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エンガディン地方の美しい壁 – スグラフィット技法

シンプルな配色に窓辺の花がよく似合う。エンガディンの夏らしい光景 swissinfo.ch

スイスを旅すると、地方ごとに家のスタイルが違うことに気がつく。それぞれにとても美しくて興味深い。今日は、私の住むグラウビュンデン州、主にエンガディン地方によく見られるスグラフィット(Sgraffito)文様を施した家について書こうと思う。

 スイスの面積は九州よりも小さいが、アルプスの高い峰が壁の役割を果たしているためか、山を一つ超えると全く違うタイプの家並みに迎えられ、まるで違う国に来たかのような印象を受ける。地方ではそうした特徴のある建築が景観を形づくるものとして保護されるので、都会に較べてより一層その印象が強くなる。

モチーフは幾何学文様や草花が多い。シンプルな図形の組み合わせが美しい文様を作り出す swissinfo.ch

 グラウビュンデン州の東部にあるエンガディン地方は、アルブラ峠、ジュリア峠、ベルニナ峠、マロヤ峠という名だたるアルプス連峰に囲まれている。そのために他の地域とは長らく分断され、今もロマンシュ語をはじめとする独自の文化が息づいている。

横から見ると漆喰を削り落としている技法がよくわかる swissinfo.ch
美しく装飾された紋章。目立つように色を変えてある swissinfo.ch

 このエンガディン地方の光景を、特徴付けるひとつがスグラフィット技法で飾られた壁を持つ家々。グラウビュンデン州に住む私にとっては馴染みの深い光景だ。

 スグラフィットは、「ひっかく」という意味を持つイタリア語の「Sgraffiare」という単語から派生した言葉で、2層の対照的な色の漆喰を塗りかさね、表面の湿った層を掻き落として線画を描く装飾技法だ。

 子供の頃に、クレヨンを使って色とりどりに塗った上から黒で塗りつぶし、釘などで引っかいて下の色を露出させて遊んだのをよく憶えているが、あれと同じ理屈で作られている。クレヨンと違うのは、塗っているのが漆喰なので模様を作り出すには熟練した技術者が必要だということだろう。

 この技法は遅くともルネサンス期には完成していて、エンガディン地方だけでなくチェコやオーストラリアなどにもスグラフィットの壁で飾られた美しい家がある。

美しいスグラフィットのある家は保護されていて簡単に建て替えることは出来ない swissinfo.ch

 もともと家の壁は断熱や仕切りとしての役割を果たせばいいものだ。私の家の近くでは、平たい石を積み上げた厚い壁の上から漆喰を塗っただけの平板な壁の家が普通だ。裕福な人びとは、さらにアーチや装飾柱、壁面装飾、大理石などの美しい色の石材などで外壁を飾る。

 コストや山の中への資材の運搬、または技術者の不足で、そのような美しい装飾がなかなか用意ではなかったエンガディン地方では、スグラフィットによってまるで石を彫って飾り付けたように見える装飾が発展したらしい。

 同じスグラフィットを用いた装飾にも、ほんの一部に使ったごく簡単なものから、全体を覆うほど華麗に装飾を施した豪華なものまでさまざまだ。一番簡単なものは色の濃淡の組み合わせで凹凸のある石を配置したように錯覚させる角の装飾だ。

 その他に、窓枠の装飾、その家の紋章を象ったもの、聖書の句を書き出したもの、ホテルやレストランであればその名前など、家の持ち主の趣向と技術者のセンスが家の壁というキャンバスの上に花ひらいている。

 その技術者は「塗装者(Maler)」と呼ばれているが、ごく普通にペンキを塗る塗装者とは違って、彼らの技術の習得にはより長い訓練が必要だ。また、近年では技術者が減っているので積極的に技術の伝承と保護をしていく必要がある。

新しいタイプのスグラフィット。漆喰を全て上塗りしていないので壁の色を自由に変えられる swissinfo.ch
カラフルなスグラフィットを持つ家。イタリア語圏風の屋根や自由にデザインした文様など、典型的なエンガディンの家とは違っているが、かけ離れすぎないように意識しているように思える swissinfo.ch

 伝統的な家は保護されるので基本的には建て替えも出来ず、メンテナンスにも費用がかかる。それでも、グラウビュンデン州にはたくさんのスグラフィットの家が残り修復されているところに、先人から受け継いだ文化を守ろうとする人びとの心意気を感じる。この特徴のある壁を見る度に、「故郷らしい景観」を大切にするスイス人らしさを好ましく思う。

ソリーヴァ江口葵

東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。

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