世界にある民主主義国の中でスイスほど参政権が充実している国はほかにない。そんなスイスでは今、連邦の決定に「ノー」を突き付けることができる権利を基礎自治体(市町村)に認める案が議論されている。しかし、連邦議会で支持される可能性はほとんどない。
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過去170年間で600件以上の国民投票が行われたスイスは、直接民主制における世界チャンピオンだ。
忘れられることもあるが、立法プロセスに参加し、年に最大4回行われる国民投票に参加する権利は19世紀の激しい政治バトルの末に勝ち取られたものだ。
現在は、スイスにある2222の基礎自治体の大半を代表する上部団体が最近、州や市民だけに認められている抗議の権利を基礎自治体にも与える提案を発表した。
この団体が求めているのは、連邦レベルにおける新しい拒否権の導入だ。提案では、連邦議会で可決された法律に対し、全26州中15州で少なくとも200の基礎自治体が反対すれば、国民投票で最終判断するという。
「基礎自治体はこの数十年で州や連邦当局に対して立場が弱くなった」とこの団体は主張する。
逆境に立たされる基礎自治体
実際、スイスの連邦、州、地方自治体の3層政治制度で、ローカルレベルを担う基礎自治体の多くが、存続の危機にもがいている。
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タウンミーティング
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単なる意見聴取の場にとどまらず、立法・行政手続きの一環に位置づけられるタウンミーティング。スイス直接民主制の心臓部が今、ほころびを見せている。住民自治の現場で何が起きているのか、五つの自治体で深層に迫った。
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理由の一つは、地方自治体が対処しなくてはならない問題が複雑化していることだ。これにより、地方自治体の財政がひっ迫するようになった。その上、基礎自治体の多くでは公務を引き受ける志望者がなかなか見つからず、住民投票の投票率は30年間低下を続けている。
問題の複雑化に志望者不足が加わったことで、マイナスの影響が表れた。基礎自治体の数が過去30年で約25%減少したのだ。800ほどの基礎自治体が他の基礎自治体と合併により消失した。
それに加え、権力がローカルレベルから州レベル、連邦レベルへと劇的に移行している状況は今後も続くだろうと専門家はみる。
基礎自治体はしばしば、連邦当局や州当局が決定した新しい規則を実施するだけの存在になっている。典型的な例が社会保障の給付だ。スイス連邦憲法によれば基礎自治体は財政自治権を持つが、基礎自治体はその権利をほとんど失っている。
基礎自治体に拒否権を与える案は、国民議会(下院)の議会委員会ではあまり支持されなかった。だが全州議会(上院)の議会委員会ではそれほど否定されないだろう。全州議会は伝統的に国民議会に比べ、州や基礎自治体の関心事に理解を示すからだ。
それでもなお、提案の立法手続きがスムーズに進むことはないだろうと専門家はみる。
基礎自治体当局は、レファレンダム請求権(市民や団体のための拒否権)や国民発議権(イニシアチブ)を求めて戦ってきた人たちと同じような経験をすることになるかもしれない。
現代のスイスが築かれた1848年以降、これらの直接民主制における参政権が導入されるまで、レファレンダム請求権は26年、国民発議権は43年かかったのだ。
英語からの翻訳・鹿島田芙美
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スイスの民主主義 税金の使い道も最終決定権は市民が握る
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スイス中部にあるアーラウ市。この市では、政治家が過剰な財政支出をしようとすると、住民が財政レファレンダムという特別な住民投票制度を通して異議を唱えることができる。これまでに市の予算案が財政レファレンダムで実際に否決されることはあまりなかったが、この制度は違った形で影響力を発揮している。
皆のお金に関することは皆で決めるという「市民参加型予算」はここ数年で広がりをみせている。マドリードやパリでもすでに過去数回、5億ユーロ(約623億円)に上る予算案の是非が住民投票で問われてきた。
一方スイスでは、市民が予算案の是非を決めることは政治文化に長く定着している。大抵の州や基礎自治体には財政レファレンダムと呼ばれる住民投票制度がある。この制度には任意的なものと義務的なものがあり、大半の自治体にはそのどちらか一つがあるが、中には両方を持つ自治体もある。
市の財政に対する決定権
その後者のうちの一つがアーラウ市だ。ベルンとチューリヒの中間に位置するこの自治体は、絵に描いた様に美しく歴史のある旧市街で知られる。同市の予算は市議会だけが決めるのではなく、有権者にもその是非が問われる。アーラウ市では、市が600万フラン(約6億9千万円)以上の予算を組む場合に義務的に住民投票が行われる。
しかし、その金額以外でも、市の予算案すべてが任意的な住民投票の対象となる。任意的な住民投票を行うための唯一のハードルは、有権者の1割が一定の期間内に住民投票の実施を求める要望書に署名しなくてはならないことだ。
