スイスの村の日本人劇 今年もユーモアで世情を風刺
スイスの小さな村シュヴィーツの人々が愛する日本の大君「ヘソヌソデ」が、6年ぶりに舞台に戻ってきた。村人のてんやわんやをヘソヌソデが見守るという筋書きの日本人劇「ヤパネーゼンシュピール」。156年目の今年もスイス国内外の出来事がユーモアたっぷりに風刺される。公演は10日まで行われる。
スイス中央部に位置する州都シュヴィーツ。人口わずか1万4000人の村では通常5年に1度、村の教会前広場に大掛かりな舞台が登場する。高い立体的な舞台の上で、架空の村イェド・シュヴィーツの住民たちが日いずる国の大君ヘソヌソデ(Hesonusode)の来訪を今か今かと待ち構える。(ここでいう「大君」は天皇を意味する)。イェド(Yeddo)は日本の江戸から取ったもの。架空のシュヴィーツだ。
冬のカーニバル(謝肉祭)の時期にあえて行われる野外劇ヤパネーゼンシュピール(Japanesenspiel)には、村人約200人が出演する。雪でも氷点下でも、天候を理由に中止されることはない。
爆竹の破裂音が夜の静寂を破ると、東洋的な音楽とともにヘソヌソデとその奥方がクラッシックなオープンカーでやってくる。2人に同行するのは、まるで歌舞伎役者のようなメークを施した護衛、その名も「カブキ」の7人衆だ。
本来なら2012年開催予定だったが、東日本大震災を考慮して1年ずらし、今年開催されることになった。無事にイェド・シュヴィーツに到着したヘソヌソデは、来訪が1年遅れてしまった理由をこう述べる。
「ここに来られるのはなんと素晴らしいことだろう。苦痛の1年は今、過ぎ去った。大地はぐらつき、東の国も揺らいだ。海神は大量の水で、私の大切な国を襲った。破壊は甚大で、放射能が国を汚した。私は故国で深い悲しみに暮れ、愛するイェド・シュヴィーツを訪れることがかなわなかった。しかし今、ようやくここに到着し、シュヴィーツ国民のもてなしを嬉しく思う」
中央スイスのシュヴィーツ(Schwyz)では、カーニバル(謝肉祭)の風刺劇「ヤパネーゼンシュピール(Japanesenspiel)」が村の教会前広場で2月10日まで上演される。2月8日と9日の公演は20時から、10日の公演は14時から。
今年の題名は「Nii aber au(えー信じられない)」。話の中心は裁判で、さまざまな社会の対立が風刺される。作品には日本の大君ヘソヌソデ(Hesonusode)が登場し、架空のスイスの村イェド・シュヴィーツ(Yeddo Schwyz)の村民たちの様子を静かに見守る。
監督はウルス・キュンディク、シナリオはヴィクトル・ヴァイベル。シナリオは開催年ごとに新しく作成されるが、ヘソヌソデと農民トレスメレン・イェレテネル(Träsmeren Jöretönel)、教師シュエルヘア・カーリフランツ(Schuelherr Karlifranz)はいつも登場する。
劇の終わりでは、出演者が一斉に恒例の曲を歌って、ハッピーエンドで劇を締めくくる。歌詞に何回も登場する「ヴィヴェルン・タイクン(Vivelun Taikun)」は「大君万歳」の意味。
劇には約200人が出演。参加資格はなく、子どもからお年寄り、外国人、体に障害のある人など誰でも参加できる。
ユーモアで世情を語る
喜びもつかの間、ヘソヌソデはお気に入りの2人、農民トレスメレン・イェレテネルと教師シュエルヘア・カーリフランツがいないことに気付く。すると、一部の村民が舞台横に建てられた記念碑を指し「農民と教師は今の世の中では重要ではなくなったので、思い出に記念碑を建てた」と言う。
