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ジュネーブを国際都市にした10人の女性

研究室で顕微鏡をのぞく生物学者キティ・ポンスのセピア写真
生物学者のキティ・ポンス。1897年オランダの植民地だったインドネシア・スマトラ島で生まれ、1982年ジュネーブで亡くなった luctorponse.org

ジュネーブ市は公共の場での性差別を撤廃するキャンペーンの一環として、2019年から歴史的地区を中心に、通りの名称を女性の名前に変更してきた。その中で、「国際都市ジュネーブ」に貢献した外国人女性にも光を当てた。本記事では、人道主義、科学、教育、芸術の分野で功績を残した10人を紹介する。

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エグランタイン・ジェブ(1876-1928)は英国エレスメア生まれの慈善家。子どもの権利を擁護し、ジュネーブをはじめ世界に大きな足跡を残した。ジェブは第一次世界大戦で荒廃した社会から国籍や宗教、人種の別なく子どもたちを守るため、1919年、英国で「セーブ・ザ・チルドレン基金」を設立。その後、ジュネーブに移住し、国際児童福祉連合の創設を主導した。また、国際連合の前身である国際連盟で1924年に採択された「子どもの権利宣言」を起草した。この宣言は後に国際連合で子どもの権利と福祉を促進する枠組みの基礎となる。ジェブのジュネーブでの人道的な取り組みは子どもの福祉に対する世界のアプローチを変えた。

エグランタイン・ジェブのポートレート白黒写真
エグランタイン・ジェブ。「セーブ・ザ・チルドレン基金」(1919年設立)の創設者であり、1924年に国際連盟で採択された「子どもの権利宣言」を起草した Creative Commons / savethechildren

マリー・テレーズ・モレット(1890-1989)はフランス・パリ生まれの教育者。ジュネーブで国際的な教育を実践したパイオニアだ。英ロンドンで子ども中心の進歩主義教育を学んだ後、フランス初の幼稚園プログラムの1つを共同設立した。1924年にジュネーブに移り、1929年、世界初のインターナショナルスクール「ジュネーブ・エコール・アンテルナショナル」の校長に就任する。以降20年以上にわたり、バイリンガル教育や男女共学、国際連盟の理想に沿う平和教育に重点を置いた世界史講座を推進した。第二次世界大戦後は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の歴史教科書事業に携わるなど国際的に活躍した。モレットの革新的な教育法は今もジュネーブで受け継がれている。

微笑むリナ・スターンの白黒ポートレート写真
リナ・スターン。ラトビア出身の医師・生化学者。1918年、ジュネーブ大学で女性として初めて教授に任命された Creative Commons

リナ・スターン(1878-1968)は、ラトビア出身の医師で生化学者。1918年、ジュネーブ大学で女性として初めて教授に任命された草分け的な存在だ。ラトビア西部リエパーヤのユダヤ人家庭に生まれたスターンは1898年、医学を学ぶためジュネーブに移り、1903年に博士号を取得した。細胞呼吸、脳機能、脳脊髄液に関する先駆的な研究は世界から称賛された。ジュネーブの学界では反ユダヤ主義や外国人嫌悪に研究を妨げられたが、それでもソ連で研究を続けた。感染症やトラウマに関する革新的な研究を行い、女性初のソ連科学アカデミー正会員に選ばれる。晩年はスターリン体制下で迫害され、投獄や国外追放にあった。だが、最終的には名誉を回復し、科学に貢献した。ジュネーブ大学病院には、スターンの業績を称え、彼女の名前を冠した建物がある。

エルナ・パルメ・ダットのセピア写真
エルナ・パルメ・ダット(1891-1982)。英国出身の統計学者。ジュネーブの国際労働機関(ILO)本部で長年、国際公務員として勤務した ILO Historical Archives, Geneva

エルナ・パルメ・ダット(1891-1982)は英国ケンブリッジで、インド人の父とスウェーデン人の母との間に生まれた。統計学者で翻訳者。ジュネーブの国際労働機関(ILO)本部に長年、国際公務員として勤めた。ケンブリッジ大学で数学と経済学を学んだダットは、1921年にILOに入るまで、統計学を研究していた。ILOでは30年以上をかけて、統計係から定期刊行物「国際労働評論」の編集長まで昇進する。同誌は、世界で労働権と労働正義を促進する極めて重要な役割を果たした。こうした貢献にもかかわらず、ダットは構造的な男女差別を受け、指導的な役職に就くことはなかった。スウェーデンは彼女の人道的活動を称え、スウェーデンの文化、科学、社会に多大な貢献をした人に贈る「Illis
quorum」メダルを授与した。ダットは1951年にILOを退職したが、本の点字訳を手掛けるなど社会活動を続けた。彼女の職業人生は、国際機関の草分け的女性の挑戦と功績そのものだ。

ジュネーブ市にある通りの標識
ジュネーブ市は2019年、地元の女性団体「エスクワッド」と共同で、同市に功績を残した女性を称えるネームプレート100枚を通りの名前を記した標識と並べて掲示した 100elles / creative commons

