2025年 スイスアート界展望:政治変動と文化再興の海を航行する
アーティストを敵視するドナルド・トランプ氏の大統領復権は、スイスを含む世界中のアート市場に影響を及ぼす可能性がある。スイス連邦政府が文化予算を削っていることも、業界への逆風となりそうだ。
12月に開催されたアート・バーゼル・マイアミ・ビーチ2024には、第2次トランプ政権の始動を前に「不安を伴う楽観主義」とも言える空気が漂っていたという。いわゆる「文化戦争」で長い間敗北を味わってきた多くのアート関係者に喜びムードはない。トランプ氏率いる共和党はこれまで、学者やジャーナリストと並びアーティストを「敵」と呼んできた。この発言が政策にどう現れるかは誰にも分からないが、20年前に起きたことは1つの参考になる。
ジョージ・W・ブッシュ政権時代(2001~2008年)には、「デジタルノマド」第1波が米国を去り、欧州各国の文化都市になだれ込んだ。米国の政治的雰囲気やイラク戦争、そして過激で銃を持った保守勢力の台頭を忌避しての移住だったが、ニューヨークやロサンゼルスよりも家賃や医療費がはるかに安いことも背景にあった。
東欧都市、特にベルリンやプラハに居を構える人が多かった。リモートワークの普及も追い風になり、こうしたクリエーティブ職に就く米国人が、今ではごく普通になったデジタルノマドという働き方や、物価高の国から低い国にクリエイターが流れるトレンドを生み出した。今後、米国からデジタルノマド第2波が欧州に押し寄せるのか?そうだとすればどんな影響があるのか?
第2次トランプ政権がもたらす政治的な結果はまだ推測するしかない。だがトランプ氏の公約の実現が世界のアート市場に損害を与えるのは避けられないとの見方が多い。
関税と減税
トランプ氏は、カナダ、メキシコ、欧州圏といった伝統的な貿易相手国に対しても関税引上げを計画している。そうなれば美術品の価格、輸送、保険に直接影響する。
海外販売の大部分を米国市場に頼っている各国のギャラリーも直撃するだろう。米国市場は依然として世界最大であり、総販売量の43%を占める。相手国、特に欧州国が対抗関税を課せば、米国美術業者もまた国際競争力を削がれることになる。
米国から流出したアート取引を吸収するのはどこか?世界第2のアート市場(英国とほぼ同規模)である中国ではなさそうだ。中国のコレクターや美術館は、主に自国の美術品を好む傾向にあるためだ。一方、英国にとってはアート・ハブとしての存在感を高めるチャンスかもしれない。EUを離脱した英国は二国間協定に有利な立場にあり、それはスイスも同様だ。
一般論として、世界的な貿易戦争とそれがもたらす経済不安は、富裕層をリスク回避ムードに陥れる。美術品投資は忌避されやすく、アート市場への逆風となる。
いずれにせよ、来年6月にバーゼルで開催されるアート・バーゼルでは、より明確な展望が見えてくるだろう。世界最大かつ最も影響力のあるこの現代アートフェアは、市場の体温計とみなされている。
カメラ、ライト…カット!
