豊かなスイスでのホームレス暮らし
スイスのような富裕国でもホームレスが増えている。シェルターの大半は満員だ。なぜこのようなことになっているのか。
1月末の木曜日の午後。首都ベルンは春のような暖かさだ。閑静な住宅街の一角、教会の「ガッセンアルバイト(街頭活動)」の事務所前のベンチに1人の男が座っている。ビールを飲みながら、太陽の光に目を細めて。
Gassenarbeit(ガッセンアルバイト、英語ではストリートワークと呼ばれる)は、公共空間でのアウトリーチ型ソーシャルワークを指す。ホームレスらの生活空間にソーシャルワーカーが直接おもむき、困窮者を支援する活動のことだ。
ベルンの教会ガッセンアルバイトのウェブサイト外部リンクによると、その歴史は1920年代の米シカゴで、社会学者のクリフォード・R・ショーとマック・ケイが、ギャングの若者がはびこる地区でのソーシャルワークコンセプトを開発したことにさかのぼる。ストリートワーク、つまりドイツ語でGassenarbeitという言葉はそこで生まれた。
欧州では1960年代に英国、オランダ、ノルウェー、ドイツが先駆けとなり、こうした路上生活者支援プロジェクトが生まれた。スイスでは1978年のチューリヒが第1号だ。
スイスではベルン、チューリヒ、バーゼル、ルツェルンなど各地にガッセンアルバイト団体があり、無料の生活相談窓口のほか、衣服・衛生用品などの配布、医療支援、路上での獣医診察など活動範囲は多岐にわたる。
主に教会が関与
スイスでこうした支援を行う主なアクターはカトリック教会だ。「貧しい者には援助の手を差し伸べよ」というカトリック教の教えが大きく関係している。
スイスは信者数こそ減少しているものの、カトリック教の信仰が深く根付く。チューリヒの著名なホームレス支援団体「Pfarrer Sieber」の設立者はその名の通りカトリック教の司祭だ。ベルンの団体は、若者の暴動を受け教会が発足させた作業グループが出発点になっている。ルツェルン外部リンクも教会が主体の組織だ。
日本のホームレス支援は?
日本では2023年1月時点で、ホームレスの数が調査開始以降最少を記録した。しかしこの中には、「ネットカフェ難民」と呼ばれるような住所不定の人が含まれないため、公式な統計が実態とはかけ離れている可能性もある。
東京・山谷地域で日雇い労働者らへの路上支援を行う「山谷夜回りの会」や「ほしのいえ」など、生活困窮者の支援を行うカトリック教関連団体は日本でも多い。一方、仏教寺院でもホームレスへの食事支援を行っているところもある。
目の前にあるスピーカーボックスからは大音量のロック音楽が流れる。「これはラバウケだ」とあいさつがてら、男は自分の犬を指差す。男は「ツヴェルグ(小人と言う意味)」と名乗った。「路上暮らしだ」
教会のガッセンアルバイトのスタッフ、エヴァ・ガンメンターラーさんは彼のことをよく知っている。「彼は定期的に私たちのところに来る」。週に2回、不安定な状況にある人々は教会のガッセンアルバイト事務所に来る。2時間の間、暖を取ったり飲み物を飲んだり、食事をしたり、服や寝袋を調達したり、スタッフに相談をしたりすることができる。
「午後だけで多いときは80人来る」とガンメンターラーさんは言う。今日のように晴れた日だと、もっと少ないが、と。
ツヴェルグさんはあごひげを伸ばし、パーカーの上に黒いレザージャケットを羽織っている。「昨日48歳になった」と言う。以前は船の整備士で、世界中を旅していた。当時から、繰り返し路上暮らしをするようになった。
その理由は「あまりに辛いから」と話したがらない。ここ数年は駐車場で生活していたが、最近追い出された。
友人の家に泊まることもある。外で寝なければならないこともある。「それは絶対によくない」と彼は言う。しかし、緊急シェルターに行くのも好きではない。「行ったら物を盗まれるだけ。犬は連れていけないし」
ガンメンターラーさんも、これは問題だと認めている。動物と生活を共にするホームレスはツヴェルグさんだけではない。いずれにせよ、ベルンの教会ガッセンアルバイトのような施設は以前から、受け入れ基準を設けずにホームレスが寝泊まりできる場所を増やすよう求めてきた。
国内のホームレスは2200人
ベルン市内には一晩寝る場所を提供する緊急シェルターが3カ所ある。ベッド数は計87床だ。2021年以降、需要は着実に増加している。チューリヒ、バーゼル、ジュネーブなどの都市でも同様の状況だ。「以前は、緊急シェルターに入れなかった人のために、別の都市までの列車の切符代を払うこともあった」とガンメンターラーさんは言う。
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それも今はできなくなった。緊急シェルターの多くは需要に供給が追い付いていないからだ。スイス北西部応用科学芸術大学(FHNW)が2022年に行った初の調査によると、国内には推定2200人のホームレスがいる。
ガンメンターラーさんはまた、教会のガッセンアルバイトが提供するサービスへの需要が高まっていると話す。「特にパンデミック以来は顕著だ」