キティ・ポンス(コルネリア・カタリナ、1897-1982)は、遺伝学と内分泌学で先駆的な研究を行った生物学者。オランダの植民地だったインドネシア・スマトラ島で、オランダ人の両親のもとに生まれ、ジュネーブで育った。ポンスは性別の決定とホルモンに関する画期的な研究で知られるようになる。1940年代はジュネーブ大学で教鞭をとり、内分泌学の発展に大きく貢献した。ポンスの両生類に関する研究は、性が分化する過程に新しい見方を示し、数々の名誉ある賞を受けた。国際的に認められたポンスは、研究人生を通じてジュネーブの科学界で活躍した。

エカテリーナ・コウスコワのセピア写真
エカテリーナ・コウスコワ。独裁的な支配体制と戦ったロシアの政治活動家・ジャーナリスト Creative Commons

エカテリーナ・コウスコワ(1869-1958)は、ロシア出身の政治活動家、ジャーナリスト、知識人。ロシア皇帝による専制政治、後にはソ連の全体主義への反対運動で指導的な役割を担った。ロシア帝政下のウファで生まれ、10代で人民主義思想を信奉し活動を始めるが、マルクス主義へと転向する。その後、自由民主主義の理念と協調した。コウスコワは左派勢力の同盟を訴え、1917年のロシア革命では臨時政権を支持するなど、さまざまな政治活動で重要な役割を果たした。レーニン率いるボリシェビキ(後のソ連共産党)に反対したことから、1922年、ソ連から国外追放された。欧州で亡命生活を送った後、ジュネーブに定住する。ジュネーブでは、主要なロシア語紙・雑誌に寄稿し、ソ連体制に関与する戦略を議論するなど、ロシア人亡命者コミュニティーの著名な代弁者になった。

アニー・ルース・ジアゲ(1918-1996は、ガーナ出身の裁判官で先駆的なフェミニスト。女性の権利と社会正義を擁護し、ジュネーブに大きな足跡を残した。国連の「女性差別撤廃宣言」(1967年採択)の起草で中心的な役割を果たし、1968~1972年まで国連婦人の地位委員会(後の女性の地位委員会)の委員長を務めるなど、ジュネーブの国際機関で活躍した。性差別、人種差別、アパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い続けた。

ベアトリス・コンスエロ(1932-2013)は、ブラジル南部ポルト・アレグレ出身のバレリーナ。1964年にジュネーブに移住し、ジュネーブの芸術界に多大な貢献をした。モナコのモンテカルロを拠点とするマルキ・ド・クレバスバレエ団やジュネーブ大劇場バレエ団で著名なダンサーとして活躍。引退後は指導者になり、1975~1999年まで、舞踊学校エコール・ド・ダンス・ド・ジュネーブの校長として、何世代ものダンサーを育成した。また、1980年には才能ある若者の育成プログラム「バレ・ユニオール」を同校に開設した。コンスエロはジュネーブでの活動の他にも、さまざまな国際コンクールに携わり、世界で指導にあたった。これら卓越した功績により、2003年のジュネーブ市賞を始め、数多くの賞を受けた。

ノエラ・ルジェ(1919-2020)は、フランス中西部ソーミュール出身。対ナチスドイツのレジスタンス運動に身を投じ、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き抜いた。後に、教師となり、ホロコーストの著名な証言者になる。第二次世界大戦中、レジスタンスの連絡将校を務めていたルジェは1943年に逮捕され、ドイツのラーフェンスブリュック強制収容所に送られた。1945年の釈放後、ジュネーブに移住。ホロコースト否定論に抗して、自身の経験を語り、証言した。また、スイスやフランス各地の学校で講演した。晩年は、戦争の残虐行為を忘れず、歴史の教訓を風化させないよう強く訴えた。2020年、ジュネーブで100年の生涯を閉じた。

椅子に座るレイチェル・クラウディの白黒写真
レイチェル・クラウディ。英国出身の看護師で人道主義者。国際連盟事務局で管理職に就いた唯一の女性だ Iwm (Q 7978)

レイチェル・クラウディ(1884-1964は、英国出身の看護師で人道主義者。国際公務員として国際連盟事務局で管理職に就いた唯一の女性だ。クラウディは、社会問題とアヘン密輸を担当する部署でリーダーシップを発揮。女性や児童の人身売買やアヘン貿易といった国際的な課題に取り組み、人道上の諸問題をグローバル政策の最前線に押し出した。構造的な男女不平等により、彼女の職位と給与は後任の男性らに見合うものではなかった一方、クラウディの部署は国際連盟の成功例の1つとして認められた。クラウディは国際連盟の解散後、武器の密売やスペイン内戦を監視し、国際連合への女性参画を訴えた。人道問題やジェンダーに焦点をあて、国際的に活動した草分け的存在だ。

編集:Virginie Mangin/ds、写真編集:Helen James、英語からの翻訳:江藤真理、校正:大野瑠衣子

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