1年前、スイスと欧州全般のアートシーンの展望ははかなり暗かった。swissinfo.chの「展望」が現実になった格好だ。
公共メディアを含む芸術と映画への公的助成金は今年、特にフランスとドイツで削減に拍車がかかった。スイスでは芸術・映画部門の国際協力予算が370万フラン(約6億5000万円)からほぼ半分の200万フランに削減されることが決定し、関連業界から強く非難された。
微々たる額に見えても、スイスと途上国の新進気鋭のアーティストや映画製作者にとっては、製作費を確保する不可欠な資金だった。
>> こちら☟の記事では、ロカルノ映画祭の元ディレクターで、スイス政府が採用した国際文化協力の仕組みも開発したマルコ・ミュラー氏にインタビュー。
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「ビエンナーレが再び重要性を取り戻す」
アートと文化にとって先行き不透明な状況にありながら、2026年に開催される第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の芸術監督としてスイスとカメルーンの国籍を持つキュレーター、コヨ・クオ氏が任命されたことは、アート界に驚きを与えた。
イタリアのジョルジャ・メローニ首相はビエンナーレ会長に著名な右派ジャーナリスト、ピエトランジェロ・ブッタフオコ氏を選んだ。この世界最大のアートイベントが、イタリア人キュレーターを優遇するなど保守路線を強めるとの懸念を呼んだ。
だがクオ氏は、現イタリア政府の志向に沿った人材だとは言い難い。芸術監督に就任した初の有色人種女性であるだけではなく、美術館の役割を根本的に見直し、脱植民地主義やアフリカ系ディアスポラ、そしてアイデンティティ政治といったテーマの推進者としてキャリアを築いてきた。
2024年のビエンナーレはブラジル出身のアドリアーノ・ペドロサ氏がキュレーターを務めた。メイン展覧会は、ポスト植民地主義やクィア、マイノリティ、そして原住民に関する課題など、単に既存概念を反映したに過ぎず、必ずしも評論家を満足させるものではなかった。アート市場ですでに名の知れたアーティストが中心で、新しく斬新な視点に欠けた。あるドイツの元美術館長は、「クオ氏の就任でビエンナーレが重要性を取り戻すかもしれない」と語った。
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ビエンナーレの歴史においてスイスは極めて大きな存在感を示してきた。クオ氏はカメルーンに生まれ、チューリヒで育った。ハラルド・ゼーマン氏(1980、1999、2001年)、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト氏(2003、共同キュレーター)、バイス・クリガー氏(2011年)に続く、過去50年間で4人目のスイス人キュレーターになった。
ストリーミング配信が身近に
26日から、仏語圏のスイス公共放送RTSとネットフリックスによる初の共同制作ドラマがスタートする。全8話から成る「ウィンター・パレス(Winter Palace)」は、19世紀の高級ホテル業界の幕開けを描き、国際的で華やかな客層と地元従業員たちの物語を展開する。
swissinfo.chは近く、スイスで今年1月に施行された通称「ネットフリックス法」の影響を分析した記事を配信する。同法は、ネットフリックスやアマゾンプライムビデオなどの動画配信サービスに、スイス国内で得た利益の4%をスイスの映画・テレビ作品制作に出資するよう義務付けた。
キセントリックなコレクター
年明け1月にはスイス映画界最大の祭典であるソロトゥルン映画祭が幕を開ける。オープニングを飾るのはトーマス・ヘンマーリ監督の「The Legacy of Bruno Stefanini」。物議を醸した美術品コレクターで不動産業者でもあったブルーノ・ステファニーニ氏が「どん底から富を築いた」生涯を再構築したドキュメンタリー作品だ。
ヘンマーリ作品特有の繊細なユーモアを織り交ぜながら、この作品は、古代美術品や現代アートからシシィ皇后の乗馬服に至るまでを集めた、ステファニーニ氏の収集マニアぶりに光を当てる。同時に、自身の宝物を一般公開しようと奮闘した真摯な姿勢にも焦点を当てた。
スイスで暮らしたパトリシア・ハイスミス
オランダ人のアントン・コービン監督の新作映画、「Switzerland」にも大きな期待が寄せられる。スイス・英国の合作で、2025年後半に公開予定だ。
コービン監督はミュージックビデオ(ニルヴァーナ、コールドプレイ、U2、デペッシュ・モードなど)や自伝映画の制作で名を知られている。ジョイ・ディヴィジョンのリードボーカルだったイアン・カーティスを「Control」で、米国人俳優ジェームス・ディーンを「Life」で描き、彼らの人生の重要な瞬間を蘇らせた。
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パトリシア・ハイスミスが愛したスイス
「Switzerland」では、「リプリー」で有名な米国人作家パトリシア・ハイスミスが、イタリア語圏のティチーノ州で晩年を過ごした15年間にフォーカスした。作家のダークな想像の世界に忠実でありながら、伝記的要素を含んだフィクションとして仕上げている。ヘレン・ミレンがハイスミス役を演じ、スリリングな作品になりそうだ。
編集:Mark Livingston/gw、英語からの翻訳:由比かおり 校正:ムートゥ朋子
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