「VRには何もできない」 スイスのアニメーターが語る限界と可能性
スイス生まれでフランス在住のアーティスト、ファビアンヌ・ギゼンダナーさんは、2Dの世界から仮想現実(VR)に飛び込んだ。昨秋プラハで開催されたVR祭典に短編アニメーション映画「Bloom」を出品。アートとテクノロジーを結びつけて映像を創作するには大きな「限界」があると語る。
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「仮想現実」とも呼ばれるバーチャルリアリティ(VR)をアート作品として形にするには、技術的な制約がある。VRの世界を見て「体験」するには、まずプラスチック製のVRヘッドセットをかぶらなくてはならない。機器に少しでも不具合が生じたり、コードが手や足にからまったり、外で音がしたり体で何か感じたりするだけで、幻想の世界からたちまち現実に引き戻されてしまう。
アーティストがVR体験を生み出す作品づくりをしたいと望むなら、どのようなプログラミング技術を使うかについてある程度知っておくとよいだろう。理想とする作品を作るのに、技術面で自分の手に余る場合は、エンジニアの手を借りなければならない。ところが、技術者はテクノロジーの現実にとらわれ、アーティストが描くビジョンに水を差すことになりかねない。
2024年10月、チェコ・プラハの現代美術センターDOXで、VRとイマーシブ(没入型)アートのフェスティバル「ART*VR」が開かれた。会場で感じたのは、VRアートには表現形式として限界があるということだ。展示スペースでは、キュレーターが選んだ作品の数々が並び、来場者は各自で自由にヘッドセットを付けて体験することができる。これとは別に国際コンペティション部門の上映もあり、観客がセンターのワンフロアに会してヘッドセットで同一の代表作品を観賞する。
VRアートは最先端の表現形式だと思われている。だがその技術はまだまだ初歩的なものにすぎない。作品の長さはせいぜい25分間。技術的にこれが限界で、ヘッドセットの付け心地が悪く、サーバー酔いするという現実的な心配もある。作品はほとんど、デジタル制作のアニメーションか、実世界を全方位カメラで撮影した実写の短編映画かのどちらかだ。
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制約から逃れるすべはない。アニメを動かすグラフィックは、10~15年前のビデオゲームの域を出ていない。実写映画は、現実を超越した世界に入っていけるかのように装ってはいるが、例えば空が一面ギザギザになっているなど、画像圧縮の跡がはっきりと見える。
VRヘッドセットを生産しているのは、フェイスブックを運営する米メタ社。流通も製造も同社が市場を独占している。
VRアートに挑むスイス人アニメーター
「ART*VR」のコンペティション部門で、アニメーション映画「Bloom」(2023年)が上映された。監督は、スイスとフランスの二重国籍を持つファビアンヌ・ギゼンダナーさん(57)。2Dアニメーターとして成功を収めていたが、50歳を過ぎて、VRでアート作品を作れないかと興味を持つようになったという。プラハでインタビューした筆者に、作品制作にかかる制約がいかに大きいかを驚くほど熱く語った。
「アニメーターとしては、フラストレーションを感じることがあります。作画デザイナーに鳥を10羽描いてほしいと頼んだとしましょう。すると、データが重くなるので無理だ、3羽が限界だと言うのです。もちろん始めた当時(2016年)よりはましです。ですが今なお、1カットにつき200メガバイト程度に抑えないといけません。これはかなり難しく、常に妥協を強いられています」
それに、VRならではのストーリー形式や語り方もある。「(イマーシブな動画を作るには)『もしAならばB』といった条件法でシナリオを書かなければいけないのですが、これが大変です。つまり、視聴者がこの鳥のアニメーションを見たら、次にあのアニメーションが始まらないといけない、と構想していくことが必要です。こんなふうに何時間も考えていると、頭が痛くなります」と笑う。「でも夜になって夕食を取っているうち、ようやく、自分たちの思い通りになるあらゆる可能性があることがわかってくるかもしれません」
デジタル世界に現れた花咲く森
VRはまだ黎明期にすぎない。ほとんどの作品はおなじみのパターンに当てはまる。題材となるのはどれも重いトピックばかりだ。映画評論家のロジャー・エバートさんはかつて映画を「共感を生み出す機械」と評したが、同じような発想でVRは神格化されている。
「ART*VR」の出品作では、流産や産後うつに苦しむ母親の苦悩を観客が追体験したり、朝鮮人が慰安婦として虐待を受ける戦時の闇を目の当たりにしたりする。イ・サンヒ監督「Oneroom-Babel」(2023年)は、ゆったりとして豊かな質感があり、自意識に近い実験的な映像だが、このような作品でさえ、現代韓国の住宅事情に対して問題提起したものだと作家自身が説明している。
「Bloom」では、悪夢のような気候変動に見舞われた世界に入り込む。舞台は、スイスとの国境に近いフランス中東部の町オルナン。はるかに、クールベ美術館がそびえ立っているのが見える。ここは19世紀フランス画家ギュスターヴ・クールベの生誕地として有名で、監督ギゼンダナーさんが住む町でもある。
