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スイスにある防空壕は、緊急事態にスイスに住むすべての人を収容することができる。このような施設は世界中どこをとっても見当たらない。
このコンテンツが公開されたのは、
2009/07/06 12:00
「なぜこんなに重厚なドアが地下室にあるの?」と外国からのゲストは質問する。なぜなら、重装備のドアの奥に、ワインや古本が保管されているのを不可解に思うからだ。それは、スイスの家で実際に目にする防空壕の入り口のことである。これは、原子爆弾攻撃といった最悪の事態に住民を守る。重厚な鉄筋コンクリートのドアの横には、換気装置とガスフィルターが設置されている。
スイス人のメンタリティー
かつては防空壕と呼ばれた、地下にある核シェルターは、スイスのどこにでも常設されているが、これは、スイス人のメンタリティーに基づいている。スイス人は何よりもまず身を守ること考え、すべての起こりうる危険に対して保険をかける傾向にあり、支出の2割を保険に充てる家庭もあるほどだ。もっとも、核シェルターの設置に関しては、法律で義務付けられている。
全国民のための避難場所
民間防衛に関する連邦法の第45条と第46条では次のように謳 ( うた ) っている。「全ての住民のために住居から避難可能な近隣に避難場所を用意する」そして「 家屋所有者は、家屋、宿泊施設等を建築する際には、避難の部屋を建設し、必要な設備を設置、管理する」 1960年以降に建設されたほぼすべての家屋で避難場所が設置されているのは、1963年に発効した連邦法が上記のように定めているからだ。 2006年には、スイスにはおよそ30万の核シェルターが個人の家屋、施設、病院といった場所にあり、5100の公共の防衛施設があった。通算すると、860万人もの人々が避難できる。これは、当時のスイスの人口比で考えると、114%もカバーできる計算になる。
防空壕の世界チャンピオン
この防空壕の建築がオリンピック種目であったら、スイスは確実にメダルを総なめにしたことであろう。どの国もスイスには到底及ばない。 スウェーデンやフィンランドといった国も、世界でも比較的多くの核シェルターを設置している。それぞれの国が720万と340万の核シェルターを所有し、人口の81%と70%をカバーするといった具合だ。しかしながらスイスの収容力には及ばない。 ほかのヨーロッパ諸国のシェルターはさらに規模が小さく貧弱だ。例えばオーストリアには国民の30%をカバーするシェルターがあるだけで、換気装置がない。ドイツにいたっては人口の3%とごくわずかだ。 ヨーロッパ諸国以外では、中国、韓国、シンガポールやインドといった国に多くのシェルターが設置されている。しかし国民の50%もカバーされていない。イスラエルでは国民の3分の2がシェルターに避難できる。とはいえ、この避施設は、敵から100%完全に遮断されているわけではない。
建設ラッシュ
既に言及したように、国防政策による核シェルターの設置は1960年代に始まった。それは人々が核兵器や旧ソビエト連邦の侵略に恐れを抱いていた時代だ。当時の人々は 「中立的な姿勢は、我々を放射能から守ってはくれない」と口々に語った。 この建設ブームは1970年代に入り、最盛期を迎え、毎年30万から40万もの核シェルターが新しく作られた。今日ではブームは去り、年間5万が建築される。 ここ何年間も、スイスは、世界で最も大きい民間の防衛施設を持つ国として認識されてきた。ルツェルンの高速道路A2にあるゾンネンベルクトンネル ( Sonnenbergtunnel ) も、非常時には、核シェルターとして2万人の人々を収容できる役割を担っていた。 1976年に開通したトンネルの上に建設された、7階建ての建物の中には、病院や手術室、ラジオ放送のスタジオまでも完備されていた。しかし、厚さが1.5メートル、重さ350トンもある扉は普通の人には開け閉めできないといった欠点や、大惨事に、何千人もの人々と同じ空間で生活する際の管理問題、心理的問題が考慮されていない点が指摘され、結局2006年に解体された。
スイスでは未だ何も変わらず
冷戦終了と1990年代の新しい国家安全政策により、各国での市民防衛及び民間防衛の政策が熟慮された。ノルウェーでは、1998年に核シェルターの設置の義務を廃止する事を決定した。 一方、スイスでは異なる展開となった。2005年、連邦国民議会議員のピエール・コーラー氏は、核シェルター設置の義務を取り止めるよう議会で発案した。このジュラ州出身の議員の主張は、核シェルターは建築費が大幅にかさむ「過去の時代の神聖なる遺物だ」というものだ。 しかしスイス政府はこの提案を退けた。議会は、核シェルターは、戦時だけでなく、核兵器でのテロ攻撃、科学物質の流出事故や、自然災害があり得る今の時代にも有益だとの見解を持つ。この決定により今後も、スイスの核シェルターは、当分の間は建設され、維持されることになった。 ダニエレ・マリアーニ、swissinfo.ch ( 翻訳 白崎 泰子 )
膨大な価値
スイスは、2006年にはおよそ30万の核シェルターを一般家屋、施設、病院に所有し、750万人分の場所を確保していた。また、5100もの公共の避難所( 110万人分 ) を所有していた。 2006年にかかった、核シェルターの建造、維持、解体費は、1億6740万スイスフラン(約150億円 )である。そのうち、個人1億2820万スイスフラン (約115億円 )、地方自治体2350万フラン( 21億円 )、連邦政府980万フラン(約8.8億円 )、州政府420万フラン ( 約3.8億円 ) 、それぞれの費用を負担した。 核シェルターにかけられた総額は、今日では118億スイスフラン (約1兆600億円 ) と推測されている。