すると、ほかの村民が「農民も教師も社会にはまだ大切だ」と訴え、記念碑の撤去をめぐって村民の間でけんかが始まる。「争いはやめよ」とヘソヌソデが嘆いたため、村人の中から選ばれた裁判官3人が裁判を行うことに。そこでは農家と消費者、銀行家と節約家、敬虔なキリスト教信者と改革を求める信者、インターネットの利用方法でもめる若者が互いに意見をぶつけ合う。今の時代を象徴するさまざまな社会の対立が、舞台で面白おかしく繰り広げられる。
シュヴィーツの方言が分からない観客なら、あらすじを追うことさえも難しい。だが、屈強なカブキたちが「カーブーキー」と低い声でうなりながら、先端にイガイガのついた杖を振り回して村人のけんかを仲裁する様は、方言が分からない人にも笑いを誘う。
「笑いは意図して作ろうとはしていない。セリフもそうだが、コスチュームや役者の立ち振る舞いが笑いを引き起こすこともある。しかし、風刺の本来の目的は、あくまで真実をユーモアで表現すること」と、今回の脚本を担当したヴィクトル・ヴァイベルさんは語る。
創造力をかき立てた日本
シュヴィーツでこのヤパネーゼンシュピールが始まったのは1863年。1848年の内戦(分離同盟戦争)で敗れたシュヴィーツでは、村民たちは戦争に負けたことを恥じ、戦争の賠償金支払いに疲弊していた。そこで村民たちを勇気づけようと、地元の名士カール・シュティガーとアムブロス・エベルレが1857年、「サーカス・カーニバル(Circus Carneval)」という劇を謝肉祭の期間に始めた。
謝肉祭で大事なのは、エキゾチックさやファンタジーだ。そのため「サーカス・カーニバル」では中国、3年後の2作目では動物がモチーフとして使われた。だがその後、200年以上鎖国を続けてきた日本という国が開国し、スイスの使節団が修好通商条約を結びに日本に渡航したという知らせが村人たちに届く。
未知の国日本に創造力を膨らませた村人たちは、日瑞修好通商条約が締結される1年前の1863年、「日本の中のスイス(Die Schweiz in Japan)」を公演。想像上の日本をモチーフにスイスの世情を風刺したこの劇は反響を呼び、その後も大君を含む「日本」がこの劇の要素として定着するようになった。
今ほど情報網が発達していない当時のスイス人が想像した日本人。中国の宮廷人を思わせるその姿が実際の日本人と若干違う部分があるのは当然だ。「劇はあくまで今のスイスの風刺。実際の日本人を演じているわけでも、日本を笑いの種にしているわけでもない」と、劇作家のヴィクトル・ヴァイベルさんは説明する。
謝肉祭に「感染」
ヤパネーゼンシュピールは村民たちの間で世代を超え愛されてきた。「楽しくなければ、これまで参加してこなかったよ」と話すハンスウエリ・シュミディクさんは、30年この劇に参加してきたベテラン。今回は白塗りのメークでカブキ役に挑む。
1月下旬に行われた最終予行演習はあいにくの大雨が降り、公演初日も柔らかい雨が降り注いだ。しかし、「軍隊で鍛えたから悪天候には慣れているんだ」と平気な様子。だが、「今年で私は70歳。5年後もこの劇に出られるかな…」としんみり。
教師のマリー・ルイーズ・ベッファさんは、劇中では村人のまとめ役を務める主要人物。家族ぐるみでこの劇に参加しているという。「なんでこの劇に参加するのかって?ヤパネーゼンシュピールに『感染』したから。それに、この劇は村民のきずなを深める」
一度参加したら、楽しくて楽しくて、この劇に参加しないなんてことはもう考えられない。だからこれは「感染」する。家族へ、友人へ、お年寄りから子供へと。劇作家のヴァイベルさんは言う。「ヤパネーゼンシュピールは人々の心を清潔に保つもの。この劇では普段言えないことも他人に変装することで楽しく打ち明けられる」
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