ガザ住民が撮る日常 スイスのパレスチナ映画祭で高まる関心
11月28日~12月2日にスイス・ジュネーブで開催された映画祭「パレスチナ~撮影することは存在すること」は、イスラエル軍とパレスチナのイスラム組織ハマスの戦闘によって厳しい試練にさらされるパレスチナ映画をたたえるため、2012年からほぼ毎年開催されている。13回目となった今回は、パレスチナ自治区の飛び地であるガザに閉じ込められた住民が自らカメラを回した、未公開の短編映画が上映された。
映画祭「パレスチナ~撮影することは存在すること外部リンク」の共同主催者であるキャサリン・ヘス氏は「2023年10月7日以降、ガザでは映画を撮影することが事実上不可能になった」と言う。イスラエルとハマスの戦闘が始まって以降、パレスチナ自治区ガザで命を落とした記者の数は130人以上に上る。イスラエル軍は外国人記者のガザへの立ち入りを禁止しているため、犠牲者の大半はパレスチナ人だ。
ガザに開かれた窓
こうした「報道規制」に抵抗するため、パレスチナ人映画監督のラシド・マシャラウィ氏は、ガザの住民に20台のカメラを手渡した。カメラを手にした住民たちの大半は素人だった。「グラウンド・ゼロから」と題されたこのプロジェクトでは、フィクションとドキュメンタリーを織り交ぜた22本の短編映画が制作された。これらの短編映画はガザ住民の日常生活を映し出す窓として、映画祭の各回で紹介されている。
映画祭の運営にも紛争の影響を感じていたヘス氏は、次のように説明する。「これは2023年末以降もガザの住民と私たちを直接つないでいる数少ない手段の1つだ。私たちにとって、上映会ごとにガザの人たちの物語を紹介することが重要だと思った。連絡が取れなくなったガザの映画制作者もいれば、家が破壊され、フィルムを含むすべての資料を失った人もいる」
ガザ以外のパレスチナ自治区でも、撮影環境は厳しい。「撮影はパレスチナ自治区のヨルダン川西岸で再開することができたが、状況は非常に複雑だ。移動は厳しく制限されており、検問所で管理されているため、撮影班は隣国ヨルダンで撮影をすることが多い」とヘス氏は語る。それでもなお、パレスチナ映画に対する期待は変わらないという。「戦争が始まってから、映画祭への参加者は倍増しており、今回は前回より大きな会場を探さなければならなかったほどだ。あらゆる階層の人たちが、今何が起きているのか理解しようとしているのだ」
恐怖に直面する尊厳
上映された映画の背景にはイスラエルによる占領があるが、これらの作品は紛争を語ることに限定されているわけではない。ヘス氏は次のように強調する。「映画制作者は自分たちの日常生活を描写している。確かに紛争もその一部ではあるが、制作者はパレスチナの状況の複雑さや人々の情感を、時には軽妙に、またある時はユーモアを交えて前面に押し出そうとしている」
作品のほとんどは、昨年10月7日のハマスによるイスラエルへのテロ攻撃の前に制作されたもので、ヨルダン川西岸やエルサレムに住むパレスチナ人が移動制限によって妨げられている海に思いをはせる夢など、時代を超えた幅広いテーマを扱っている。そのほか、ヨルダン川の乱開発で干上がった死海や、考古学的遺産の略奪、歴史的にパレスチナ人の抵抗の拠点となってきたジェニン難民キャンプについて探求した作品もある。ヘス氏は「パレスチナの映画制作者にとって、非人間的な扱いを受けているパレスチナ人の尊厳を守ることは極めて重要だ」とした上で、こうした信念は作品の中に表れていると説明した。
分断を乗り越えるための文化?
先月初めにはスイス・チューリヒでユダヤ映画祭が開催された。この2つの映画祭の間で、やり取りはあるのだろうか? ヘス氏は、ユダヤ映画祭については何も把握していないが、映画祭以外の場で互いの作品を交換することなどは考え得るとして、「例えば、イスラエルのエヤル・シバン監督を招待してみたい」と語った。同氏は、映画は社会を分断する対立を超越するものだと強調する。「文化の面ではこうした対立は存在しない。パレスチナの映画制作者は、自分たちが見たものを描写しているのだ」
パレスチナ映画祭で選ばれた作品は、ハマスが組織した昨年10月7日のテロ攻撃についても批判的な見方をしているのだろうか? ヘス氏によると、同映画祭で昨年上映されたコメディー映画「A Gaza Weekend(仮訳:ガザの週末)」は、感染症が大流行した後に、パレスチナの飛び地であるガザが唯一安全な場所になる世界を想像したものだったという。この映画は、ガザを通って逃げようとするイスラエル人をパレスチナ人が助けるという設定で、ハマスに対する批判がほのめかされていた。
他方でヘス氏は、イスラエル人入植地への立ち入りを禁止されているパレスチナの映画制作者は、相手側の視点を作品に取り入れることができないことが多いと指摘する。「パレスチナ人には決して撮ることのできない被写体もある」
イスラエル人とパレスチナ人の友情
パレスチナ系スイス人のイバン・ヤグチ監督は、イスラエルとパレスチナの紛争を多角的にとらえるという課題を自らに課している。同監督のドキュメンタリー映画「Avant il n’y avait rien(仮訳:かつては何もなかった)」では、ジュネーブ出身の幼なじみで、現在はヨルダン川西岸のイスラエル人入植地に住んでいる人物に会うため、監督自ら苦難の旅に出る。ユダヤ民族主義者であるこの友人は、パレスチナ系のヤグチ監督が居住することのできない地区に住んでいる。
ヘス氏は、スイスの旅券(パスポート)と2人の友情によって、ヤグチ監督はイスラエル人入植地に潜入することができたと説明。「これはパレスチナ人映画監督にとって初めての快挙だ」とたたえた。
ヤグチ監督は、「この長年の友情によって、私たちは互いに意見を突き合わせることができるかどうかを確かめたかった。けれども、残念ながらそれは実現しなかった」と振り返る。撮影が数カ月ほど進んだ頃、両者の亀裂が浮き彫りになってくると、友人は弁護士を伴い、プロジェクトを中止するよう監督に申し入れた。結局、作品全体を通して友人の顔にぼかしを入れることになったが、これにより、内容が普遍化されるという予期せぬ効果をもたらした。ヤグチ監督は、「互いに愛し合い、相違があっても理解しようとするこの友人の話は、誰にでも当てはまるのだ」と述べた。
同監督のパレスチナ人としてのアイデンティティーを理解するための個人的な探求となったこの生々しい物語は、ユダヤ教の聖職者やイスラエルの国境警備隊員、農民やパレスチナ難民など、数多くのインタビューによって彩られている。だが、一人称で語られることの多いドキュメンタリー映画で、客観性を持たせることはできるのだろうか?
ヤグチ監督はこう答えた。「幼なじみというものは、直接的な感情だけでなく、心の機微まで伝わるものだ。もはや敵を悪者扱いするのではなく、理解しようとするのだ。それが不可能になった時、この作品は私の見方の進化をたどる旅の記録になった。このような主観は受け入れられている」
2018~23年にかけて撮影されたこのドキュメンタリー映画は、現在の出来事によって重要性を増している。ヤグチ監督は次のように振り返る。「くしくも、私たちは2023年10月7日に作品を完成させた。この作品の上映は難しいだろうと心配していたが、実際に起きたことはその逆だった。パレスチナ文化に対する関心は、私が想像もしていなかったほど重要になってきている」
編集:Samuel Jaberg/livm、仏語からの翻訳:安藤清香、校正:ムートゥ朋子
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