バングラデシュ ロヒンギャ族難民キャンプの日常
バングラデシュには世界最大の難民キャンプがある。ここで暮らしているのは、ミャンマーから逃れてきた約100万人のロヒンギャ族だ。彼らは一体どんな日常を送っているのだろう。スイスのNGO「ヘルヴェタス」職員のアレクサ・メコネンさんは、避難生活の辛さを少しでも軽減しようと尽力している。
「もちろんもっと楽な生き方を選ぶこともできる。でも、私はそうしたいのか?」と言ってアレクサ・メコネンさん(31)は笑った。そしてすぐに「答えはノーだ」と続けた。メコネンさんは今、世界最大の難民キャンプの「8E区画」に向かって丘を上っている。気温は35度。暑い上に、雨季を控えて湿度も高い。
バングラデシュ一番の人気観光地、コックスバザール。その奥に、100万人近いロヒンギャ族を収容する難民キャンプが広がる。34区画に分割された敷地にはバラックがぎっしりと並び立つ。ミャンマーで最初にロヒンギャ族の組織的追放が起こったのは1970年代から90年代にかけてのことだった。ここで暮らすロヒンギャ族のうち約22万人は、その時に来た人々だ。2017年8月以降は、さらに74万人以上がキャンプからほど近い国境を越えて流入した。
ロヒンギャ族 弾圧される少数民族
ロヒンギャ族は、仏教徒が多数派のミャンマーに住むイスラム系少数民族。彼らは国の構成民族とは認められず、自治権や国籍を与えられていない。2017年の大量亡命以前には約100万人のロヒンギャ族がミャンマーで暮らしていたが、彼らの住む村が次々に破壊され、国連報告によれば何千人という男女が強姦、拷問、殺害されたため、脱出を余儀なくされた。ロヒンギャ武装勢力が警察の詰所を攻撃、警官らを殺害したことが、このジェノサイド(大量殺害)の発端となった。ただ大量殺害があった事実はまだ公認されていない。
「人の多さに衝撃」
26平方キロメートルの区画には、竹とビニールシートで作られた粗末なバラックがひしめき合う。18年4月初旬ここを初めて訪れたメコネンさんは、「あまりの人の多さにショックを受けた」。そして、この人口に対して食料、水、電気など、にわか作りの大都市を少しでも住みやすくするためのインフラがことごとく不足していた。メコネンさんは、すぐにも取り掛かるべき仕事があることを喜んだ。
難民の第一波が到着した当時、ヘルヴェタスは、石けんや水タンクといった物資を含む緊急支援セットを迅速に配布した。
ヘルヴェタスはその半年後、ロヒンギャ族に対して当座の緊急支援の枠を超えた長期的支援に取り組むことを決定する。メコネンさんの到着後数週間でヘルヴェタスが設置した仮設トイレは320基。排泄物は接続された大型タンクに集められ、バイオガスの生成に使われる。
仮設トイレで生まれるバイオガス
このバイオガスは、ヘルヴェタスが地元の協力団体と共同で建設した12カ所の共同調理場で、燃料として使われる。この調理場の恩恵を受ける難民は約2万人だ。「このシステムによって複数の問題が一挙に解決できる」とメコネンさん。「人々は野外で用を足す必要がなくなり、ガスのおかげでまきもいらない。この辺りにはもう、木も生えていないのだ」
実際、コックスバザールの丘陵は、必要に迫られたロヒンギャ族により森林がほぼ丸裸にされてしまった。バラックを建てたり火を起こしたりするためには、スペースや木材が必要だったのだ。その結果、この辺りの地盤を守るものは、もう何も無い。「それは私が仕事を始めて2番目に直面した深刻な問題だった。5月終わりから6月初めにかけてモンスーン、つまり雨季が始まる。急斜面に建つ小屋は、地滑りの危険にさらされていた」
ロヒンギャ族はバラックの建設に石やレンガを使うことを許されていない。許可されているのは竹とビニールシートのみ。コンクリートで基礎を打つことすら禁止されている。そのため、こういった状況を改善することは一層難しくなっている。その背景には、1日も早くロヒンギャ族にミャンマーに帰って欲しいというバングラデシュ政府の意向がある。
しかし、集団殺害が起きた今、ロヒンギャ族に帰国という選択肢は無い。ミャンマー政府の側にも、彼らの安全と自由を保障しようという動きは見られない。
身振りでコミュニケーション
バングラデシュにおけるロヒンギャ族のステータスが「暫定的受け入れ」にとどまっていることから、生活する上でのハンディも大きい。「ここで生まれた数千人の子供たちには国籍が無く、難民認定されていないため正規の学校教育も受けられない」(メコネンさん)
