スイスは「シルバー民主主義」に陥ったのか?
3日のスイス国民投票で年金増額案が予想外に可決され、日本では「スイスもシルバー民主主義に陥ったのか」との見方が広がった。有権者の高齢化に伴い政治が高齢者寄りになるシルバー民主主義はどのくらい深刻なのか?
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投票から一夜明けた4日、無料紙20min.は「世代間の衝突」という見出しで投票結果を報じた。強制加入の老齢・遺族年金(AHV/AVS、日本の国民年金に相当)の年間受給額を1カ月分増額する「13カ月目の年金」イニシアチブ(国民発議)は3日の国民投票で58.2%の賛成票を獲得し、可決に必要な州票の過半数も得た。
しかし投票傾向は現役世代と退職者、またはそれに近い世代ではっきりと分かれた。スイスのメディアグループ、タメディアの出口調査外部リンクによると、18~34歳の40%、35~49歳の46%が反対票を投じたのに対し、50~64歳では過半数が賛成に回り、年金受給権のある65歳以上になると78%と圧倒的多数が賛成した。
投票までの数週間、スイスでは世代間の公平性をめぐり激論が交わされた。投票の結果、世代間対立はさらに激化し、格差は揺るぎない存在になっていくのか?
シルバー民主主義に瀬戸際のスイス
関東学院大学の島沢諭教授(経済学)はスイスの投票結果を踏まえ、「スイスも日本のようなシルバー民主主義に陥るか否かの瀬戸際にいるように危惧される」と語る。
シルバー民主主義とは高齢世代が支配的になり、政治の意思決定を左右するようになった状態を指す。
日本では現実のものとなっている。国民の約30%が65 歳以上で、高齢化率はさらに上がっている。有権者の57%が50歳以上だ。スイスと同じように高齢者の投票率は若者より高く(2021年衆院選では60歳代が71.4%、20歳代は36.5%)、高齢者の声が政治に届きやすくなると憂慮されている。
それは年金改革の難しさにも表れている。一例は2004年に導入された「マクロ経済スライド」だ。これは高齢化など人口動態に合わせ年金給付額の伸びに歯止めをかける仕組みだったが、2023年度までに4回しか発動されたことがない。島沢氏によると「与野党とも高齢者の反発で政治的支持を失うことを恐れたため」だ。
島沢氏はこうした日本の現状に警鐘を鳴らす。「現役世代に有利な改革は行われない状況にある。その結果として経済活力が削がれ、昨年の日本の名目国内総生産(GDP)はドイツに抜かれて世界4位に転落した。若者は重い社会保障負担に喘ぎ、婚姻数も出生数も過去最低を記録している」
シルバー民主主義の影響は
ドイツを拠点に日本を研究する学者のガブリエレ・フォークト氏とヨウスケ・ブッフマイヤー氏は、高齢化が進む民主主義国家にとって日本は未来を垣間見る機会を与えてくれる存在だと指摘する。イェール大のチャールズ・T・マクリーン教授は2023年7月に発表した論文外部リンクで日本の自治体財政を調べ、市区町村長が若いほど子どものための支出を増やし、年配なほど高齢者への分配を増やす可能性が高いと突き止めた。
フォークト氏らの研究外部リンクでは、GDPの2.5倍にも上る日本の巨額債務に年齢構成が関係している可能性があると結論付けた。先進国は高齢者人口があまりに高く、子どもの貧困率の高さが見過ごされがちだとも指摘した。
また若者の声はほとんど政治的に影響力を持たないため、環境・気候問題は選挙活動においてほとんど重みをもたないことも突き止めた。
2021年の衆院選の当選者の平均年齢は55.5歳だった。465議席のうち30歳未満で議席を獲得したのはたった1人。文化的な障壁に加えて、政治制度にもハードルが高い。衆議院議員に立候補するには25歳以上でなければならず、小選挙区で300万円の供託金が必要だ。
フォークト氏らの論文は、人口の高齢化が①有権者の投票率②選挙で選ばれた人の年齢③政治的決定の3点に影響を及ぼすことを明確にした。「『高齢者による高齢者のための政治』により、若い世代に不当に負担を強いる問題は対処されないままだ」と明言した。
若返るスイス議会
スイスでは今のところ、多くの分野でこうした状況にまでは至っていない。人口は恒例かが進むが、連邦議会は逆に若返る傾向がある。昨年12月時点の国民議会(下院)の平均年齢は49.4歳と、19世紀に匹敵する低さだ。30歳未満の議員数でみると国民を代表しているとは言えないが、それは70歳以上の議員に関しても同様だ。
投票率に関しては若い世代の方が単に「選り好み」の傾向が強い。国民投票で全く投票しないのは18~25歳のごく一部で、2018年の調査外部リンクでは、ほとんどの若者は「自分に直接関係する」「メディアで大きく報じられている」「それほど複雑ではない」案件であれば投票することが分かった。
