スイス人の建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した、ロンドンの現代美術館テート・モダンの新館が今月、オープンした。普段あまりメディアに登場しないヘルツォーク氏とド・ムーロン氏がスイス公共放送のインタビューに応じ、自らの仕事について語った。(SRF/RTS, swissinfo.ch)
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テート・モダン外部リンクは2000年、ヘルツォーク&ド・ムーロン外部リンク建築事務所がロンドンの旧バンクサイド発電所を改築して誕生した。15年には約4700万人の来館者数を記録し、世界の現代芸術美術館の中でも大変人気の高い美術館となっている。
本館同様、新館もヘルツォーク&ド・ムーロンが設計を担当。16年6月には、新館のオープン記念式典が行われた。
「スイッチハウス」と呼ばれる新館は、ねじれたピラミッド型をした10階建てのタワーで、壁面はレンガで覆われている。スイッチハウスという名称は、ここが旧発電所の建物だった頃の呼び名を由来とする。
新館のユニークな外壁には発電所時代の趣が残っているが、そこには新しい発想が吹き込まれた。33万6千個の格子レンガには隙間があり、日中はそこから陽光が差し込んで建物内に模様が現れ、夜はその隙間から外に光が漏れ、建物が輝いてみえる。
ジャック・ヘルツォーク氏とピエール・ド・ムーロン氏の建築事務所は、北京オリンピックのメインスタジアム「バーズネスト(鳥の巣)」など、近年手がけた作品が極めて高い評価を受け、世界有数の建築事務所となっている。
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「バウハウス」の名声なき反逆児、ハンネス・マイヤー
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バーゼル出身のスイス人建築家ハンネス・マイヤーは1928年から1930年まで、世界に名をはせた独デッサウの造形学校「バウハウス」二代目学長を務めた。しかし、同じく同校の学長を務めたヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエほど有名になることはなかった。そんなマイヤーと彼のビジョンにスポットを当てた展覧会が現在、デッサウで開催中だ。
旧東ドイツにある小さな街デッサウは、かつてアバンギャルドのメッカだった。そこに1926年に建設されたバウハウス校舎は、今では世界遺産に指定され、世界中からファンが押し寄せる。光あふれるシンプルな建造スタイルから、照明器具、ドアノブなどのインテリアに至るまで、ここにはバウハウス様式の原形が残されている。
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現代建築の巨匠ル・コルビュジエ、今年で没後50周年
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ル・コルビュジエは、建築理論、都市計画、造形芸術の分野で世界的に影響を及ぼした。スイス西部ヌーシャテル出身で、1930年にはフランス国籍を取得している。シャルロット・ペリアンと、いとこにあたるピエール・ジャンヌレと共同で…
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パウル・クレー・センター10周年 クレーとカンディンスキーが放つ輝き
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ベルンのパウル・クレー・センターがオープンしてから10年。国際的なネットワークの支えもあり、同センターはようやくかつての悩みから開放された。同センターでは現在、開館10周年を記念し、同時代を生きた画家パウル・クレーとヴァシリー・カンディンスキーの展覧会を開催。世界的に見ても、これまでになく充実した内容となっている。
「2、3年に一度だけではなく、少なくとも1年に一度は集客力の高い展覧会を開催したい」と話すのは、パウル・クレー・センターのペーター・フィッシャー館長だ。「大きなインフラ設備が整っているのだから、それを生かさなければならない」
それと共にフィッシャーさんは、3年半前にディレクターに就任した当初から問題視していた二つの点を明らかにした。それは、たとえ画家パウル・クレーが近代を代表する画家であったとしても、一つのテーマに特化した美術館としてやっていくには、同センターは規模が大き過ぎ、またその運営にも費用が多く掛かるということだ。
「来館者数は、まだ低迷している」とフィッシャーさん。目指す来館者数は20万人だ。2014年の来館者数は16万6千人で、15年はさらに多くの来館者数を見込んでいるという。同センターが抱えていた悩みはもう過去のものになりつつある。
フィッシャーさんは「この10年間でパウル・クレー・センターの特徴が強化できたと考えている。同センターは新しい取り組みだったため、他から何かを採用することはできなかった」と話し、「開館当初から、専門分野において世界各国の美術館と協力するだけでなく、学会においても色々な貢献をすることで、同センターは国際的なポジションを得ることができた。国外で開催された、多くのパウル・クレー関連の展覧会にも関わってきた」と過去を振り返る。
そうした国際的なポジションの確立、他の美術館との交流や協力関係が、今ようやく実を結び始めた。一年ほど前にはロンドンのテート・モダン美術館で、また15年春には独ライプツィヒで行われたクレーの展覧会に協力。両展覧会は大きな反響を呼んだ。
日本では一般教養のクレー
パウル・クレー・センターは、日本の美術館とも深く結びついている。今夏には宇都宮市と神戸市で、同館所蔵のクレー作品を展示予定だ。「クレーは日本で広く受け入れられている。クレーは日本人にとても愛され、またよく知られており、モネやゴッホ、ピカソと同レベルの画家として位置づけられている」とフィッシャーさん。そのためか、同センターの外国人来館者数の3分の1、また夏のシーズン中はその半分を日本人が占めるという。
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ピーター・ズントー氏の美しい建築物
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スイス人建築家ピーター・ズントー氏は、立地場所に適し、機能性に富んだ建築を手掛けることで知られている。建築素材を吟味し、建物を取り囲む空気感も考慮する。その精巧さと完璧さが広く評価され、「建築のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞している。
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約900ページ・重さ6キロ ピーター・ズントー作品集の舞台裏
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スイス人建築家ピーター・ズントー氏は世界中で高い評価を受けているが、作品数は多くない。今年出版された作品集に寄せた文章の中で、本人は「建築家として、私は作家である」と自分を評している。モットーは、緻密さと芸術性だ。
「設計するときには、建物の内から外へ、外から内へ、そしてもう一度内から外へ向かって、全てが完璧になるまで考える」。作品集の前書きでズントー氏はそう説明する。
作品集には英語版もあり、約30年にわたるキャリアを詳しくたどる。有名な作品や、実際には建てられなかった作品を含む43点のプロジェクトを、写真や設計図、スケッチ、水彩画で紹介。建築界で名誉あるプリツカー賞を受賞したズントー氏本人が執筆した文章が添えられている。
編集を行ったトーマス・デュリシュ氏は、掲載するプロジェクトや資料をズントー氏と協力して選んだ。デュリシュ氏は、オーストリアのブレゲンツ美術館やヴァルスのスパなどのプロジェクトに参加し、ズントー氏とは20年来の知己だ。現在は自分の建築事務所を構えている。
「普通なら、自伝的な作品集は自分で作りたいと思うものだ」とデュリシュ氏は話す。「『ズントー氏とのコラボレーションはどういう感じなのか?彼のような働き方をする人が、自分の作品集の編集作業を本当に第三者に任せるのか?』と友人たちにも聞かれた」
「作品集では、私の存在を感じさせずに作品を提示したかった。これは異例のことで、通常は編者が解説したり分類したり順序立てて並べたりするものだ。私は、本人と作品に寄り添うアプローチを取ろうと思った」
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