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安楽死、賛成?反対?

担当: 宇田薫

スイスでは1940年代の刑法改正で、利己的な理由によらない自殺ほう助が合法化されました。1980年代以降に国内で生まれた自殺ほう助団体は、この刑法の条項を法的基盤に末期患者らへの自殺ほう助を行っています。

現在では年間1千人を超える人たちが不治の病や障がいを理由に、自殺ほう助団体の助けを借りて自らの生を終えています。

日本など多くの国では、こうした自殺ほう助は法律で禁止されています。

スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと

安楽死は、認めても良いと思いますか。それとも反対ですか。

スイスの安楽死支える「死の介添人」

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記事より 安楽死はなぜOK?スイスに住む人達はこう考える

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AKEMI
AKEMI

もちろん『安楽死』賛成です。
脊髄小脳変性という難病で今の医学では治りません。日に日にやれた事ができなくなっています。
安楽死について、どこにどうしたらいいのか教えて欲しいです。
もう、気持ちはできています。

のり
のり

頚椎ヘルニアで、10年鎮痛剤💊ブロック注射などしながら痛みに耐えられる毎日です。

毎日死ね。無いか格闘しています。
安楽死に賛成です。

もうどうしていいか悩んだりする。
のが限界点に有ります。

あかね
あかね

私も安楽死は、賛成です。 自分の命ですし耐え難い苦しみを
感じながら生きていることの価値がわからないし、日本もなぜこういう制度がないのか?
私も耐え難い苦しみを、耐えながら行きたいといけなくなったらこの方法を選びたいと思えた。

ともき
ともき

私はは賛成です。
私は昨年脳卒中にて左半身が重度の麻痺になり現在リハビリをしながら生活していますが回復の見込みがなく思うことが全くできず生きているのが辛い状況です。周りにいた知人はどんどんいなくなっていきひたすらに孤独に耐える日々の中考えたのは安楽死でした。
自分が死を望んでいるのに他人にダメと言われるのは意味がわかりません。
自殺ではなく法のもとに処置してもらえる世の中に早くなって欲しいと思っています。

YS
YS

もちろん賛成です。
自分の死に際でさえも他人に委ねられるのは間違っていると思います。
その人が死にたいと言ったら死なせてあげるべきだと思います。
死ぬ権利もくそも無いです。
そんなのは権利じゃなく当たり前の事です。
生きるのにもお金がかかり、死ぬのにさえお金がかかる。
これは一体どういう事なのでしょうか?
生きるのも簡単ではない死ぬのにも後遺症やハードルや迷惑など様々な問題がある。
この世の地獄とはまさにこのことですね。

10代
10代

死ぬことは個人の自由だから賛成
10代の私でも安楽死について興味を持ち、最近では死ぬことしか考えてることができていない
日本では安楽死を認めていないけれど、私は辛い生活の中で生きて行く人が痛い思いをしてまで自殺をするより、安らぎを与えるためにもいろんなところで安楽死について深く考えるべきだと私は思う

まるこ
まるこ

私は賛成です。家族が苦労をしてでも介護してくれるなら本人が望めば生きるのは当然と思いますが、医療機関、介護施設を利用して生き続けるのは間違いです。医療機関や介護施設の人も仕事としてやりますが、体をまったく自分で動かせない、食事すらできない人の世話など建設現場で働くほどの重労働であり、転倒や嚥下のリスクなど介助するものに多大な負担を与えているのです。自分で生きることができない者を行かすために介助するものが疲弊し精神的にも傷つけられるのです。
日本でも早く安楽死の法整備を整えてくださるようお願いいたします。

DMC71
DMC71
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私はそれに反対はしないが、あるクリニックでは、健康で活発な51歳の女性が、1年前に亡くなった26歳の息子と一緒になるために死を望んでいた。彼女は一人で行き、家族も友人も、数日後に手紙が届くまでまったく気づいていなかった。これは倫理的にありえない。この女性が必要としていたのは、悲嘆の旅の手助けであって、致死注射ではない。
どう思う?

I don't disagree with it but there is one clinic that happily accepted the application of a fit, healthy, active 51 year old woman who wanted to die to be with her 26 year old son who died only a year before. She went alone, her family and friends completely unaware until her letters arrived a few days after. This CANNOT be ethical. The woman needed help with her grief journey, not a lethal injection, leaving her family distraught and very angry.
Thoughts?

drazi52
drazi52
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おはようございます。私は10月に97歳になった女性の娘ですが、毎日「どうしたら死ねるの?もう耐えられないのよ。
死の恐怖とともに生きている......いつ死が訪れてもいいように、そしていつ死が訪れてもいいように......。
どうしたらいいのかわからない。彼女を助けると約束したのに......。

Buongiorno, sono la figlia di una signora di 97 anni compiuti a ottobre, tutti i giorni mi chiede come può fare a morire!!! Non ce la fa più.
Vivere col terrore della morte....come e quando succederà la annienta.
Io non so cosa fare, le avevo promesso che l'avrei aiutata....ora che ci siamo non sono più così decisa.