役所へ補償金
一般家屋に核シェルターを建築するには、およそ1万フラン( 約90万円 ) の費用がかかる。 家を建てる場合、シェルターを作る代わりに、自治体に代替金を支払うことで義務を果たすことも可能だ。その場合は、家の大きさで支払い金額は決められる。例えば、建てた家の大きさが3部屋であればシェルター2人分を支払うことになる。1人頭は1500( 約13.5万円 )フラン。 1979年にこの法律が発効して以来2006年まで、自治体はおよそ13億フラン( 約1兆1080億円 )を代替金として徴収した。このうち7億5000万スイスフラン ( 約675億円 ) が公共の避難所建設、もしくは、そのほかの公共の民間防衛施設に費やされた。 今日、5億5000万フラン ( 約495億円 ) が準備金としてストックされている。政府は個人の代替金の支払額を半額にする意向だ。 個人家屋の核シェルターは、地下収納室や貯蔵庫といった、ほかの目的にも使用することが可能だ。しかしながら、所有者は法的に維持費を負担しなければならない。 公共の民間防衛施設は近年、難民申請者を一時的に宿泊させるために使用されたりもした。
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スイスの地下には驚くような世界がある。敵襲から身を守るために作られた核シェルターが国のあちこちに広がっているからだ。通行可能な空間を一列に並べると全長約3780キロメートルのトンネルになる。これはチューリヒからイラン・テヘランに至る距離で、国の領域に対する比率でみれば世界に類を見ない数字だ。ジャーナリストのヨスト・アウフデアマウアー氏が4月末、国内にある地下施設の記録をまとめた著書「Die Schweiz unter Tag(地下のスイス)」を出版した。その中には、連邦政府閣僚用の個室が備わった豪華な施設も紹介されている。
同書に掲載された12件のルポルタージュには、資産の保管部屋や水力発電所、ハイテクな実験室、病院、トンネル、秘密の洞窟に加え、閣僚のために作られた「トップシークレット」の地下施設など、興味深い内容が収められている。さらに面白いのは、地下施設の建設から垣間見えるスイスの特異な世界観があぶり出されている点だ。
国内最大の地下施設
スイスの地下世界は素晴らしく、また風変りでもある。同書によれば、国内には個人用の核シェルターが36万戸、大規模なものは2300戸あり、非常事態には全住民を収容してもまだ余裕がある。都市全体が地下にそっくりそのまま避難できるというわけだ。これらの大規模な防護施設は今も残り、中に入ることもできる。
多くの観光客が訪れる古都ルツェルンの地下には、世界最大級の住民用避難施設ゾネンベルグがある。1976年に稼働したこの施設は、第三次世界大戦に備えて6年かけて建設された。収容可能人数は2万人。アウフデアマウアー氏は「この核シェルターを爆破したら、ルツェルンの半分が吹っ飛ぶ」と熱弁をふるう。同氏はまた「スイスは地下に向かって開拓している」と説明する。
スイスは世界を信用していないのか
アウフデアマウアー氏は、この国の隠れた特異性をあぶりだす優れた観察者であり、またその特異性に一定の尊敬を抱いている。スイスの世界観や国民意識は巨大な地下建築と密接に関係し、同書ではこうしたスイスの精神をつまびらかにしている。スイスの地下世界は「地上の世界」に対する同国の心理的反応ともとれるというわけだ。
アウフデアマウアー氏は同書で、文字通り地下深くに目を向けるだけでなく、地下施設と密接に絡み合った国の精神の歴史を深く掘り下げた。スイスはこれほど未来を信用しないのか。大規模な地下施設を目にすればそんな疑問が浮かんでくる。同氏は著書の中で「たとえそうであっても、私はずっと、この地下世界に足を踏み入れたかった。これこそ典型的なスイスの姿であり、隠れた特異性だからだ」と語る。
岩の中の政府官邸
同書では1章を割いて、ウーリ州の小さな村アムシュテーグに建設された、閣僚用の核シェルターを紹介している。
岩盤をくりぬいて作られた設備は驚くようなものだ。もともと第二次世界大戦中、閣僚が「石造りの中枢」に避難できるようにと建設された。同書では「広さは3千平方メートルで、2階建て構造に居住区とオフィススペースがあり、山中に政府官邸も備えられている」と紹介されている。必要な機能と快適さを完備したこの核シェルターでは、寝室を3つのランクに分けている。個室は閣僚用、2人部屋は政府職員、大部屋はその他のスタッフ用、という風にだ。
この地下施設は2002年に「ただ同然で」売却された。同書によると、新しい所有者は核シェルターを金庫に変え、海外の顧客向けに「金、銀、プラチナ、レアアース、現金、芸術作品、ダイヤモンドや貴金属」を保管。「厄介な財政当局の査察が入る心配がない」のを売り文句にしているのだという。
死者1万人
アウフデアマウアー氏は歴史的な批評に加え、スイスの特異性を細部まで見つめる目を持つ優れた語り手であるだけでなく、ジャーナリストでもある。同氏は「バンカー建設に当たり、1万人が死亡したのは間違いない。少なくとも5万人が生命を脅かされた」と指摘し、「戦時中のような(死者の)数だ。私たちのためにこの『戦い』に生死をかけたのは外国人であり、ここを追悼と感謝の地としてもよいくらいだ」と語る。
(ヨスト・アウフデアマウアー著「Die Schweiz unter Tag(地下のスイス)」、図解付き全144ページ、発行元Echtzeit-Verlag)
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