国際都市ジュネーブ 国連の原爆被爆の展示 前 次 「東洋一の大聖堂」だったカトリック教会の浦上天主堂は1945年、米国が投下した原爆によって、完全に崩壊した。被爆した浦上天主堂を歴史的資源として保存すべきだとの声もあったが、1958年に解体。翌年再建された Coutesy of Nagasaki Atomic Bomb Museum 原爆によって変形したガラス瓶 Collection of Hiroshima Peace Memorial Museum 国連ジュネーブ事務局E棟で見られる原爆資料の常設展示「核なき世界に向けて」 swissinfo.ch 熱線を受け、小皿は別の皿に固着した Collection of Hiroshima Peace Memorial Museum 爆心地から500メートルの場所にあった長崎の浦上天主堂の天使像頭部 swissinfo.ch 原爆の強烈な熱線で、着物の柄が皮膚に焼きついた女性 Gonichi Kimura/Courtesy of Hiroshima Peace Memorial Museum 1200度以上の高熱で溶ける瓦は、熱線を受け、溶融した Collection of Hiroshima Peace Memorial Museum 1945年8月6日に広島に投下された原爆により、爆心地から2キロ以内の地域は焼失し、年末までに14万人が亡くなった Shigeo Hayashi/Courtesy of Hiroshima Peace Memorial Museum 画像 1 画像 2 画像 3 画像 4 画像 5 画像 6 画像 7 画像 8 このコンテンツが公開されたのは、 2021/08/17 16:30 swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。 他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。
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