スイスの視点を10言語で

AI倫理の国際ルール作り スイスは米欧・中国の架け橋になれるか

ロボット
中国の首都北京で2024年8月に開催された「2024年世界ロボット会議」に登場した、人間のように動くロボット EPA/WU HAO

中国政府は世界に先駆けて、人工知能(AI)の利用に関する厳格な規則を策定した。スイスは今、世界的なAI競争で東西の架け橋になろうとしており、中国の動きに関心を寄せている。

スーパーの食品売り場からロボットの医師がいる病院まで、中国ではAIが日常生活に欠かせない役割を果たしている。2022年に中国・上海に進出したスイスの研究拠点、スイスネックスの代表を務めるフィリップ・レースル博士は「朝、家を出る時、すべてがスマートフォンに入っている」と語る。中国では、AIを搭載した顔認識アプリなどを使い、自宅や地下鉄の駅、さらには公衆トイレにも出入りすることができるようになっている。

同国はAIを積極的に導入しているだけでなく、先進的な機能の開発で米国に対抗しようとしている。最近、中国の企業が開発した強力で効率的な生成AI「ディープシーク」は、同分野における米国の優位性に疑問を投げた。

AI規制で優位に立つ中国

米タフツ大学フレッチャースクールで経済学を専門とするバスカル・チャクラボルティ教授は、中国政府は国家統制を維持するために、常に規制を重視してきたと指摘する。その上で、政府がAIを規制することで、覇権を巡る競争で自国に優位性を与えているとの見方を示した。少数民族の弾圧や政治的な異議といった話題に対する中国政府の厳格な検閲はAIにも及んでおり、先端技術は政府の優先事項にもなっている。こうした政府の厳格な管理によって、中国は倫理的な規制の構築においても米国の先を行く。

このような規制は開発の指針となり、信頼性を高めながら、誤用や偏見、サイバー脅威からシステムを守る上で重要だ。チャクラボルティ教授は、強力なAIを開発するだけでは利用者の信頼を得るには不十分で、明確な規則も必要だと説明。たとえ検閲主導であっても、安全である認識を生みAI利用を促進しやすいと述べた。

おすすめの記事
中国は新興企業「ディープシーク」の新チャットボットで対米競争の優位に立つ

おすすめの記事

米中のAI競争、スイスの役割は?

このコンテンツが公開されたのは、 激化する米中AI(人工知能)競争で、スイスが取るべき役割は何か。AI専門家バスカール・チャクラヴォルティ氏に話を聞いた。

もっと読む 米中のAI競争、スイスの役割は?

SwスイスはAIに関する世界共通のルール作りを重視する。スイスの中立性や技術力、外交力を生かし、AI競争で東西の橋渡し役となり、国際的な倫理基準と規制基準を保証したいと考えている。

レースル博士は「北京への扉を閉ざすのは非生産的だ」と述べ、中国の考え方を理解する必要があると指摘した。

AI規制の先駆けとなった中国

オランダのラドバウト大学でAI政策などを専門とする中国出身のグアンギュ・キャオフランコ助教は、中国人の考え方を理解することはそれほど難しいことではないと言う。中国政府は人間中心主義やプライバシー保護、反差別など、AIへの取り組みで西側諸国と「多くの価値観を共有している」という。中国は2017年、欧州連合(EU)に先駆けて、AIの責任ある利用に関する初の倫理指針を導入し、21年にはそれを強化した。

これらの規則はAIシステムに対し、偏見やデータ漏洩、社会不安を防止し、公正であることを求めている。中国政府は「おすすめ」のアルゴリズムや本物にそっくりな偽の映像や音声を作り出すディープフェイク技術の規制でも世界の先駆けとなっており、虚偽や誤解を招くコンテンツを禁止している。2023年には、生成AIの規制にも乗り出した。国家統制を維持し生成AIの乱用を防ぐため、企業に対し、製品を市場に出す前に機械学習のデータソースを政府に開示することを義務付けたのだ。 

フィンランドのトゥルク大学でAI倫理と管理を研究するジュンフア・ジュ氏は「アルゴリズムとその日常生活での使用について具体的な規則を設けている国は中国だけだ」と言う。対照的に、米国では対話型生成AI「チャットGPT」の開始から2年以上経った今も、具体的なAI規制はない。EUでは2024年にAI法が施行されたが、中国のようにAI製品の市場投入前の審査が義務付けられているわけではない。AI規制で後れを取っているスイス政府は最近、2026年末までに規制の枠組みを完成させる予定だと明らかにした。 

米コンサルティング企業デロイトのドイツ・ハンブルク支社で生成AIを専門とするエリザベス・ロランジュ氏は、AI規制で世界の先頭に立っているのは中国だと認めている。政府が規制に積極的なのは、それが国家統制と検閲を優先する権威主義的な体制に結び付いているからだ。ロランジュ氏は「当局が最も恐れているのは、AIが中国共産党の価値観から逸脱することだ」と指摘した。

