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敵多き「強硬派」 2025年のスイス大統領カリン・ケラー・ズッター

ほほ笑むカリン・ケラー・ズッター氏
Keystone / Michael Buholzer

2025年、輪番制のスイス大統領職を務めるカリン・ケラー・ズッターは、反発や誤解と闘いながらキャリアを築いてきた。

最初にスポットライトを浴びたのは23年前。38歳にして、警察を所管するザンクト・ガレン州の安全・司法担当参事(州政府の閣僚)を務めていたときのことだ。

2002年7月、アフリカ系の密売人が、コカインを詰めた包みを人の体内に隠して密輸していたことが発覚した。当時としては新しい現象で、大きな政治問題になった。

難民の住まいが麻薬流通センターと化していた。警察は対応に追われた。人種差別との批判も強まった。

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ケラー・ズッターは現場周辺の警察体制を強化した。世間の耳目を集め、「強硬派」のレッテルが貼られた。この経緯について、本人はどう思っているのか?swissinfo.chは今月、メールで問い合わせた。

深夜の電話

すぐに返事があり、夜に電話がほしいという話だった。「午後10時まで対応可」との一言に、プライベートの電話番号が添えてある。秘書課も広報課もあり、営業時間に厳しいスイス州政府としては異例の対応だった。

さらに驚いたのは、深夜に実現した電話の内容だった。ケラー・ズッターは筆者に向かって、自身の政策よりも、住民や警察官、移民、中毒患者たちについて熱弁を振るった。被害者や不正義、困窮や過大要求など、人々から聞いた話だ。「強硬派」らしからぬ話しぶりだった。

ケラー・ズッターの発言としては、「密売人たちはスイスの難民制度を意図的に悪用し、スイスの人道的伝統を圧迫している」というのが有名だ。確かにこれは強硬派らしい発言といえる。

知己の多くは、問題提起し自身の無力さを包み隠さない政治家だと評する。「強硬派」は副次的な描写にすぎないが、本人は常に気にしていた。

そして2024年12月11日。スイス連邦議事堂で、カリン・ケラー・ズッターは2025年のスイス連邦大統領に選出された。

名声はさらに高まり、「権力の女性」に位置付けられる。ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーは11月に掲載した特集記事外部リンクで、同氏を「スイスで最も権力のある政治家」と評した。こう呼ばれるのは初めてではない。

世論調査「選挙バロメーター」2024年によると、スイス国民は最も影響力の強い政治家はアルベルト・レシュティ環境・交通・エネルギー・通信相だと見ている。国民党(SVP/UDC)所属のレシュティは7人の閣僚の中でも最も人気が高い。ケラー・ズッターは同じくらい影響力のある政治家とみなされているが、人気は著しく劣る。

故郷からの脱出

故郷ザンクト・ガレン州ヴィール(Wil)では、母親のレースリ・ズッターがレストラン「イルゲ」の店主としてゲストを出迎える。父親は厨房・在庫担当だ。1970年代末、子どもだったカリン・ケラー・ズッターは多くの時間をこの宿屋兼食堂で過ごした。

パンクなカリン・ケラー・ズッター
15歳のカリン・ケラー・ズッター 本人提供

ヴィールはドイツ語圏だが、トラクター工場「ヒュルリマン」で車両を受け取りに来るフランス語圏からの客も多かった。レースリは流暢なフランス語で彼らをもてなした。スイス東部は今も国内産業の中心地とみなされ、ザンクト・ガレン州もかつて栄えた繊維産業の名残がある。

末っ子のカリンは、年の離れた3人の兄たちを相手に強く自己主張しなければならなかった。食堂で交わされる会話から政治談議も学んだ。優れた店主はどんな客が相手でも、口論にならずに議論を交わすことができる。

リベラリズムに傾倒

カリン・ケラー・ズッターはギムナジウム(日本の高校に相当)時代に西部ヌーシャテルに1年間滞在し、フランス語を習得した。卒業後に通訳の資格も取得。ロンドンに1 年間、モントリオールに1学期間留学し、政治学を修めた。

反抗期にはパンクロックを聴いたり、レストランの手伝いを命じる父親に反発したりした。若い頃には左派的な考え方が強かったが、やがて右傾化。啓蒙主義の理想や自由主義、個人の責任と自由について探求するようになった。

