ベルエポックのホテルに注目 ホテルとスイスの観光史
キッチュと軽蔑されていたベルエポック時代のホテルはいま、希少価値を認められるほどの存在。歴史的建造物として注目されている。
建築家のロランド・フリュキガー氏は、19世紀末から20世紀初頭までの「古きよき時代」のホテルを記録に残そうと、これまでに2冊の本を著した。新刊本はホテルとスイスの観光の歴史にスポットを当てている。
ロランド・フリュキガー氏は建築家だが、建築史を専門としスイス国内の文化財保護にも携わっている。スイス連邦基金によるプロジェクト「1830年から1920年までのスイスのホテル建築」の調査を指導したが、著作「氷河とヤシの木の間にあるホテルの空間—スイス観光とホテル建築」は有名である。このほどその続編として「スイス観光とホテル建築—1830年から1920年」を出版し注目されている。
豪華な建築 贅沢な環境
1880年から第2次世界大戦直前までに建てられたホテルは現在、美術史の観点から魅力的な建築物である。特に19世紀末から20世紀初頭に建てられたベルエポック様式のホテルが豪華なのは、不動産投資に熱が入った時代だったため。アルプスへの観光がそれまでにないほど盛んになり、経済的にも潤ったのことも理由である。「不況の続く最近の観光業界にとってみれば、羨ましい時代だった」とフリュキガー氏。スイスは欧州の中で歴史的ホテルが最も多くあるり、唯一スイスと比較されるのは、南フランスのリビエラだという。
古きよき時代を見直す
当時は宿泊数が急増し、競うようにしてホテルが建設されていった。フリュキガー氏によると、当時は観光地でも大きいところがブームで、スイスほど観光業が成長した国は世界でも珍しい。1880年の統計によると、スイスにはすでに1000軒のホテルがあったが、1912年には3600軒に急増した。また、1913年の全国のホテルのベッド数は17万台で従業員数は5万人だったが、のべ宿泊日数が2200万泊という異常事態ともいえるブームだった。ちなみに2002年は3200万泊で当時より3割増加したに留まる。
フリュキガー氏は「ベルエポックのホテルはブームが去ると軽視され、1960年代には倒産が相次いだが、手をこまねいてなにもしなかったのは残念」とスイス観光の斜陽の原因を指摘。しかし、生き延びたホテルがいま、見直され改築されるものも出てきている。
投機の対象として犠牲になるか甦るか
フリュキガー氏の新刊本によると、ホテルは倒産すると理由不明の火事に遭うことがよくあり、当時からの建造物の3割は崩壊したという。また、倒産物件を改築するとしても、古い建物の中に現代の設備を備える煩雑さや、地価の高い街の中心にあったりするとホテルとしては経済的観点から不利だったりして、諦められる場合も多い。
グリンデルワルトにあるホテル・ベーレン(熊ホテル)はその典型で、倒産後放置されたまま荒れ放題となった。チチーノ州のロカルノにあるグランドホテルは、倒産後放置され、家具やインテリアが盗まれ、庭は駐車場になり、建物だけが残骸のように残っている。
一方、ツェルマットのホテル・リフェルアルプは1877年から1884年にかけて、標高2220mに建てられたホテルだが、1961年の火事で全焼した。しかし、1998年には5星ホテル「リフェルアルプ2222m」として甦った。
再発見のきっかけ
1979年に閉鎖されたブリエンツ湖にあるホテル・ギースバッハが再建され、2003年には「歴史ホテル」に選ばれた。同ホテルは団体旅行者は泊まらない高級感を前面に出したサービスが自慢。昔ながらのグランドホテルの特徴である、部屋の大きさや調度品の豪華さ、立派な宴会場、会議にも利用できる施設を備えることはもとより、独自の水力発電で施設に配電し、ホテルへのアクセスに自前の電車も走らせ、しかも自家発電で運行している。
「たとえばスイスの特産品であるオルゴールの資料は博物館にも保存されているのに、経済的に重要な役割を担っているホテルとスイスの観光史を網羅した資料はほとんどない」とフリュキガー氏は、ホテル史をまとめる必要性を訴えている。
スイス国際放送 アレクサンダー・ケンツェレ (佐藤夕美 (さとうゆうみ)意訳)
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