しばらくして我々は丘の上に到着した。さっそく集まってきた子供たちがメコネンさんを取り囲む。彼女自身はロヒンギャ族の言語を話さないが、身振り手振りや通訳の助けを借りて意思疎通を図っている。彼女は誰に対してもオープンに話しかけ、彼らの生活の様子や悩み事に耳を傾ける。
「私は昔からこうだった」とメコネンさん。若い頃ジュネーブ市内の地区センターで働き始めたメコネンさんだが、その後外国で過ごすことが多くなる。大学在学中にはレバノンの難民キャンプに滞在したり、ナミビアでフィールドワークを行ったりした。そして卒業後はタンザニアでインターンシップに参加、ヘルヴェタス主催の農業プロジェクトで主にジェンダー平等問題に取り組んだ。
こういった異文化への衝動はどこから来ているのか。「おそらく家族のルーツと関係している」とメコネンさん。ジュネーブのある国際商社で働いていた彼女の父親は、エチオピア人とエリトリア人の間に生まれた。母親はドイツ語圏スイスの出身で、ジュネーブの空港で航空会社の地上職員として働いていた。「そのため、私たち家族はいつも格安料金で飛行機に乗ることができた」。こうして、メコネンさんやその兄は、幼い頃からインド、中国、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、エチオピア、エリトリアなど様々な文化に触れてきた。「今、私がこういう生活を送っているのは偶然ではないと思う」
野菜栽培 「自分の物」を手に入れる
我々は、野菜や食料品などの日用品が売られる市場にやって来た。「こういった形で多少なりとも金銭が回れば、キャンプの人々も少しは自立している気分を味わえる」とメコネンさん。市場は、ロヒンギャ族に一抹の「日常らしさ」を取り戻してくれる。
メコネンさんは最後に、市場の後ろ側の一段低くなった土地に住む家族の元を訪ねた。この家族は、ヘルヴェタスが指揮する最新プロジェクトの参加者だ。このプロジェクトでは地元の団体「シュシラン」の協力の下、女性たちに野菜栽培を教え、小屋の周囲のわずかな土地に菜園を作る方法を手ほどきする。キャンプ住民にヘルシーな食生活をしてもらうことが目標だ。
これまでロヒンギャ族は、基礎的食料としてキャンプで配給されるコメ、レンズ豆、油などを食べていた。自家栽培した野菜は、市場で売ればわずかながら収入を得られ、その収入で例えば魚や肉を買うことができる。
「危険なのは、ロヒンギャ族の運命が忘れ去られてしまうこと。彼らの状況が変わることはなく、今後も引き続き援助が必要なのだ」。そう言ってメコネンさんは、バラックの中で家族のために昼食を準備するサラ・ベーグムさん(20)を見つめる。「自分の仕事を通じてここの人々に少しでも人間らしい暮らしをしてもらえれば、うれしい」(メコネンさん)
ヘルヴェタスによるロヒンギャ族支援
スイスのNGOヘルヴェタス外部リンクは、19年前からバングラデシュで活動している。そのため、ミャンマーから避難してきたロヒンギャ族に対しても、非常時支援セットを迅速に配布するなど首尾よく対応できた。本文中に言及のある長期的プロジェクトは、その資金の一部を災害地への義援金を組織するスイスの慈善団体「幸福の鎖」(Glückskette/Chaîne du Bonheur)外部リンクに頼る。欧州のNGO7団体で構成される「アライアンス2015外部リンク」の一員であるヘルヴェタスは、同じくメンバーであるフランスの「アクテッド外部リンク」やチェコの「ピープル・イン・ニード外部リンク」と共に、4つのキャンプで安全性向上策を担当している。また、キャンプの住民に子供たちの遊び場や学習センター、病院の他、サイクロンや豪雨など災害についての情報を提供している。ロヒンギャ自身によるコミュニティー貢献もある。例えば、ある女性グループは、仮設トイレまでの道を通りやすくした。また、別の青年グループは、仮設トイレに夜間照明を取り付けた。
当記事は、フリーランスのフォトジャーナリスト、パトリック・ロール外部リンク氏がヘルヴェタス取材中にスイスインフォに寄稿したものです。
(独語からの翻訳・フュレマン直美)
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