午後の事務所開放だけではない。そのほかにも教会のスタッフたちは街頭に出て、清潔な消耗品や衛生用品を配ったり、食料品や緊急シェルターのクーポンを配ったりしている。「ホームレスの中には、いつも新顔がいる」とガンメンターラーさんは言う。
しかし、スイスのような豊かな国に住む人々が、なぜ家を失うことになるのだろうか?「ホームレスに行き着くまでには様々な道がある」とガンメンターラーさん。病気、離別、失業、家族の死。それは運命的な出来事から始まることが多い。「そこからはあっという間だ」
それがいかに早いか。マリアさん(仮名)の話は、それを物語る。ずっと、清掃業やケータリング業の臨時手伝いとして働いてきたという。だが新型コロナウイルスの大流行で、雇用契約を打ち切られた。
「ホームレスに行き着くまでには様々な道がある」
エヴァ・ガンメンターラー、ベルンの教会ガッセンアルバイト
彼女は一時雇用の仕事を続けたが、請求書、健康保険、公共交通機関の定期券、そして新しい眼鏡を支払うのがどんどん難しくなった。
そして、800フラン(約13万円)の家賃を払えなくなった。「それで家を出た」とマリアさんは言う。借金を負うリスクを冒したくなかったからだ。最初は友人の家に身を寄せていたが、ここ3カ月は緊急シェルター「スリーパー」に滞在している。
マリアさんの身なりは整っており、片手にハンドバッグ、もう片方の手には買い物袋を持っている。路上生活者には見えない。「ホームレスだなんて、とてもじゃないけど言えない」
彼女は文句を言いたいのではなく、順応しなければならないと言う。一番つらいのは、緊急シェルターでタバコを吸う人が絶えないこと。そして、シェルターが開く前の午後10時までどこかで時間をつぶさなければならないことだという。
そのため、暖かく、安く食事ができる教会のガッセンアルバイト事務所やその他の施設があることに感謝している。マリアさんは現在求職中だ。失業事務所の支援で、月2200フランの収入を得ている。「早く新しい部屋を見つけたい」
「ホームレスから抜け出す道は、本人にとっては困難なことが多い」とガンメンターラーさんは言う。物価の高騰や競争の激しい住宅市場のせいだけではない。特にスイスの官僚主義が大きな足かせだという。「支援を受けるためには、常に成果を上げ続けなければならない」
61%が不法移民
特に依存症や精神疾患を持つ人々にとっては、そうした要求に応えられない場合が多い。またスイス北西部応用科学芸術大学の調査によると、路上生活者の61%は不法入国者で、社会福祉を受ける権利がそもそもない。
国の組織を信用できず、支援を求めてこない人もいる。ガンメンターラーさんは彼らを「制度の被害者」と呼ぶ。
青いニット帽をかぶったマルコさん(42)も同じような経験をしている。古い新聞配達用台車を押して教会のガッセンアルバイト事務所を訪れ、寝袋の下に敷くスリーピングパッドが欲しいと言った。数年前からまた路上暮らしになったという。
「路上なら少なくとも、人は自分を放っておいてくれる。それがホームレスの良いところなんだ」
マルコ、42歳、路上生活者
彼は幼少期に受けた暴力、薬物中毒、精神科病棟への度重なる入院について話してくれた。話は断片的で、話のつながりを混同していることが多い。
「路上なら少なくとも、人は自分を放っておいてくれる。それがホームレスの良いところなんだ」と彼は言う。とはいえ、人生の再出発を図るべく、仕事と、もちろんアパートを見つけたいという。
彼は上着から小さなチューブを取り出す。「薬局でもらった見本品だよ」。ハンドクリーム、フェイスクリーム、歯磨き粉。「またちゃんと自分のケアをしないとね」。この3日間、彼はベルン旧市街の東屋の下に、少なくとも乾いた寝床を見つけたという。
ツヴェルグさん、マルコさん、マリアさんがホームレスになった理由はそれぞれ違う。しかし、一刻も早く住む部屋を見つけたいという思いは一致している。
バーゼルが流れを変える?
状況を好転させるには、抗うことが必要だとガンメンターラーさんは言う。「スイスの社会制度は悪くない。でも、監査メカニズムに重きが置かれすぎている」
ガンメンターラーさんは、フィンランドやウィーンで成功している「ハウジング・ファースト」コンセプトを好例に挙げる。ホームレスの人たちにまず無条件でアパートを提供し、その後、段階を追って他の問題を整理していくやり方だ。バーゼルは、スイスの都市では初めて、2020年に同様の試験プロジェクトを開始した。
しかし、ガンメンターラーさんは、社会もこの問題に目を向ける必要があると話す。「生活が公共空間に依存している人々がいることを、少なくとも頭の片隅に置くべきだ」
午後5時。ツヴェルクさんは起き上がり、丸めたマットを入れた赤いリュックサックを背負い、ラバウケと歩き出す。今夜の寝場所は?彼は少し考えて、こう言った。「何かしら見つかるだろうよ」
編集:Marc Leutenegger、独語からの翻訳:宇田薫、校正:ムートゥ朋子
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