青白い燃えかすが、ちらちらと宙を舞っている。遠くで鳴り響く警報のサイレン。パニックの喧噪。1羽の鳥が現れ、森へと導いてくれる。ここなら灼熱から逃れられる。そっと自分の手(ゴーグルの先にある、本物の手)を見ると、そこから小枝が生えている。両手首は苔で覆われている。左手いっぱいに花が咲き始めた。私は森になった。
ギゼンダナーさんは、成功した2Dアニメーターとして、VRアートの課題や限界にどのように取り組んでいるのだろうか。「最初にストーリーを書きます。次に(共同制作者と私で)音を組み立て、基本的なアニメーションに取りかかります。例えば、先ほどお話ししたような、行動を引き起こす鳥の動きです。それから作画者や背景美術のスタッフと打ち合わせをします。ゲームエンジンUnityの開発者(設計者)にも、作品世界でどのような動きをイメージしているのかについて共有します」
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スイスのVR制作は発展途上
ギゼンダナーさんはスイス生まれだが、現在はフランスに在住しVRアートを教えている。その理由は現実的だ。「スイスとフランス、両方のパスポートを持っています。どちらが資金調達しやすいかによって両国を行き来します。どちらかの国でプロデューサーが見つかれば、自分も共同プロデューサーになれます。2カ国で活動できると物事がスムーズに進みます。アーティストが2つのパスポートを持てるのはいたって幸運なことです」
イマーシブメディアのアートコミュニティは、スイスではまだ発展途上だ。これからVR作品の制作が進み、広まっていくと思わせる注目すべき動きはあるものの、まだ初期段階にすぎない。
「フランスにはすでに大きなコミュニティがあります。共同プロデューサーや優秀なキュレーターがいて、助成金制度もあります。スイスでは(2023年に「Bloom」がプレミア上映された)ジュネーブ国際映画祭(GIFF)が開かれ、それはすばらしいことです。でも、スイスではまだ始まったばかりですね。率直に言えば、賃金が高く、VR作品を制作したいという人はまだあまりいません」
資金調達も重要だが、知識の問題もある。VRは日が浅いメディアで、高度なプログラミング技術が必要なため、若手アーティストの多くにとってまだなじみが薄く、縁遠い存在だ。
「教え子は主に、映画、演劇、アニメーション、ダンスの出身です。VR制作を始めて、その仕組みがわかってくると、学生たちは何でもできると思うようになります。『何もできない』と伝えるのが私の仕事なのです」とギゼンダナーさんは笑う。「作り手として、視聴者が果たす役割を考えなければなりません。順序立てた物事の進み方を考える必要があります。受け身のVR体験を私は好みません。見る人に、なぜ自分がその体験の中にいるのかをわかってほしいのです」
VRの可能性と落とし穴
どのような表現形式のアートであれ、とりわけ出現したばかりの頃は、その実現に必要な技術の制約を受けるものだ。新たなテクノロジーの進展によりアーティストが初期の形式の制限から解き放たれるにつれて、生み出される作品もまた、より自由で、複雑なものになっていく。
映画と比べてみよう。映画は見た目こそVRに似ているかもしれないが、せいぜい遠い親戚にすぎない。「Grand Theft Hamlet」(2024年)は、舞台役者たちがゲームの中で「ハムレット」を上演しようとするドキュメンタリー。撮影は、ゲーム内の携帯電話のカメラ機能を使って行われた。このようにシネマカメラを使わないで制作し、劇場公開もなく配信でヒットするデジタル動画でさえ、「映画」とみなされている(ただし「Grand Theft Hamlet」は劇場でも上映された)。
私はこの古い世界にとらわれすぎているのかもしれない。「Bloom」のような作品を視聴していると、ゴーグルとヘッドホンをつなぐ変哲もないコードが気になるし、また他の作品では、映像を流すPCとの配線に気を取られてしまう。ヘッドセットがぴったりフィットすることはなく、鼻筋の隙間から自分の膝が見えて、浮遊感が台なしになる。このように、VR特有の技術的な制約のせいで、これが本当にイマーシブ体験できる表現形式であるとはなかなか考えにくい。
だが同時に、今回のフェスティバルでは、来場者がイマーシブ空間を体験できるバーチャルツアーも開かれていた。複数の人がVRChatプラットフォーム上で、時間を気にせず心ゆくまで、ガイドに従ってバーチャル世界の中を移動する。
はたから見ると、明らかにローテクな光景だ。それでもツアー参加者が皆、緻密にデザインされたデジタル世界(今回はビデオゲームのようなもの)を動き回る旅に乗り出し、喜んでいたのは間違いない。可能性の扉を開く力は、確実にある。少しずつ、1つずつであっても。
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編集:Catherine Hickley/ts、英語からの翻訳:宮岡晃洋、校正:ムートゥ朋子
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