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理論に基づいたロマン主義

1918年に描かれた水彩画 、「船の検問」(Zentrum Paul Klee/個人コレクション) Zentrum Paul Klee

ロマン主義は、19世紀初め、ブルジョワの俗物性が支配する社会に反抗して個性や空想の自由を求めた芸術上の思潮である。本来、理論とは離れたところにあると捉えられているが、パウル・クレーは、理論に基づいた彼の芸術を「冷たいロマン主義」と呼んだ。それは1914年、初めて本格的に開いた個展の時だった。

クレーの言っている意味を理解するために、ドイツロマン主義を代表する、カスパー・デイビット・フリードリッヒの「霧の海の上を行くさすらい人」について考えてみよう。

 フリードリッヒは、雲、岩、そして山にかかる霧を大胆に描くことによって、芸術の創造に向かう1人の人間の孤独、同時に無限性への憧れを表現している。この人間と自然の強い絆を示している神秘的なテーマは、クレーの作品にも良く見られるものだ。クレーの作品にはフリードリッヒのようにわかりやすい景色は出てこない。幾何学的な模様や矢印などでこのテーマが追求されている。

 クレーは若い頃、「私は、死について、死への憧れについて深く思索している。自分を放棄するためではなく、完全性への切望のためだ」という言葉を記している。これは、ロマン主義後期の影響が色濃くでていると言ってよい。

古典を通して

 クレーはドイツロマン主義後期の雰囲気の中で育った。これは後にグレコのロマン主義を「再発見」することにつながる。

 しかし、ロマン主義と相反する古典主義をしっかり勉強することも、彼にとって重要だった。20歳になろうとする頃、クレーはイタリアのローマに旅して、古典建築の中で瞑想を行った。

 美術史の専門家、マイケル・バウムガルトナー氏は「クレーにとって、古典芸術は、すべてのモダン・アートの出発点でした。なぜなら、何か新しいことを創造するためには、既存のものを壊して道をつけなければならず、そのためには今までにどんなものが存在していたかを知らなくてはいけないからです」と説明する。

 クレーは木の葉から苔類まで集めていて、自然界の「数」や「比率の黄金律」に美しさを感じていた。数や一定の比率には、冷たさどころか、反対に命があふれていると考え、彼はこれを自分の芸術に昇華させて描いた。この点において、クレーは中でもゴヤやジェームズ・アンソール、アルフレート・クービンなどの表現主義たちに影響を受けた。

 また、1908年から1912年の間に、クレーはモナコで開催された展示会でゴッホやマティス、セザンヌの作品を初めて見て、感銘を受けた。特にセザンヌについては「この人は本物のマイスターだ。ぶれがなくいつも最高のものを生み出している。この点でゴッホよりずっと優れている」と書いている。

他の芸術家たちとの交流

 クレーが、徹底的な理論の勉強を終えた後、何年も何年も絵画的実験を重ねてから画家になったことは良く知られている。しかし、芸術を形成する過程で決定的だったのは、他の才能豊かな芸術家と知り合ったことだった。当時、クレーは自ら進んで孤独な日々を何年もおくっていたので、色の親方といわれたロベール・ドローニー、アウグスト・マッケ、フランツ・マルク、そしてワシーリー・カンディンスキーなど、当時を代表する芸術家たちとの交流が始まったことは、大きな転機だった。

 彼らが作った前衛芸術家集団「青い騎士団」の考え方は、クレーにも共鳴できるものだった。カンディンスキーが真実だと思うことは、クレーにとっても真実であった。例えば、彼らは「芸術家は、自分の内側からのインスピレーションや自分だけしか持っていない何かを作品に投影させなければいけない。それは、自分の中に深く存在している子供であり、潜在意識であり、自然に湧き上がる創造性だ」というような考えを共有していた。

 また、クレーの芸術に影響を及ぼした人物として息子のフェリックスを忘れてはならない。クレーは、伝統や慣習に順応することを拒否してきた。そして時代のずいぶん先をいっていた。キャリアの初めから、当時の常識から大きく外れた「専業主夫」を選択した。彼は社会の目などからは完全に自由で、自分のしたいことを優先させた。

クレーに影響を受けた芸術家

 クレーは、多くの芸術家が後に続いたカンディンスキーと違って、芸術運動の創始者ではなかった。それでも数少ない中から、クレーの門下を数えるとしたら、フリッツ・ヴィンター、ビリー・バウマイスター、マックス・ビル、オットー・ネーベルなどが挙げられるだろう。

 前出のバウムガルトナー氏は語る。「ソル・レウィットのようなたくさんのミニマリスト(余計なものをそぎ落としたアートを創作する芸術家)が、クレーが照らした光のおかげで見えてきた道を進みましたが、後世のモダン・アートに影響したといえるほどではありませんでした。例えば、アンディ・ウォーホールはクレーの日記や手紙などを非常に深く研究しましたが、彼の作品がクレーに影響されたとはいえないでしょう」

 しかし、クレーの残した言葉には、「芸術的に真剣に努力することは、精神性において重要な意味を持つ」「芸術的技術や創造性から、詩的で思索的な穏やかさを得ることができる」など、後世の芸術家への本質的なヒントとなるようなものがたくさん含まれている。

 「シュールレアリスト(超現実主義派)は、パウル・クレーを自分たちのグループに入ると評価しています。特にピカソはクレーを崇拝していました」とバウムガルトナー氏は強調する。

 ピカソもまた「全ての子供は最高の芸術家で、芸術家を職業にした大人たちは、人生をかけて子供時代の心に戻る努力をするべきだ」との信条を持っていた。これはクレーの思想とほとんど同じものだった。


swissinfo ラファエラ・ロッセロ 遊佐弘美(遊佐弘美)意訳

クレーは、精神性の追求、潜在意識をインスピレーションとして掘り起こすこと、理性と空想の微妙な綱渡り、色と形の実験、抽象と具象のバランスなどについて、後世の芸術家に影響を与えた。

– クレーは生涯、美術史を熱心に勉強した。

– クレーは古典主義の作品や同世代の芸術からも影響を受け、そのうえで新たに自らの画法を見つけていった。

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