有権者が二つの制度で予算案にノーを突きつけることのできるアーラウ市では、税金の使い道に関して活発に議論を行う政治文化がこの数十年間で築きあげられた。その影響は市の景観にも表れている。春の暖かく穏やかな日、シュロッス広場の周りは緑であふれている。その景観が保たれている理由は、市の住民が数年前に、広場の地下に駐車場を建設する計画を財政レファレンダムで拒否したからだ。
シュロッス広場から数メートル先に、アーレ川の水路が緩やかに流れている。市は元々、360万フランをかけて、この水路を自然な岸や茂み、入り江、沼のある自然な状態に復元する計画を立てていた。しかし、「費用は高額で計画は不必要だ」と主張する右派の国民党は、署名を集めて住民投票を実現させた。その結果、国民党の主張は市の住民から認められた。
アーラウ市で初めて実現した財政レファレンダムの背景には長い物語がある。問題となったのは兵士の像の移転先だ。政治的には特に重要ではなかったが、市民感情に触れるものだった。この像は長年、駅前広場の中央に置かれていたが、1971年に広場が改装された際、この像を学校前広場に「追いやる」計画が持ち上がった。教諭たちはその予算案に反対するために署名を集め、住民投票を実現させた。そしてその結果、教諭たちの主張は住民から認められた。こうして再び駅前広場に設置されることになった兵士の像は、今日では駅前広場近くの兵営に置かれている。
「市民による調整」
アーラウ市の旧市街には数百年の歴史を持つ古い通りがある。この通りの人たちの多くは「市民による調整」を誇りに思っている。例えば公園で紙コップに入ったエスプレッソを飲んでいた男性は、市議会議員を基本的には信頼しているという。だが、議員が「おかしなことをする」時があれば、市民が市政に介入できることはよいと考える。また、バスを待っていた年配の女性は、スイス人の間に深く浸透している民主主義への考え方を的確に言い表した。「私たちが税金を払うならば、私たちにも決定権があるべきだ」
市の予算案に反対するために、住民投票の実施を求めて署名が集められることがアーラウ市では年に約1回程度ある。しかし必要数の署名が集まらないことは度々あるうえ、住民投票が実施されても実際に予算案が否決される可能性は高くない。過去15年間で実現した財政レファレンダムで予算案が否決されたケースは、シュロッス広場の地下駐車場建設計画とアーレ川水路の自然復元計画の2件だけだ。
見えないブレーキ
このように財政レファレンダムが市の住民投票で成功することはあまりないが、この制度の存在自体が見えないところで影響力を発揮している。チューリヒ大学の法学教授でアーラウ民主主義センター所長のアンドレアス・グラーザー氏は次のように語る。「(この制度の存在により)市は意識的に予算を決める傾向がある。そのため市の財政に負荷がかかりにくい」。ある研究によると、財政レファレンダムのある自治体では、この制度のない自治体に比べて人口1人当たりの予算額がはるかに低いことが分かっている。
財政レファレンダムには優れた点が多いとされる。しかしその一方で、直接民主制のほかの制度にもよくあることだが、この制度には計画の進行を遅らせるという面があり、場合によっては計画が当初の予定から数年遅れることもある。さらに、「非主流派や少数派のための予算案は、組織力の高い団体への予算案に比べて容認されにくい傾向がある」とグラーザー市は話す。
特に影響が大きいと考えられるのは、若者や外国人など投票権を持たない人たちだ。「しかし実際にはそのような影響は確認されていない」とグラーザー氏。アーラウ市ではこうした人たちへの予算は大抵気前よく承認されているという。
連邦レベルでの導入は?
つまり財政レファレンダムは、スイスがバランスの取れた財政を保つために重要な制度の一つと言える。だがそれは州レベルおよび基礎自治体レベルでのことであり、連邦レベルで国の予算が義務的ないしは任意的に国民投票に付されることはない。連邦議会の上下両院では約10年前に同様の制度を導入する案が議論されたが、結果的に案は棄却された。理由は、財政レファレンダムを導入すると連邦閣僚の裁量が大幅に狭められ、重要な投資が阻まれる可能性が危惧されたためだった。スイス流民主主義の一つの形「財政レファレンダム」
政府や議会の決定の是非を問う国民投票もしくは住民投票のことをレファレンダムというが、公的予算の是非を有権者に問う財政レファレンダムは世界で最も数少ない制度と言える。イタリア南チロルの学生団体Politisによれば、この制度が利用される国はスイスだけだ。
この制度はすでに19世紀にスイスの一部の州で導入されていたが、全国的に広まったのは1970年代以降のこと。
義務的に実施される財政レファレンダムは、州によってその形式が異なる。共通しているのは、一度きりの巨額予算または経常的に支出される経費にこの制度が適用されることだ。
義務的な財政レファレンダムが成立するための条件は州によって異なり、その条件は各州憲法に規定されている。
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2018年3月4日、スイス国民は強制的レファレンダムで、連邦政府に引き続き2つの課税権を認めるかどうかに票を投じる。国家が徴税の可否を逐一国民に問うのは、スイス人にとっては当たり前のことだ。
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