国民投票にかけられる案件の中身に関しては、年齢だけが違いを生む要因ではなさそうだ。スイスでは若い活動家だけでなく、「環境を守るシニア女性の会(スイス気候シニア)外部リンク」のような団体も政治的議論で存在感を示している。
若者の40%が年金増額案に賛成
若年層の間で、年金増額案を声高に支持する人も少なくなかった。緑の党(GPS/Les Verts)青年部のマグダレナ・エルニ共同代表(20)はドイツ語圏のスイス公共放送(SRF)の討論番組で「これは世代間ではなく、公平性の問題だ」と訴えた。
タメディアの出口調査では、低所得層の多くがこうした考えに共感していることが明らかになった。貧困ラインとされる月収4000フラン未満の有権者の約7割が年金増額案に賛成票を投じた。
高齢者が若者を搾取
一方、自身の利得を顧みず若者に反対票を投じるよう呼びかけた高齢者もいた。チューリヒに暮らす老夫婦が自腹を切って「若者よ、投票を!」と謳う異例の新聞広告を出し、波紋を呼んだ。
「私たち高齢者は年金増額の恩恵を即時に受けるが、ほとんどの高齢者にとっては必要ない」。ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーのインタビューで、68歳と71歳の夫婦は広告を出した理由をこう説明した。これに対して、多くの批判的な反響が広がった。
特に反発を買ったのは、2人が社会問題の現実を直視していないようにみえた点だ。スイスの65歳以上の貧困率は15.4%と、現役世代の2倍以上の水準だ。
日本でも老後の貧困が問題に
老齢年金は、最も収入の低い退職者層にとっての命綱だ。多くは生活するだけの年金を得られず、国から社会扶助の一種「補足給付」を受け取っている。スイス連邦統計局によると、2021年には全年金受給者の12.5%が補足給付ももらっていた。
政治の高齢化が進む日本でも、高齢者の貧困は深刻だ。独経済紙ハンデルス・ブラット外部リンクは3日、日本の年金制度は「寛大というよりはけち臭い」制度だと指摘し、なぜ制度崩壊に対する懸念がそう大きくないのかという大きな疑問を投げかけた。たとえばスイスと異なり移民をほとんど受け入れていないため、人口が若返り労働者の割合を維持することもできない。
だがチューリヒの老夫婦が出した広告は、重要な争点については的を射ていた。現役世代である若年層が、今の退職者の年金の原資を拠出しているということだ。積立方式の企業年金と異なり、老齢・遺族年金は賦課方式を採っている。
年金制度はまだ多くの改革を経る必要があり、今18歳の人が定年を迎える頃にどんな仕組みになっているかは見通しが立たない。
賦課方式の難問
国民投票後、年金増額の財源をめぐってさまざまなアイデアが噴出している。主な提案には全国民に負担を強いる付加価値税(VAT)の引き上げや、企業や被雇用者が影響をこうむる所得税・法人税の引き上げなどがある。高齢化が進むにつれ、労働者の負担は増えていくしかないのか?民主主義における多数派の年齢が高齢化していく今、どんな改革が有効なのか?
島沢氏は、「高齢化が進行する中で世代間対立を避けるためには、年金(社会保障)制度改革を世代間の問題に落とし込まないのが最善だ」と指摘する。スイスには第2の柱として積立方式の企業年金があり、さらに余力のある人は個人年金という形で老後資金の蓄えをしている。
日本もスイスと同様、年金制度においてすでにそのような基礎はできている。
島沢氏は、年金改革が高齢者票を志向する政治家だけに依存しないようにするため、新たな民主主義手段の導入も提言する。「年金制度のような世代間の利害対立を必然的に生む制度改革では、政治家や経営者、労働団体などから成る議会や国民投票、つまり民意から独立した組織、会議体を作って議論するなど、民主主義から隔離することも必要だ」。また将来世代の声をより大きく反映させるため、選挙権のない子どもの票を保護者に与える、余命に応じて票数を調整するなども検討に値するという。
民主主義の新しい考え方
島沢氏の最後の提案は、これから先の人生で最も長い人生を生きている人々の声が、年長の人々の声よりも重視されるべきだというのだ。だがそれは「一人一票」という民主主義の原則を根底から覆すもので、やや非現実的にも映る。
島沢氏はスイスが日本を他山の石として、有効な改革を進めるよう期待している。「幸いなことに、スイスはまだシルバー民主主義の『もう後戻りできない』点には達していない」。高齢者の割合が有権者の3割を超え始めると、「シルバー民主主義が脅威となる」。
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編集:Marc Leutenegger、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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