キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)は1998年、主要国首脳会議(サミット)の一環として訪問したジュネーブで、ビル・クリントン米大統領(当時)と友好関係を結ぼうとする。カストロ議長の望みは叶わなかったが、このキューバの最高指導者は国際社会に強い印象を残した。
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世界保健機関(WHO)と世界貿易機関(WTO)の前身である関税貿易一般協定(GATT)の発足50周年に当たる98年、世界中から国家元首や高官がスイスのジュネーブに集まった。その中にはカストロ議長とクリントン大統領の姿もあった。
ソ連の崩壊を受けて、カストロ議長はサミットがキューバと米国との関係を改善する機会になることを期待していた。しかし、両氏ともジュネーブのインターコンチネンタルホテルに滞在していたにもかかわらず、国連欧州本部の総会議場でしか両氏が接近する機会はなかった。
クリントン大統領はカストロ議長の出席を認めていなかったが、カストロ議長は他の多くの人々に強い印象を残した。カストロ議長にインタビューしたフランス語圏のスイス公共放送(RTS)のジャーナリストは、カストロ議長を「非常に魅力的な人物」として記憶している。
このビデオは、ニュース・情報プラットフォームジュネーブ・ビジョン外部リンクのサイトへに掲載された記事の転載・翻訳です。ジュネーブ・ビジョンはフランス語圏のスイス公共放送(RTS)のパートナー企業です。
(英語からの翻訳・江藤真理)
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swissinfo.ch: あなたは5年前にグラウビュンデン州ダボスのホテル、ベルヴェデーレを去りました。今ダボス会議を振り返ってどんな思いですか?
エルンスト・ヴィルシュ: 15年間、目が回るほどの忙しさではあったが、あの催しの渦中にいられたことに感謝の念と誇りでいっぱいだ。また、スイス政府やグラウビュンデン州そしてダボスの当局に対しても、ダボス会議の開催意義を疑うことなく、その効果の大きさを評価してくれたことに感謝している。
swissinfo.ch: 現職はスイスホテル協会グラウビュンデン支部代表ですが、ダボス会議では今も何か特別な役割を担っていますか?
ヴィルシュ: いいえ。だが、ダボス会議の恩恵は受けている。ダボス会議関連で宿泊日数が増えれば、当支部の統計に反映されるからだ。また、単に宿泊日数が増えるだけでなく、それ以上の付加価値がある。その意味で、現職でも十分利益を受けていると言えるだろう。
swissinfo.ch: 11年前、ホテル支配人であった頃、あなたは1週間にわたり地元日刊紙ビュンドナー・タークブラットにダボス会議中の日常についてコラムを連載しました。「1日20時間勤務、慢性的な睡眠不足、休む暇なし」というのは過酷な仕事ですね。
ヴィルシュ: ダボス会議の期間中は普通ではなかった。あれが毎日のことだったらとてもやっていけない。しかし、スポーツ選手もプレーオフに出場するからといって試合の多さに不満を持ったりしないだろう。それと同じで、私もダウンしそうになったことは一度もない。
swissinfo.ch: そして、ダボス会議が終わると…?
ヴィルシュ: すると、ぽっかりと穴が開いたようになる。だが、疲れ切っているのは従業員たちも同じこと。だから彼らが抜け殻になってしまわないよう、そちらに注意を向けた。自分のリーダーシップ能力に満足できたのは、毎年会議が終わったこの時期だ。大変な山場を乗り越えて、なおスタッフからやる気を引き出す。これぞ腕の見せ所だ。
swissinfo.ch: ホテルのゲストの中には、例えば人権侵害などで問題視される国々の元首もいましたね。
ヴィルシュ: はい。
swissinfo.ch: 彼らに直接意見したくはなりませんでしたか?
