パレスチナ国家の在り方を問う
パレスチナは194番目の国際連合(UN)加盟国として承認されるのだろうか。パレスチナの人々はどのような国家を作りたいのだろう。また、建国された場合、この地域に及ぶ影響はどのようなものなのか。
エルサレムにある連邦外務省開発協力局(DEZA/DDC)協力事務所長を務めるジャンカルロ・デ・ピチョット氏に話を聞いた。
東エルサレムには、商店街と呼べる通りはもうあまり残っていない。数少ないそんな通りを歩いても、パレスチナの国連加盟に寄せる期待はあまり感じられない。
だが、壁の向こう側のラマラー(Ramallah)では様子が少し異なる。走り過ぎる車の中には194という数字が書き込まれたパレスチナ旗を飾ったもの、また店の中でも同じ旗の模様のついたコーヒーカップや風船を売っているところが目につく。9月17日には、ラマラーとエルサレムの間にある重要な検問所カランディヤ(Qalandiya)でデモもあった。
20日に発表されたアンケート調査結果によると、パレスチナ人の大半が国家承認の申請を支持している。彼らはしかし、パレスチナが独立国家になろうがなるまいが、ヨルダン川西岸地区のイスラエル占領問題には当面何の変化も起こらないことをよく承知している。
いずれにしても、エリートクラスの知識人は、現時点で国家成立を宣言することには反対だ。それよりも、その独立国家がどのようなものであるべきか、国家が国民に提供すべきことは何か、隣国、もちろんどこよりもイスラエルと将来どのように関わっていくのかということについて論議すべきだと考えている。
国家とは何か
デ・ピチョット氏もこのような姿勢を歓迎しているはずだ。エルサレム協力事務所では定期的に、まさにこれらの問いをパレスチナ側に投げかけてきたからだ。事務所を率いるデ・ピチョット氏の第一の任務は、存続可能な民主主義国家パレスチナの建国支援だ。
「現段階ではパレスチナは194番目の国連加盟国として承認されそうだが、そうなればパレスチナ側との関係の質は必ず変わるはずだ」とデ・ピチョット氏は確信している。
「パレスチナ人はどんな国を作りたいのか、明白な考えを持っていなければならない。国会を2院制にするのか。政府は国民とどのような対話を目指していくのか。国民は司法的にどのように関与するのか。どのような憲法を施行するのか。これらの問いに対し、未来のエリート政治家はなるべく早く答えられなければならない」
エルサレムのスイス
スイスは1994年に東エルサレムに事務所を開設し、以来パレスチナ国家の在り方を定める支援を行ってきた。各国から集まったスタッフや地元出身のスタッフは、例えば国連人権委員会、ヨルダン川西岸でも活動しているパレスチナ自治政府の農業省や統計局などと常に連絡を取り合っている。
その一方で、スタッフはまた女性関連の協会や経済界の代表者とも話し合いを持ち、文化活動の支援も行う。今はちょうど、チューリヒの文化センター「ローテ・ファブリック(Rote Fabrik)」のスタッフ2人が現地に滞在しているところだ。11月にはパレスチナの文化人をチューリヒに招待する予定になっている。
「国家構造の構築をなおざりにせず、その上でしっかりした市民社会を作ることが大切だと思っている。国家を機能させるのは、結局のところそれぞれの関係者の間の協力関係だからだ。そして我々スイス人は、これに関する重要な支援を行うことができる」とピチョット氏。
パレスチナはどこにある?
