身近な自然について学ぼう – グラウビュンデン州立自然博物館
私の住むグラウビュンデン州は、ほとんどがアルプス山脈の中にあると言っていい。周りには自然が溢れている。人びとの暮らしも自然と深く関わっている。今日は人間の自然への関わり方と州都クール(Chur)にある自然博物館について書いてみたいと思う。
人間はとてもわがままな生きもので、東京のような大都会に住めば自然溢れる環境に憧れ、かといって一番近いスーパーマーケットまで車で何十キロも走るような生活は不便と思う。その視点からみるとスイスは、実に暮らしやすい国だ。たとえ都会に住んでいても数十分も車を走らせれば牧歌的な田園風景に出会える。その自然は美しく心地よい上、生活が困難になるほどは厳しくない。もちろん、4000メートル級の山の中では自然は厳しいが、人びとの住む地域は、インフラが整い快適でとても暮らしやすい。自然と便利さのバランスが私にとって理想的だ。
しかし、それはあくまで住む人間にとっての話で、野生生物にとっては理想的ではないだろう。我が家の側には狐や鹿などがよく出現し、山岳地帯には州の紋章にもなっているアイベックス(Steinbock)をはじめ、狼や熊など絶滅の危機にさらされているために狩猟を厳しく制限されている野生動物が生息している。山岳部の多い州だが、かなりの面積が開墾されて牧草地または耕地となっているため手つかずの森林面積は限られている。だから彼らは時に人間の近くに現れ、人や家畜に害をなすとみなされると銃殺されてしまう事もある。
2008年の4月に、我が家から10Kmと離れていない山中で熊のJJ3が射殺された。ここ10年ほど、野生の熊がグラウビュンデン州で目撃されていてニュースとなる事が増えている。スイス国内には繁殖可能なほど多くの熊は生息していなくて、すべてイタリアから入ってくるのだ。スイス国内の野生の熊が絶滅して長く経ったために、その習性を知らない住民たちは蜂の巣箱や蓋の簡単に開くゴミ箱を外に出しっぱなしにしている事が多い。それらをあさる事を覚えた熊は、森林で食物を探すよりも村に頻繁に出没するようになってしまう。
JJ3があまりにもあっさりと射殺された事には、自然保護団体から非難の声が上がった。その是非は別にして、熊が人間にとって問題ある行動を起こす要因を分析し、今後は他の熊が犠牲になるのは避けたいと多くの人びとが思ったはずだった。けれどその教訓を生かせずに、その後M13と名付けられた熊も問題児化し、2013年にはポスキアーボ (Poschiavo)で射殺されてしまった。
州都のクールにある州立自然博物館には、JJ3の剥製が展示されている。ここを訪れる子供たちは、自宅の近くでもときどき見られるイエネズミやハリネズミなどと一緒に、アイベックスや鹿、それにJJ3の剥製も見て回る。ここに人間の都合で射殺された熊を展示する事には大きな意義があると思う。単に「これが熊か」「これが鹿なんだね」という知識を得るためだけでなく、どうやって野生動物と同じ地域を住み分けていくのかを意識して話し合う事が重要だ。これ以上、人間の都合で野生動物の命を失わないで済むようにと、剥製になってしまったJJ3を見ながら願った。
この博物館は規模としてはさほど大きくない。グラウビュンデン州で見られる動植物や鉱物を中心に展示されている。世界の自然の驚異や珍しい生きものではなく、身近な自然の事をよく知ってほしいというコンセプトのようだ。その分、展示方法に様々な工夫がされている。鹿や牛、山羊の仲間の頭蓋骨や角を展示したコーナーは触ってもいい事になっていて、その形状の違いや大きさを実感できるようになっている。野生植物を押し花にしたものを手に取ってみる事もできる。ただ見学するよりも体験したほうが印象に残る。こうした展示法は損壊のリスクも伴うのだが、私が見た限りどの展示品も綺麗な状態を保っていて、見る側のマナーのよさにも感心した。
動物・植物のコーナーを見終えて、三階へいくと化石ならびに鉱物のコーナーがある。ここにくると子供の姿がめっきり減ってしまうのだが、私はスイスの鉱物にも興味があったのでこれ幸いとゆっくり見て回った。鉱物もまた、生活と切り離せない身近な自然だ。
アルプス山脈に抱かれた国なので、スイスからはじつに様々な鉱物が産出する。良質の水晶も日本産と同様に有名で、スイス各地にジャンボクリスタルを所蔵している博物館が存在する。小さなグラウビュンデン州立博物館にも幼児の背丈ほどもある大きなスモーキークオーツが展示されていた。その他に、ベリル、フローライト、マラカイトなどの半貴石、それに金もグラウビュンデンから産出される事がわかる。
グラウビュンデン州を代表する花崗岩も見ることができる。アンデール(Andeer)で産出される淡緑色の花崗岩だ。グラウビュンデン州では床や壁、噴水から紋章に至るまで、この美しい岩がよく使われている。土産物屋でもロウソク入れや文鎮などに加工されているものをよく見かける。もちろん日本をはじめ海外にも輸出されている。
採鉱会社の人が「この花崗岩はね、世界中に輸出されているんだ。日本のお客さんも買い付けにきたよ」と嬉しそうに話すのを聞いているうちに私はアンデール花崗岩に特別な愛着を持つようになった。岩石に詳しいわけではないので、一目見ただけでは磨かれた石材がアンデール産かどうかはわからないが、淡い緑色の花崗岩を見ると無条件に目がいってしまう。自然博物館で誇らしげに展示されている花崗岩をみて、嬉しくなった私はずいぶんとグラウビュンデン州に馴染んできたのだなと思った。
ソリーヴァ 江口葵
東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。
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