秋はいつも狩猟小屋で – 狩りをする人びとのこと
スイスでは9月から11月までの一定期間、狩猟が許されている。この時期、猟銃を持って山に向かう人をよく見かけるし、森の中では銃声を聞くことも珍しくない。この秋、趣味の狩人である友人に、狩猟小屋に招待してもらう機会があり、これまでほとんど何も知らなかった狩りについて話を聞くことができた。
数年前に、ロメオ・パルパンさんはサン・ベルナルディーノ峠(San Bernardino Pass)近くに建つ小さな小屋を買った。春や夏は週末の別荘として使用しているが、メインの目的は秋の狩猟期間にここで寝泊まりすることだ。
この小屋には1941年までは峠の道の管理をする人が通年住んでいた。厚い石壁に覆われた古い家で、建てられたのは遅くとも1880年で、壁や屋根は時折修復されていたが、設備などは当時のままだっだそうだ。標高2065mのサン・ベルナルディーノ峠は、夏でも朝晩は相当冷え込む。パルパンさんは隙間風を防ぐために三重窓に取り替えたり、トイレやシャワーを使えるように貯水タンクやボイラーを自ら設置して快適にしている。
この山の上には、都市ガスはもちろん、水道も電気も通っていない。電気は屋根に取り付けた太陽光パネルから得、ガスボンベやペットボトルの水を車で運ぶ。スイッチを入れたり、蛇口をひねるだけで電気や水がいくらでもでてくる自宅とは違うので、百年前の先人たちと同じように、暖房は古い大きな薪ストーブを主に使い、そして皿洗いは家の外の泉で行っている。
パルパンさんの一年は、秋の狩猟期間を中心に組立てられていると言ってもいい。春や夏の週末をこの小屋で過ごすのも、半分は小屋をさらに快適にする改装のためだ。毎年秋のシーズンには必ず休暇を取り、仲間と狩猟に出かける。
私の住むグラウビュンデン州の山岳地帯には、パルパンさんのような趣味の狩人がたくさんいる。たいていは父親や祖父の狩猟に少年の頃から同行していた人たちで、18才になるとすぐに狩猟免許を取得するようだ。「僕は、24歳で免許をとったから、そろそろ狩猟歴30年になるね」パルパンさんは語る。
狩猟は、スイスではそれぞれの州の関係官庁が管轄監督している。例えば私の住む地域では、グラウビュンデン州狩猟漁獲庁(Amt für Jagd und Fischerei Graubünden)外部リンクだ。狩りをする人は、理論の試験に合格して狩猟免許を取得しているだけでなく、毎年射撃のテストに合格し、シーズンごとに規定の料金を払わなくてはならない。
狩猟には、大きく分けてハイシーズン狩猟(Hochjagd)とローシーズン狩猟(Niederjagd)があり、それぞれの期間にどこでどのような動物を撃っていいのか細かい決まりがある。
例えば、鹿(Hirsch)やノロジカ(Reh)、シャモア(Gämse)はハイシーズン(グラウビュンデン州では2015年は9月3日 から13日と9月21日から30日)のみ、二歳以下の仔鹿や妊娠中ならびに仔連れのメスは撃ってはならない。また、禁猟区や人家の近くでの猟も禁止だ。ノロジカとシャモアはシーズンに三頭までと上限がある。
ローシーズン(グラウビュンデンでは2015年は10月1日 から11月30日)には狐、野兎、雷鳥などの他、訓練された犬が必要だが鴨を狩ることができる。
アイベックス(Steinbock)は、特別の狩猟許可が必要で、10年に一度オス一頭のみ撃つことができる。狼や熊などをアマチュアの狩人が撃つことは許されていない。間違って撃ってしまったとしても大変な罰金が科されるそうだ。
パルパンさんは、今年はハイシーズンで狩りをし、鹿とノロジカを撃った。私たち夫婦は、その鹿肉のシチューをご馳走になった。「100kg近くあったんだよ」彼は、嬉しそうに写真を見せてくれた。
撃った動物は、最後の栄誉として口に木の枝をくわえさせてから、肉屋に運ぶ。肉屋は、狩人の希望に応じて、その肉を処理してくれる。パルパンさんは、内蔵などは調理できないので、ひき肉、ソーセージ、ステーキ肉、細切れ肉になる部分のみ処理してもらい、40kgほどになったそうだ。不要な部分は、処理代金を差し引いて肉屋が買い取ってくれ、それがレストランなどでジビエ料理となって提供される。
その後、必要があれば、肉屋から戻ってきた毛皮、革、頭部、頭蓋骨などを剥製師(Präparator)のもとに持っていく。頭部や全体の剥製、頭蓋骨、毛皮の敷物などにしてもらうためで、狩りを趣味にしている人の家庭やホテル・レストランなどによく飾ってある。パルパン家では、奥さんが剥製を嫌いなので、頭蓋骨のみで数もそれほど多くない。
「趣味で動物を殺すなんて残酷で野蛮だ」という考え方もある。しかし、生息地の限られている現代のスイスの野生動物は管理されていて、個体が増えすぎたら数を調整する必要がある。結局、管理局の代わりに趣味の狩人たちが撃っているのだ。そして、撃たれた野生動物の肉のほとんどが私たちの食卓に上がることになる。
私たちが普段食べている肉は必ず、かつては生きていた動物を誰かが殺した結果だ。家畜であった牛であろうと、野生の鹿であろうと違いはない。東京での生活と違い、畜産農家の近くで暮らしていると、昨日までそこに生きていた動物が今日は皿の上に載っているという経験が多い。私もここに住むようになってから「命を食べているのだ」と強く意識するようになったし、狩人たちを「残酷だ」と責めるのは単なる感情論だと思うようになった。
バルパンさんの作ってくれた美味しい鹿のシチューを食べながら、山や野生動物についてたくさんの話をした。趣味の狩人たちは、森や山といった自然に対する理解が深く、動物たちが生存していくための環境についての意識もとても高い。企業による開発などで自然が破壊されることに対する具体的なアクションも多い。そうした人たちの身近にいることで、狩猟とは縁のない私たちも自然や環境に対する考えを改めていくのは素晴らしいことだと思った。
ソリーヴァ江口葵
東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。
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