では、将来のパレスチナ国家は具体的にどこに作られるのか。その正確な場所についての意見は分かれる。イスラエルは1967年以降、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、東エルサレムを占領しているが、これらはいずれパレスチナ国家に帰属すべき地域だというのがアメリカも含めほぼどの国も認めている国際的な見方だ。
「東エルサレムも占領されたパレスチナの土地なので、スイスはこの協力事務所を1994年、この土地に創設した」とデ・ピチョット氏は説明する。
開発協力局が現在もなお東エルサレムでの活動を許されているのは、当時の外務大臣ジョセフ・ダイス氏の功績だ。ダイス氏は外交手腕を発揮し、2001年、多くの国が事務所をパレスチナ自治政府の行政の中心であるラマラーへと移すことになった中、パレスチナへの人道援助と開発協力を目的としたこの事務所をエルサレムに残すことに成功した。
継ぎはぎじゅうたん
ヨルダン川西岸地区はまるで継ぎはぎされたじゅうたんのようだ。ここは1993年のオスロ合意以降、三つの地域に分割されている。A地域はパレスチナ自治政府の管轄下にあり、ラマラー、ベツレヘム、ナーブルス(Nablus)、エリコ(ジェリコ/Jericho)などの町がある。
B地域はイスラエルとパレスチナ自治政府の共同統治。C地域は完全にイスラエル軍の手中にあり、ヨルダン川西岸地区の6割以上がこの地域に属している。
「このC地域にはアラブ系の遊牧民であるベドウィンが多く住んでおり、その大半はもう数世代にもわたってここで生活を営んでいる」と、デ・ピチョット氏は活動の一例の説明を始める。
「ジュネーブ条約により、イスラエルは占領国家として住民に対する教育の保障が義務付けられている。だがイスラエルは、ジュネーブ条約はヨルダン川西岸地区には適用されず、ベドウィン人用の学校は建設しないと言っているため、各国の協力で学校が建てられることになった。しかし、よくあるようにこれらの学校がイスラエル軍によって破壊されでもしたら、それは許せないことだ。それなら、占領勢力が国際法を遵守し、必要な社会インフラをすべての住民に提供するよう、もはや直接働きかけた方がよいだろう」
対話
そのような対話を保つことは時に困難だとデ・ピチョット氏は言う。好ましくない出来事について話さなければならない場合は特にそうだ。「しかし、スイスは中立国としてどの勢力とも話し合うことが可能だし、そうするべきだ。我々がここにいるのは、パレスチナの人々がほかの人々と同じように独立国家に対する権利を持つことを国際社会が1948年に決定し、また1993年にオスロで確認されたからだ」
23日、パレスチナ自治政府は国連加盟を申請した。しかし、今や現地のほとんどの人が皮肉を交えたトーンでしか口にしなくなった言葉「聖地」をめぐるこの紛争はまだまだ終わりそうにない。
「我々の仕事がなくなることはまずない」と最後にデ・ピチョット氏は語る。「スイス人として、ここを去るなどまずできないことだ。これは世界に波紋を広げる紛争だ。ここ中東にいつの日か永続する平和が訪れるよう、我々の責任を果たしたい」
連邦外務省開発協力局(DEZA/DDC)はイスラエル建国以後、パレスチナ難民の支援を続けている。イスラエル建国によってパレスチナ人は、今日のヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ヨルダン、レバノン、シリアなどに追いやられた。
2010年、開発協力局は「民主的で存続可能なパレスチナ国家」のための支援を再確認。マルティン・ダヒンデン局長が同地域の戦略報告で公表した。
スイスが2014年までパレスチナ支援に投入する資金は年間2200万フラン(約19億円)と他国に比べて少ない。これらの資金は市民社会、農業、国家構造の構築の促進に充てられる。
現在53歳。6カ国語を話す。
ギリシャ人の母とイタリア人の父を持ち、イタリアとスイスで育つ。
連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ/EPFZ)で農学を学ぶ。
その後、アラブ首長国連邦で農業を営み、ローマとモザンビークで国連食糧農業機関(FAO)の任務に就く。
開発協力局の仕事には15年間携わっており、ベルンの本部に勤務したほか南米などで現地活動に当たった。
2009年からエルサレムの協力事務所の所長を務める。
(独語からの翻訳、小山千早)
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