スイスの老舗ホテル学校CEO「世界はホスピタリティ経済に向かっている」
世界最高峰のホテル学校の1つとされるスイスの旧「エコール・オテリエール・ド・ローザンヌ」の経営トップは、ホテル業界での実務経験は全くない大学教授出身だ。「教育機関」としての強化に徹する一方で、経営メンバーの刷新など大胆な改革に斬り込んでいる。
スイスには国際的に最高級の評価を受けるホテル学校がいくつかある。その中でもとくに有名なのがEHLグループ(エコール・オテリエール・ド・ローザンヌ)だ。1893年に設立され、ローザンヌ本校に加えグラウビュンデン州パスックとシンガポールのキャンパスで約4千人が学ぶ。
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2022年、EHLグループ理事会は新たな最高経営責任者(CEO)として、ホテル業界の経歴のないヴェンジン氏を任命した。伊ボッコーニ大学でグローバル戦略教授、技術革新マネジメント学部長を務めた同氏は、CEO就任以来、次々に改革を進めている。改装が終了してして間もないローザンヌのキャンパスで、ヴェンジン氏がswissinfo.chの取材に応じた。
グラウビュンデン州クール生まれ。1997年、ザンクトガレン大学で博士号(戦略・経営)を取得。
1998~2022年、イタリア・ミラノのボッコーニ大学で教鞭をとり、グローバル戦略教授、技術革新マネジメント学部長を務める。
2017年にミラノで顧客のイノベーション加速を目的とする「Corporate Hangar」を共同設立。会長を務める。2022年9月、EHLグループのCEOに就任。
swissinfo.ch:あなたを選任するにあたり、理事会はホテル業界の専門知識ではなく学術的な経歴を重視しました。その理由は?
マークス・ヴェンジン:理事会では様々な経歴を持つ候補者が検討されていましたが、最終候補者の中で大学教授だったのは私だけでした。
EHLは教育機関です。大学での指導や起業プログラムを主導した私の経験は、特に必要とされていました。私にはこうした経験があるからこそ、EHLとこの業界に外部の視点と革新的なアプローチをもたらすことができます。
CEO就任以来、どのような改革に取り組みましたか?
2022年9月に就任する前の約4カ月間、学校を視察して多くの職員と話をし、業界動向やEHLグループの課題の把握に努めました。
私にとって重要だったのは、EHLの強みは何か、そして過去6年にわたりこの学校がQS世界大学ランキングのホスピタリティ・マネジメント分野で世界1位に選ばれてきた理由を理解することでした。それを踏まえて、「戦略」「組織編成」そして「人材」の順に変革を実行しました。
ではまず「戦略」について。新しくなったことは?
新戦略は「SHINE(輝く)」という頭文字に要約され、それぞれの文字が戦略方針を表しています。
一つ目は、国際的プレゼンスの強化です。まずはスイス、フランス、中国、シンガポールを中心に、近隣諸国のドイツやイタリア、それからインドなどの歴史的につながりのある国々にも焦点を当てています。
二つ目は、デジタル技術の最大限の活用。教育エクスペリエンスを向上し、オンライン授業をさらに充実・拡大します。
三つ目に、EHLがホスピタリティ業界に与えるポジティブな効果の強化。特に若い人材にとって、より魅力ある業界にすることを目指しています。
EHLの学生(在校生、卒業生)と職員はどう関わってきますか?
それが私たちの四つ目の戦略方針です。「人」を主軸に据えたアプローチを通してコミュニティを構築したいと考えています。ホスピタリティ産業と周辺産業の結びつきの強化につながるでしょう。
そして、アカデミックなプログラムを充実させ、多くの職業訓練コースに加えて経営者コースを提供したいと考えています。学士課程と博士課程も再編成します。
EHLの組織編成の変化は?
機能別だったものが分野別の組織に移行しました。その一環として、新しい重要なカギになる「EHLスクール・オブ・プラクティカルアーツ外部リンク」を設立しました。接客サービス、調理、食品・飲料(F&B)業務など、EHLのDNAに組み込まれた、欠くことのできない実践的な活動の教育を統合した学校です。
「卒業生の就職実績や活躍が、私たちの成功を測る重要な指標になる」
「人材」面での改革は?
ほぼ全面的に経営陣を刷新しました。8人のメンバーのうち初めて3人の女性を迎え、国際的な経歴を持った人もいます。それぞれがホテル業界、学界、その他のサービス業やラグジュアリー部門の出身で、互いにうまく補完し合う関係にあります。
EHLの成功を測る基準は?