雑多な部屋
雑多な部屋

スイスのは厳しすぎるし、「貧困家庭には安楽な死に方も選べないのか」と思いますが
安楽死には積極的に賛成です。親の意思で無理矢理この世に生まれるのですから、「安楽に死ぬ権利」ぐらいは保障されていなければ残酷です。
実際、日本でも「安楽死はデスハラ」勢と「飛び降りや飛び込みで死ぬなよ迷惑だ」勢が争う事なく、寧ろ協力タッグを組み一緒になって自殺志願者を苛んでいます。
安楽死施設が開業すれば飛び降りや飛び込み自殺がグッと減り、また自殺志願者が集まってくるため、カウンセリングや治療を行いやすくなります。
治療した上で精神が健康になれば帰せばいいし、それでもダメなら予定通り安楽死すれば良いのです。まさにこれこそ口先ではない「真の自殺防止」でしょう。
コストの問題もあるかもしれませんが、無敵の人や死刑目的の殺人もありますし、取りあえず自殺志願者を実質放置している現代のあり方は残酷過ぎます。
「死ぬ権利(自分の終わりを選択する権利)」は最低限の人権です。

meclazcke8@gmail.com
meclazcke8@gmail.com
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そうして私は身辺整理をした。蘇生も3回経験しました。 誰にも負担をかけたくないので、緊急に指導が必要です。私は正気ですが、体がもう耐えられません。
他の人たちの衰えや、肺が機能しなくなったときの苦しみを目の当たりにしています。入浴にはすでに介助が必要だ。
これ以上続けたくない。

Y por lo tanto he puesto orden en mis cosas. Tuve experiencias de resucitacion en tres oportunidades. ME ES URGENTE QUE ME GUÍEN PORQUE YO NO DESEO SER UNA CARGA PARA NADIE. ESTOY EN MI SANO JUICIO PERO MI CUERPO NO PUEDE MAS.
VEO EL DETERIORO DE OTRAS PERSONAS Y LA AGONÍA CUANDO LOS OULMONES FALLAN.. YA NECESITO AYUDA PARA BAÑARME .
NO QUIERO SEGUIR.

meclazcke8@gmail.com
meclazcke8@gmail.com
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私の場合、全身性強皮症を患って40年になりますが、すでに消化器系、肺、胃を支配しています。月10日で77歳です。病気のために会社を売却しなければなりませんでした。 子供や孫のことを考えると、アルゼンチンで自殺することはできません。治療法のない自己免疫疾患に苦しむ人々のための研究のために、私の遺骨を寄付してください。 私はすでに長く美しい人生を送ってきた。
それは私の正気において必要なことだ。
私は自由意志を信じている

En mi caso llevo 40 años con esclerodermia sistemica que ya ha tomado mi aparato digestivo pulmones estómago. Tengo 77 años a cumplir el 10 de enero. Debi vender mi empresa por la enfermedad. No puedo cometer un acto de suicidio en Argentina porque debo pensar en mis hijos y nietos. Necesito ayuda asistida y donar mis restos para la investigación de las personas que sufren enfermedades autoinmunes para las que no hay cura. Ya he vivido mucho y bonito, no quiero presenciar mi deterioro.
Es una necesidad en mi pleno juicio
Creo en el libre albedrio

keisasaki
keisasaki

私今生きる目標や意味が見つからない、この世の中にいる人間、誰のこともどうでもいいと思っています。一人で苦痛なしで誰にも迷惑かけず消えたいです。スイスの自殺ほう助け情報を見て、自殺を申し込みたいと思い、ここに相談したくて、コメントを書きました、日本で病院の医師などに安楽死を相談したが、法律違反すると断られた。スイスで自殺ほう助けしたいです、渡航や手続きに関する情報を教えて欲しい。

Kemi
Kemi

私は50代、7年前に神経系の難病と分かり(余命も言われた)、家族は不仲だけど何とか
子供も巣立つまで何とか頑張って来ました。
2年前に倒れ職場では障害者差別、解雇と勤続30年の会社から使捨てにされ、趣味も医師から駄目と言われた時、尊厳死について話しました。
今まで自分の好きな事をやって何とか難病の進行を遅らせてる事が出来たけど、色々周りから駄目駄目言われてた時、生きる威力が無くなり、祖母が認知症が悪化した事を思い出し、親族が居ない時、祖母は私の名前を偶然、思い出し話し始めると、涙を流し、周りから何をやっても駄目と言われ、今は辛く苦しく孤独だと、昔は良かったと、そこから昔の話が続き、自分の名前を言ったのは、それが最後でした。その後3年間、寝たきりでベットに本当にいるのと言いたくなるくらい小さくなり、無理やり延命をした感じで旅立ちました。
自分が望んでいない難病、自分の好きな事、やりたい事にダメダメと周りから言われ取り上げられて、段々と体の動きが鈍り、杖と電動車椅子の併用、身体の痺れ痛みの増減、色々な障害による苦痛、自分にも物忘れが若干有り、認知症で暴れたり徘徊、寝たきりで、家族、周りに迷惑になる前に、祖母と同じ事にならない様に、もう潮時だと思う、海外で尊厳死する為、英文の診断書書いて欲しいと主治医に話ました。
主治医の回答は有りませんでした。
日本に夢や希望が持てたのは1991年頃までで、その後は徐々に絶望と諦めが増えていきました。
医療、年金崩壊だとか言っている前に、無駄な税金、無駄な海外バラマキ、議員削減、
日本での尊厳死、必要だと感じます。

