11月15日は「モルガルテンの戦い」685周年:中世スイス戦史
中世のスイス人は強かった。スイス農民歩兵隊は欧州1強かった。幾多の古戦場では今日も戦勝記念日が行われている。
11月15日は、「モルガルテンの戦い」685周年。無名戦士達の子孫オベロゲリとサッテルの住民はパレード、射撃コンテスト、などで「スイスで最初の自由のための戦い」の戦勝記念日を盛大に祝う。
モルガルテンは、ツーグとシュビーツを結ぶ山間の隘路だ。1315年オーストリア貴族の騎馬隊が、シュビーツ攻撃を目指し進軍していた。隘路上方の岩陰に潜み待ち伏せをしていた地元農民から成る連邦軍の歩兵部隊は、突如オーストリア軍の上に飛び下り、手持ちの武器でオーストリアの精鋭部隊を全滅させた。
今日のスイスは永世中立国で、両世界大戦にも参戦しなかった戦わない国として知られている。実際には、「永世中立」は「戦争放棄」とは全く違う。どことも同盟を組まなから、完全に孤立し世界を敵に回して戦う可能性も皆無とはいえない。それでも、今のスイスのイメージから、中世スイス人のどう猛さ、オーストリア、ブルゴーニュ、ミラノ、ドイツの周辺国貴族の重装備の騎馬隊を撃退した槍や斧で武装した恐るべき歩兵達の効率のよい強さは、想像し難いかもしれない。
モルガルテンの戦いは、その後200年間続く戦乱に明け暮れたスイス中世史の幕開けだった。1386年7月9日のゼンパッハの戦いは、神の(平民の)恐怖を欧州封建貴族に知らしめる戦いだった。ルツェルン、ウーリ、シュビーツ、ウンターヴァルデンの農民達は、オーストリアのレオポルド3世の軍を相手に完全勝利をおさめ、35才のレオポルド3世は戦死した。ゼンパッハの勝利は、オーストリアのスイス支配終焉の始まりだった。数々の衝突を繰返し、カントン(州)はハプスブルグ家から独立を勝ち取っていった。グラールス独立を確立した1388年のネーフェルスの戦いは、ゼンパッハの勝利に次ぐスイス史上意義の深い戦いだ。
今日ゼンパッハ古戦場の隣には教会が建てられ、その近くにはゼンパッハの戦いの伝説の英雄アーノルド・ウィンケルリードの記念碑が建てられている。騎士ウィンケルリードは、軍勢・装備共に圧倒的優勢なオーストリア軍を前に「我に続け。我が身に受ける敵の槍を持って戦え。」と飛び出し、全身に槍を受け、血路を開いた。ウィンケルリードは教科書に載っていて、どんな歴史嫌いでも知っている国民的英雄だ。
15世紀に入ると、ブルゴーニュが西からスイスを狙う。スイス最大の敵は、1476年のグランソンとムルテンの戦いで撃退したブルゴーニュのシャルル豪胆公だった。グランソンでは特にイベントは行われないが、ムルテンでは毎年勝利を記念する行事が催される。この時連邦軍を勝利に導いたのは、騎士アドリアン・ブーベンバーグだ。現在トゥーン湖畔にあるシュピーツ城はブーベンバーグの居城だった。ブルゴーニュとの戦いに一生を捧げたブーベンバーグの名は、ベルン地方では今も人々の日常生活に浸透している。ベルンやムルテンでは、ブーベンバーグに因んだ地名が多く、店の名前にもなっている。ベルン駅の側には彼の銅像があり「最後の一筋の神経が生きている限り、我々は戦い続ける(直訳は「あきらめない」とでもなろうか)」というブーベンバーグの名言が刻まれている。
また1478年ジョルニーノの戦いでは、スイス連邦軍の退却のしんがりを務めた僅か700の後衛兵が、10、000のミラノ軍を敗走させたが、ジョルニーノでは戦勝など祝われたことがない。
ハプスブルグ家との最後の重要な戦いは、1499年7月22日ドーナッハ(バーゼル近郊)だ。チューリッヒ、ベルン、ソロトルン、ツーグ、ルツェルンの連邦軍は皇帝マキシミリアン1世のドイツ軍とオランダ傭兵部隊を撃退。ハプスブルグのスイス征服の野望と、元来スイス出身のハプスブルグ家のグラウビュンデンの先祖の地を取り戻すというマキシミリアン1世の夢は、ここで断たれる。ドーナッハでは毎年7月22日に盛大な戦勝記念が催される。
1515年マリニャーノの戦いでフランス王フランソワ1世に敗れ、以後スイスはヨーロッパの二流国の地位に甘んじる。が、このスイス人の強さを各封建君主達が放っておくはずがない。スイスの傭兵産業が発展していく。農業しか産業の無かった時代、常に職も余剰人員に悩んでいたスイスの若者達が、傭兵として欧州各地に雇われて行った。そして王朝どうしの戦で、戦場で実際に戦っているのは両陣営ともスイス人という時代が続き、それに嫌気がさしたスイス人自身が、やがて中立政策へと目覚めて行くことになる。
時代は下って1798年5月5日、スイス連邦軍の強さを再び証明する時がきた。ベルンのシュテルネンバーグ連隊がノイエンエッグでナポレオン軍に勝ったのだ。ナポレオン軍は最終的にはスイスを征服するが、ノイエンベルグでは今も毎年勝利を祝い、ナポレオンに勝ったことを誇りに思っている。
スイス軍の勝利は、全て過去の栄光だ。が、その強さの記憶は意外なところで続いている。1506年以来、ヴァチカンのローマ法王の衛兵は今もスイス人だ。
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。