定期的に学生と教職員、スタッフの満足度を評価しています。加えて、卒業生の就職実績や活躍も重要な指標になりますし、新しい戦略への投資に必要となる財務実績も重要です。
主な競合相手は?
競争相手とは大いに協力し合っているので、「協力競争」とでも表現する方が好ましいと思います。ザンクトガレン大学やHECローザンヌ(ローザンヌ大学経営経済学部)を含む、他の全てのビジネススクールが含まれます。
卒業生の半数以上がホスピタリティ以外の業界に就職しています。どんな分野ですか?
当校の卒業生はリーダーシップの資質と顧客志向に優れているため、ホスピタリティ以外の分野でも引く手あまたです。特にラグジュアリー業界、プライベートバンク、営業・販売など、顧客との信頼関係が最優先される分野で活躍しています。
より広く言えば、世界は「ホスピタリティ経済」に向かっています。単調な業務はますます人工知能(AI)が行うようになり、一方でマネジメント職は対人業務や接客、ホスピタリティ業務に注力しなければならなくなる、ということです。
ホスピタリティは、教室の中で学べるものでしょうか?
当校の教育の基盤は、実践と経験にあります。生徒は学士課程に入る前の1年間の準備コースで、ホテルと飲食業界のあらゆる職業について徹底的に実習を行います。
例えば、客室の清掃、調理、テーブルセッティング、接客、ソムリエとしての仕事などです。これら全ての実習が、一般客も利用できるキャンパス内のミシュラン1つ星レストラン、「ル・ベルソー・デ・サンス」で行われます。
また、在学中に2つの企業での職業実習が義務付けられています。さらに学士課程の最終学期には、クライアント企業とのプロジェクトに関わったり、ビジネス・プロジェクトを構築したりする機会もあります。そこから革新的なスタートアップの設立につながることもあります。当校には125カ国から集まった学生が在籍しているため、多文化要素の中で実際にマネジメントを体験することもできます。
EHL入学に必要な資質とは?(ホテル業界の)裕福な家庭の出身者は有利ですか?
審査では応募者の学力、特に数学と英語のレベルを重視します。また、やる気や性格も評価の対象になります。裕福な家庭の出身かどうかは考慮しません。この点についてはどんな例外も認めません。
「EHLの学士課程で学ぶ2500人のうち、1100人がスイス国籍、13%が在外スイス人の学生」
学士課程4年間の学費は約17万フラン(約2900万円)です。スイスの学生には国からの補助がありますか?
当校の学士課程はHES-SOシステム外部リンク(スイス西部の高等教育機関、応用科学大学が構成するシステム)の一部なので、在外のスイス人学生や親がスイスに住む外国人学生を含め、スイスの学生は学費がはるかに安く、学士課程の4年間の費用は寄宿費と食費など全てを含めて約9万フランほどです。
学士課程で学ぶ2500人のうち、1100人がスイス国籍、13%が在外スイス人の学生です。
学生は客室の清掃など実践的な仕事も学びます。裕福な家庭の学生には難しいですか?
この点に関しては、教員の機知に富んだ指導力に感嘆しています。こうした仕事を高いレベルで完璧に、かつ効率よくこなすのは非常に複雑で、集中力と経験を要するものです。
細部へのこだわり、忍耐強さ、規律正しさや時間厳守など、自分たちでさえ教えられなかった価値観を、子どもたちがこの学校のおかげで身に付けられたと打ち明ける保護者もいます。EHLは、個人としての成功を達成するための学校でもあります。
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「財力ではなく能力のある学生に来て欲しい」
米国のエリート大学は卒業生からの資金調達に長けています。EHLは?
戦略的パートナーシップの担当として、米国人のデービッド・ナフ氏を経営チームに迎えました。堅実な資金調達システムを構築し、財政援助のオプションをさらに拡大させることが彼の仕事の1つです。
EHLの卒業生には学校と密接な関係を維持している人も多く、コーチング・プログラムに協力したり、新しい世代の学生に就職の機会を提供したりするなどしています。
ホスピタリティ分野であなたが最もインスピレーションを受ける国や企業は?
スイスのホテルの水準の高さ、特に経営効率の高さは素晴らしい。また、スイスには優秀なホテル学校が20校近くあることも注目に値します。
アジアにおける、常に卓越した最高のサービスを追求する姿勢にも感嘆します。当校キャンパスのあるシンガポールでは、チェックインの自動化でロボットが活用されるなど、ホテルへの新技術の導入が急速に進んでいることも特筆すべきです。
編集:Pauline Turuban 仏語からの翻訳:由比かおり、校正:ムートゥ朋子
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