ヴィルシュ: いいえ。なぜなら、ホストの役目は聖人君子ぶることではない。ゲストに向かって意見しようと思ったことは一度もない。支配人の仕事は、ゲストから期待される以上のサービスの提供に努めること。ゲストに意見するなど立場の履き違えになるだろう。いずれにせよダボス会議では、WEF創設者のシュワブ教授が倫理面の責任者。教授が誰かを招待したならばそれなりの理由がある。我々ダボスの住民が口出しすることではない。
swissinfo.ch: つまり、あなたはそういった疑問点を考えないようにしていた。しかし疑問自体がなくなるわけではない。
ヴィルシュ: その通り。人にはいろんな「顔」がある。基本的にホテル支配人としてはゲストに満足してもらうのが仕事で、説教することではない。個人としての意見は友人たちと分かち合う。あくまで職業から切り離した意見としてだ。自分ではこうやってけじめをつけている。
swissinfo.ch: ホテル支配人として本音は許されなかったという意味ですか?
ヴィルシュ: 単に自分の役割を区別したということだ。一国の大統領ですら、いつも思ったままに発言できるわけではない。誤解を避けるためには自制も必要だ。ホテル支配人として、自分もそうしたのだ。
swissinfo.ch: WEFについては様々な意見があります。個人的な考えを聞かせてください。
ヴィルシュ: もしWEFという機関が存在していなかったら、さっそく今日にでも作られるだろう。ダボス会議は、政治、経済、科学、NGO、スポーツ、文化といったありとあらゆる分野のリーダーたちが、3〜5日間にわたり膝を突き合わせて意見交換できる唯一無二の場。このような異分野にまたがる討論の機会は他に例を見ない。国連でさえできないことを、WEFは実現している。
また、このような形で実現できるのはスイスだからこそ。開催地の中立性に関して、これほど信頼のおける国はスイス以外に思いつかない。米国でこのような催しを開くのはまず無理だし、その他の国でも必ず一部に疎外感が残るだろう。キューバ問題など他の多くの紛争案件でスイスが仲介者の役割を果たせたのも、まさにこういう文脈があってのことだ。
swissinfo.ch: しかし外部から見たWEFは矛盾が多く、例えば、ダボス会議に5日間出席すれば各国の歴訪に要する数カ月分の時間を節約できるなどと声高に言われますが、一方ではチューリヒの人気美容師を予約して会期中にダボスからヘリで飛ぶ出席者がいるという噂も。
ヴィルシュ: ダボス会議以上にネットワーキングが容易な場所は滅多にない。ここでは堅苦しい手続きがいらないからだ。指摘のような「矛盾」はメディアが作ったストーリー。暇を持て余した同行スタッフとか、贅沢に慣れた子弟やパートナーが関係していることで、要職にある出席者は違う。自分が会ったことのある真に影響力のある人々は、ダボス滞在を1秒たりとも無駄にしなかった。あの過密スケジュールの中、美容院へ出向く余裕はなかっただろう。
swissinfo.ch: しかしダボス会議に一般の人々が抱くイメージは、ざっくり言って「セレブ」「戦車」「鉄条網」といったもの。外部の人間に会議期間中のダボスの様子を教えてください。
ヴィルシュ: それはいかにもスイス的な見方だ。スイス人はセキュリティーチェックというものに慣れていない。国際的な要人が関わる場面や五輪などその他のビッグイベントでは普通の光景なのだが。しかし、この時期のダボスは一般の人々にとっても面白いはず。まち全体が会議に忙殺されているため、スキー場も空いている。要所要所に警戒態勢が敷かれているが、それは過去2〜30年、警備の手薄な場所がテロの襲撃対象となっているからだ。ダボスにいる人々を守るのは国際的に課せられた使命。だからと言って、自由に外出できないわけではない。ただ、万一に備えて身分証明書を持って歩くのが賢明だろう。
swissinfo.ch: 今は路上の任意職務質問も減りました。
ヴィルシュ: 以前と比べ大きく変わった点は、12年ほど前には激しかった反WEFデモが、今は牧歌的と呼べるほどに縮小したこと。「ダボス会議が取り組んでいるのは、デモ隊が訴えるテーマそのものだ」というシュワブ教授の説得が功を奏したと思われる。ダボス会議アジェンダの中心テーマの一つは「世界をよりよくする」。そのためには、権力者や支配層が蓋をしたい部分も俎上に載せなければならない。シュワブ教授はまさにそれを実行しており、ダボス会議にはNGOや環境保護団体にも討論の場が設けられている。ダボス以外のどこで、自動車業界の8割と2〜30に及ぶ代表的な環境保護団体を1カ所に集めることができるだろう。
swissinfo.ch: それでも地元住民はやはりダボス会議に批判的態度を取りづらいのでは?