倫理を犠牲に

共産党の正統性を損なうような言説の拡散を防ぐため、中国政府はAIが生成するコンテンツに「社会主義の核心的価値」を反映させるよう求めるとともに、社会の分断やテロ行為をあおるような内容を禁止している。

中国の倫理指針がプライバシー保護を謳うのとは裏腹に、中国ほど政府が国民に関する情報を大量に入手できる国は他にない。ロランジュ氏は、中国にはEUのような個人情報保護に関する法律はなく、まるで19世紀の米国の「西部開拓時代のようだ」と批判した。こうした事情により、多くの民主主義諸国がプライバシーを巡る厳しい規制上の制約に直面する中、中国はAIを急速に発展させることができたのだ。 スイス・連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)安全保障研究センターのジェニファー・ビクトリア・スカレル氏とトビアス・プルファー氏は、中国はこの優位性を利用して米国と競い、業界を支配しようとしているとみている。スカレル氏は「中国政府があらゆる場所で顔認証にAIを利用しながら、なぜ規則や倫理を求めるのか、考えてみる必要がある」と指摘した。

町中の監視カメラ
2019年5月、監視カメラが設置された中国・北京の天安門広場を歩く中国人観光客 Keystone

個人の自由を優先

一方、先述のキャオフランコ助教は、これはまさに中国に対する偏見だと反論する。米国やスイスと同様、中国は経済発展を維持するために規制と技術革新のバランスを取ろうとしているとみる。「中国の政策は国内志向で、米国との競争にはほとんど重点を置いていない」

キャオフランコ氏は、「中国はAIを単なる大規模な監視の道具とみなす倫理観のない国」といったような固定観念にいら立ちを隠さない。同氏の見解では、中国は伝統的に個人の自由より集団の利益を優先するため、市民はAIによる監視を広く受け入れている。中国の制度は「西洋とは異なる民主主義」であり、こうした技術は主に国家の安全と公共の安定を維持するための道具として認識されていると説明した。 

中国・北京にある清華大学のロンシェン・ジュ博士も、中国のAI政策を巡る外国の画一的な見方を批判する。民間企業が開発したAI製品に対する中国政府の厳格な管理を擁護し、政府はこうした規制によって国民の権利を守っているのだと説明。「米国のような民主主義国家にとって、これが企業の自由への侵害を意味するのであれば、私は中国政府のやり方を支持する」と言明した。

スイスは調整役になれる? 

スイス外務省の報道官は、方法の違いや地政学的な緊張はあるものの、スイスはAIの倫理と管理を巡る中国との対話を「極めて重要」だと考えていると言う。実際、両国の対話はすでに始まっている。スイスネックスは昨年9月、「基本的な相違点と共通点」(レースル氏)への理解を深めるため、北京と上海で両国の専門家を招いた会議を開催した。

スイス外務省によると、会議の後、スイスの外交官トーマス・シュナイダー氏とベネディクト・ウェヒスラー氏が中国当局と会談。中国側と、AIや情報管理、サイバーセキュリティー、デジタル基盤などについて「対話の用意がある」と伝えた。スイス政府は米国とも協議中で、AI管理の国際的な中心地としてのジュネーブの役割に期待が寄せられている。

ジュネーブに本部を置く国際標準化機構(ISO)で事務次長を務めたダニエレ・ジェルンディーノ氏は、スイスは中立性と外交手腕を生かし、AI管理を巡って中国と米国の間の調整役になり得るとみている。「スイスは、米中それぞれのやり方の長所を促進する仲介役を果たすことができる。スイスは常にそれを特技としてきた」

また、スイスが北大西洋条約機構(NATO)やEUに加盟していないという点も、中国側には有利に働く可能性がある。スイスの取り組みが成功すれば、中国、米国、EUの間で規制が分断される傾向に歯止めがかかり、AIの安全基準やデータ規則の国際的な統一が進むことが期待される。

スイスの中立性を疑問視する声も

他方で、スイスの中立性に疑問を投げかける声もある。ジュ博士は、スイスによる対ロシア制裁は米国との連携を浮き彫りにし、中立国としての評判を失墜させたと指摘。「スイスはもはや調整役として信頼できない」と批判した。

チューリヒに拠点を置くパルバー氏でさえ、スイスが中国と米国に貿易上依存していることを挙げ、スイスが中立的な立場を維持できるかどうかに疑いの目を向けている。スイスは中国と自由貿易協定(FTA)を結んでいるが、AI開発には米国製の半導体に依存している。パルバー氏は、米国の半導体輸出に対する新たな規制によって、スイスは選択を迫られることになるだろうとみている。「遅かれ早かれ、どちらの側につくのかを決めなければならないだろう」

編集:Gabe Bullard and Veronica De Vore/ds、英語からの翻訳:安藤清香、校正:ムートゥ朋子

Edited by Gabe Bullard and Veronica De Vore/ds 

人気の記事

世界の読者と意見交換

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部