カナダからの帰国後にカトリック色の強い田舎を離れ、1987年に経済的リベラル派の急進民主党(FDP/PLR)に23歳で入党した。保守性の強い出身地とは対照的に、自由主義的な考えを持つ若い女性として、すぐに注目を集める人物になった。

「明晰明快」

当時のザンクト・ガレン地域紙の編集長ゴットリーブ・F・ヘプリは2018年、ドイツ語圏の週刊誌ヴェルトヴォッヘへの寄稿外部リンクでこう回想した。「明晰明快、常に要点を絞った議論で私に感銘を与えた若い女性。焦点を絞った客観性を持ち、それをストレートに伝える」

ケラー・ズッターは自治体参事、州商工会の理事、州参事、党首、州の安全保障担当参事を歴任した。

へプリは「男女差に翻弄されない論法が時々脆く見えることは、彼女の支持者は気にならないようだ」と書いている。

司法・警察相としての業績も目立った。フーリガンに対する迅速手続きや難民制度の引き締めに取り込んだ。いずれもスイス全国に関わる問題で、強い印象を与えた。

カリン・ケラー・ズッター
Keystone

すべては金で決まる

2011年、ケラー・ズッターは全州議会(上院)議員に当選した。経済・社会政策に長じた。国家の歳入や歳出、徴収と再分配の流れを学び、連邦議会の作法を会得した。

政敵との接触を恐れず、むしろ取引を好んだ。委員会で自ら譲歩し、相手の譲歩を引き出した。

対人関係では和やかで気取らないように見える。イデオロギー的には柔軟性に欠けるが、戦略的には柔軟なことで定評がある。人脈構築・維持に長ける。

談義する議員たち
「政治工作の達人」。2023年、閣僚として全州議会(上院)で議論するケラー・ズッター Keystone / Alessandro Della Valle

連邦議事堂のドームの下、ケラー・ズッターは政治工作の最終仕上げを担う。2018年に連邦閣僚に選出され、当初は「余りポスト」だった司法・警察相に不本意ながら就任。2023年に財務相に横滑りした。

30年にわたる政治経験から、すべての政治は最終的には金に行き着くことを学んだ。政治学研究所のGfs.Bernの政治学者ルーカス・ゴルダーは、「ケラー・ズッターは財政を通じて連邦内閣の任務全てに携わり、それを意図的に活用している」と分析する。

左派からの批判

2020年、企業責任イニシアチブ(国民発議)への反対運動を展開し、国民投票での否決に持ち込んだ。これに対して「連邦閣僚として必要以上に(反対運動に)加担した」との批判が起こり、左翼紙ヴォッヘンツァイトゥングは「資本の女王」と揶揄した。

2023年にスイス第3の銀行クレディ・スイスが経営危機に陥った時、数十時間でUBSへの緊急売却計画を仲介し、世界の金融システムが奈落の底に引きずり込まれるのを防いだ。これに対しても、流動性保証により連邦が必要以上に負担を強いられたとの批判が出ている。

売却計画の仲介でケラー・ズッターと緊密に連携したスイス国立銀行(中央銀行、SNB)のトーマス・ジョルダン前総裁は、同氏の手腕を高く評価する。「全体を理解するために、複雑な事象を詳細まで突き詰めることに心血を注ぐ。だから重大な決断を下せる」とswissinfo.chの電話取材で語った。

売却を特報した英紙フィナンシャル・タイムズは2023年、ケラー・ズッターを「知識、勇気、決断力」を兼ね備えた人物として「最も影響力のある女性」25人の1人に挙げた。

補助金カット

2024年、連邦全体で50億フラン(約8800億円)の削減を目指す財政緊縮を主導した。暗に保守的な政策を優遇した、との批判が巻き起こった。

本人も各種インタビューで、問題は国家の実行能力だと説明している。NZZでは「自由主義が国家を弱体化させようとしているということを信じるのは間違いだ」と強調した。

大胆な財政緊縮が計画されている。ケラー・ズッターはスイスで最も難しい仕事だけでなく、補助金削減という最も難しい課題も背負ったようだ。補助金削減をめぐる議論は大統領任期中の最大のテーマとなりそうだ。そんな忙しい1年を、今でも愛するパンクロックと趣味のボクシングが支えるだろう。

(敬称略)

編集:Samuel Jaberg、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

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