートル』カカオは、フェレロロシェのようなチョコレートメーカー大手の需要の2割を満たせる」と話す。「当社のカカオパウダーはもはやニッチ商品ではない。食品産業の基幹素材となるだろう」
「シルバー革命」
カカオ生産の現状は厳しい。ガーナ、コートジボワール、エクアドルなどの国々に集中する従来型栽培は、土地の集中利用、農薬・重金属汚染の進行、生物多様性の喪失、気候変動の影響に苦しめられている。
チューリヒ応用科学大学(ZHAW外部リンク)の研究者で、同僚のレジーヌ・アイブル氏、ディーター・アイブル氏とこのチョコレート製造技術を開発したティロ・ヒューン氏は「2050年までに世界人口は100億人に達する。従来の方法で食糧生産を続けるのは持続可能ではない。細胞培養はこれに代わる選択肢だ」と話す。
環境にもたらすプラス効果も指摘する。「土壌を元の自然に戻し、生態系を回復し、生物多様性のための空間を作り出す。そうした素晴らしい可能性も秘めている」
ヒューン氏は農家に生まれ、自然に囲まれて育った。この変革を製造所のステンレス製タンクの色になぞらえて「シルバー革命」と呼ぶ。「微生物が二酸化炭素をタンパク質に変換するメタ・シンセシス(質的研究の統合)のような新技術は、地球規模の食糧問題の解決の契機となるかもしれない。特に従来型生産が困難な砂漠地帯や都市部に恩恵をもたらすだろう」と熱く語る。
こうした革新的技術は大きな可能性を秘める一方、実用化には多くの困難を伴う。主な障害の1つは、欧州、米国ともに新規食品の承認に時間がかかることだ。「食品生産がごく少数の大企業の手にわたるリスクもある。そうなれば世界の不平等は進み、特に発展途上国で新たな食糧不安を生み出す危険性がある」と同氏は警告する。
成功の鍵はおいしさ
もう1つの試練は、実験室発の食品を消費者が受け入れるかどうかだ。最大の難関といっても良い。スイスのシンクタンク「ゴットリーブ・デュットヴァイラー研究所(GDI)外部リンク」の食品・消費の専門家、クリスティーネ・シェーファー研究員は「GDIの調査によれば、革新的な食品の多くがスイスではあまり受け入れられていない」と話す。だが調査には限界があるとも指摘する。「まだ市場に出回っていないため、回答者は一度も試したことのない商品について意見を述べなければならない」
成功の鍵はおいしさだと同氏は言う。「消費者の一番の基準は、その商品が慣れ親しんだ味と同等か、それ以上においしいか」であり、ここがクリアされて初めて、持続可能性などの他の利点が考慮される。
シェーファー氏は「実験室で作られたチョコレートはおいしく、かつ人にも地球にもやさしいものになれる」と話す。だがGDIの最近の調査報告書外部リンクは、これらの要素だけでは不十分であり、新規食品はその土地の食文化を尊重し、伝統と革新の調和を図らなければならないとしている。チョコレートの場合、これを達成するのはさほど難しくないはずだ。少なくともフードブリューワーはそう願っている。
シャウブ氏は「実験室で生まれたチョコレートが、スイスのチョコレートメーカーの最高の熟練の技と伝統を受け継ぎながら、高品質、持続可能、進歩の代名詞となる未来はきっと来る」と話している。
「新規食品」とは、当該国でこれまで人による相当量の消費がなかった食品であり、当局の許可による安全性の保証が求められる。新規食品は「伝統的食品」と「革新的食品」の2種類に細分化される。伝統的食品は、スイスや欧州連合(EU)諸国では新規だが、他の地域では既に一般的に消費されている食品を指す(例:チアシード)。原産国で長く消費されてきた歴史があるため、承認プロセスは簡略化される。一方、革新的食品は、新しいプロセスや技術で開発されたものを指す。昆虫プロテインや培養肉などがこれに該当する。安全性の保証に要する長期的研究が乏しいため、より複雑な承認プロセスが必要となる。
出典:ゴットリーブ・デュットヴァイラー研究所(GDI)外部リンク調査報告書「Good Conscience from the Lab?外部リンク(実験室からの良心?)」、欧州委員会外部リンク
食糧生産の未来についての倫理的考察
実験室における食品の生産は、食糧生産の未来についての問題を提起している。例えば農業界、農作物、人と自然の関係において、どのような意味を持つのか、というようなことだ。
「脱領土化」、つまり土地を使わない食糧生産は、生態系への負荷削減、再野生化の機会提供、生物多様性の保護促進などの利益をもたらすという利点が期待できる。一方で、特に農業を最大の収入源とする発展途上国で農民の土地離れを助長する可能性がある。より公平な未来のためには、新技術の恩恵を共有し、誰もが利用できることを保証する規制の導入が求められる。
出典:「Metasynthesis in food production: a revolutionary shift in the way we feed the world外部リンク(食糧生産におけるメタシンセシス:世界の食糧供給の革命的転換)」ティロ・ヒューン著
編集: Daniele Mariani、 イタリア語から英語への翻訳: Julia Bassam/gw、英語からの翻訳:佐藤寛子、校正:宇田薫
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