伝説的山岳ガイド、ウルリッヒ・インデルビーネンさんを悼む
70年間続けた山岳ガイドについて、インデルビーネンさんはこう話していた。「つまらないと思ったことなんて一度もないね。後ろからついてくるお客さんが遅すぎなければね」。
ピラミッド形が美しい標高4,478メートルのマッターホルンを登った回数は370を越える。90歳を過ぎても、4,000メートル級の山を定期的に登った。「アルプスの王者」と登山者の間で親しまれていたスイスの伝説的山岳ガイド、ウルリッヒ・インデルビーネンさんが14日、自宅で亡くなった。享年103歳。
妥協せぬ「現代の仙人」
かつて受けたインタビューの中で、インデルビーネンさんは幼少の頃をこう話している。「ほんの少しのもので満足しなさいと教えられた。欲を持たず、勤勉であれ、ってね」。
マッターホルンのふもと、ツェルマットの山岳農家に生まれた。兄弟姉妹は8人。5歳の頃から牛や羊の世話をする。当時、人口700人ほどの山あいの小さな村で、それは当たり前のこと。山登りも生活の一部だった。
21歳の時、妹と一緒にマッターホルンに初めて登った。それから4年後、山岳ガイドとなる。インデルビーネンさんが初めて案内したドイツ人医師は、「彼といると安心できた。次も彼を指名したい」とコメントを寄せたという。人気はぐんぐんと高まっていった。
95歳で引退するまで休んだのはただの一度だけ。山を登っている最中、氷の上で足を滑らせ肩に傷を負った時だ。それでも10日間しか休みを取らなかった。体は健康で、歯医者に行ったのは74歳の時が初めて。メガネもかけたことがない。
「健康でいられるのは、物事を明るい方に取る性格と、自然を楽しむガイドという仕事があるおかげ」と自叙伝に書いている。
「ストレスとか多忙とか、僕には無縁の話でね。僕はただ山を登るのと同じように生きているんだよ。ゆっくりと慎重に、一歩一歩、目的を持って規則正しくね。僕の仲間は目的地に着くまでは足を止めない頑固オヤジだと思っているみたいだよ」と照れながら語っていた。
口数は少ない人だった。海外のテレビ局が取材を申し込んで、カメラを回しても、一言、二言話す姿だけが写った。
昔の生活スタイルにこだわるところも見せた。車や自転車を持たない。電話もないので、ガイドを頼む登山者はツェルマットの教会へと足を運んだ。敬虔なインデルビーネンさんが毎朝欠かさず姿をあらわす所が教会だと知っていたからだ。
ハイカラなところもあった。80歳を過ぎてスキーを始め、やみつきになる。90歳の誕生日でもらったスキー板が自慢だった。
心残りはタンザニアのキリマンジェロ登頂を断念したこと。92歳という高齢を理由に家族から反対された。「なんでダメなのか理解できないよ」と何度か漏らしたことがある。
インデルビーネンさんは晩年もツェルマットに住みつづけた。マッターホルンに最後に登ったのは90歳の時。「なんてったって気持ちのいい山だよ。最初に登頂したときの感激と最後に登ったときの気持ちは変わらない」。
スイス国際放送(通信社電) 安達聡子(あだちさとこ)意訳
ウルリッヒ・インデルビーネン
6月14日死去、103歳
6月17日葬儀
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