Emmy
Emmy

私は23歳の時に関節リウマチに罹患しました。毎秒毎秒収まることのない言いようのない激痛で、第二段階鎮痛剤も、ほとんど効かなくなり、あとの鎮痛剤の選択肢はモルヒネのみです。年齢が若いのでモルヒネは、選択されていませんが。
完治の見込みは、余りありません
仕事も満足に行けなくなり退職を余儀なくされました
私は、安楽死に賛成です。病気や怪我のない人には想像を遥かに超えた今すぐにでも安楽死したいと、願う人々一定数いることを知ってほしいです

もや
もや

安楽死、賛成です。
二年前にワレンベルグ症候群と言う脳梗塞を患い、右手右足に麻痺、左目の周りが24時間常に頭痛を起こしています。
当記事を読み、申し込めるだけのお金を貯めて、私もこの痛みから解放されたくなりました。
両親も送り出したし、独身だし。

kh
kh

私には生きる責任がある。
妻と幼き子がいるからだ。妻が経済的に生きる事ができ、幼き子ども達が将来自立する力を持つまでに成長するまで私は生き彼らを支える責任がある。
逆に言えば、私の死後も妻が経済的に生活でき、子ども達が自立したならば私は生きる責任を果たしたと言える。
限りある命だからこそ輝ける。
私の夢は上述の責任を果たしたと同時に死という形で無となることだ。
責任を果たした上で安楽死という形で光も闇もない無となることが、私の夢だ。
死という夢があるからこそ、今を輝けるのかもしれない。

Blau
Blau
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野生の動物は、文明の中で人間のように苦しむことはない。人間が生きていく上で、そのような苦しみを味わってはならない。ガンで苦しんでいようが、精神が崩壊していようが。 人生が意味をなさなくなり、他に行くところがなくなったとき、すべての人に自殺を選択する自律性が与えられるべきである。その苦しみが何歳であろうと、何年であろうと。生命は贈り物であり、自然は奇跡であり、このすべてが奇跡なのだ。それを味わうことができるなら、それはそれでいいし、私の責任だ。しかし、もし私が自分の人生と戦い、疲れたのであれば、私は行っていいのだ。呼吸が自由で、魂が軽く、心臓が規則正しく鼓動し、愛に満ちているとき、それは生きる自由の概念である。しかし、そうでない場合、人は歩くことができるはずだ。精神的苦痛は想像以上にひどいものだ。

Ein Tier hat in der Wildnis niemals einen dermassen Leidensweg, wie ein Mensch in der Zivilisation haben kann. Kein Mensch sollte so leiden im Leben. Ob Krebskrank oder Psychisch am Anschlag. Wenn das Leben keinen Sinn mehr macht und die Wege nicht weitergehen, soll jeder Mensch die Autonomie bekommen, den Freitod zu wählen. Egal wie alt und wie lange der Leidensweg ist. Das Leben ist ein Geschenk, die Natur ist ein Wunder, all dies, ist ein Wunder. Und kann ich das auskosten, ist das schön und liegt in meiner Verantwortung. Habe ich jedoch mein Leben gekämpft und bin müde, darf ich gehen. Es ist der Begriff von Freiheit zu leben wenn der Atem frei, die Seele leicht, das Herz regelmässig schlägt und liebt. Ist das jedoch nicht der Fall, soll ein Mensch, gehen können. Seelischer Schmerz ist schlimmer als man sich vorstellen kann.

Nqvm
Nqvm
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@Blau

100%

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Shanti
Shanti
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私たちは自分の身体に対して自由である。死ぬ権利を持つために重病である必要はないし、さらに、援助の恩恵を受けるために多額の金銭を支払う必要もない。

Nous sommes libre de notre corps. Il n'est pas nécessaire d'être gravement malade pour avoir droit à mourir et ce qui est plus de payer une somme considérable pour bénéficier d'une aide car cela fermerait cette possibilité aux moins aisés.

Annafree
Annafree
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人生は貴重な贈り物であり、特権であり、力ではない。貴重な贈り物は、楽しみ、感謝し、維持するためにある。それが、人生の旅を通して私たちがすべきことなのだ。

そして、たとえその人が完全に強く健康であったとしても、尊厳をもって人生の旅を終える時期を決めることは、基本的人権であるべきだ。死を覚悟している人は利己的ではなく、他人の意思に反して生きることを強要する人は利己的なのだ。

Life is a precious gift and privilege, not a force. A precious gift is meant to be enjoyed, appreciated, and maintained. That’s what we should do throughout life journey.

And it should be a fundamental human right to decide when to end the journey with dignity, even if the person is perfectly strong and healthy. People who are ready to go are not selfish, people who want to force other people to live, against their will are selfish.

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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