ヴィルシュ: 批判的であっても、別に逃げ隠れする必要はない。批判的態度は、スイスでは民主主義の基本の一つ。スイス人は批判封じに敏感だ。ダボス会議も批判を受け付けなくなれば衰退の道を歩むだろう。それはまったくの杞憂だが。
swissinfo.ch: それでもダボスの人々は否定的意見を言いたがりません。できれば何も言いたくない、という人が多いようです。
ヴィルシュ: 批判者の影が薄くなったのは、会議の経済効果が州全体に及んでいたり、年に1度国際的脚光を浴びることに住民がプライドを持っていたりするからだろう。
swissinfo.ch: 「ダボス会議の話題を出せば地雷を踏む」という意識が強くあるようです。
ヴィルシュ: それも、大勢の人間が何らかの形で会議の恩恵を受けているからだ。自分が座っている枝を自分で切るのは難しい。
swissinfo.ch: しかし、実際には全員がダボス会議で得をしているわけではありません。
ヴィルシュ: いや、していると思う。間接的な恩恵というものもある。例えば教師。ダボスに職があり、子どもが学校に通うからこそ、教師を続けられている。私にしてみれば、地元で得をしていない人間を探す方が難しい。
swissinfo.ch: 例えば、スキーリフトを運営する登山鉄道はダボス会議のために損をしています。あなた自身も先ほど「スキー場は空いている。誰も滑りに来ない」と述べました。
ヴィルシュ: その通り。だが登山鉄道は同時にホテルの経営母体でもある。そのベッド数は合わせて2千を超え、最大手だ。しかも、会議開催中は他の時期よりもはるかに高いベッド料金を設定できる。
swissinfo.ch: 一方、ダボスには会議への依存も見られます。これは危険な展開ではありませんか?
ヴィルシュ: その言い分は正しい。ダボス会議の開催には今や国民経済的意義が伴っており、明らかにそれに依存する層を生み出している。これは問題ではあるが、逆に我々は自らの成功の犠牲になったとも言える。ダボス会議がサクセスストーリーであり続けるためには、さらに成長し、さらに経済効果を拡大しなければならない。依存問題はメダルの裏側なのだ。
swissinfo.ch: ホテル料金について「ぼったくり」との批判が定期的に聞かれます。
ヴィルシュ: それならば、アート・バーゼル(世界最大の現代美術フェア)やフランクフルト・ブックフェア(世界最大の書籍見本市)についても言及しなければ不公平だ。都市でビッグイベントが開かれればあらゆる料金がつり上がる。だが、批判の声は聞かれない。ダボスの場合、世界が注目し、メディアも大挙して押しかけるという特殊ケース。そして、メディアはネタが不足すればそんな話題でも取り上げるものだ。
swissinfo.ch: 02年の年次総会は、前年9月11日の連続テロ事件が発生したニューヨーク市に敬意を表して例外的にニューヨーク市で開かれました。
ヴィルシュ: ダボスがキャンセルの通知を受けたのは11月、つまり会議開催予定の2カ月前。これはショックだった。しかし、ダボスの目を覚ます効果もあった。ダボス会議で人が来なければどうなるかを実際に味わったのだ。幸いその翌年に行われた住民投票の結果は、WEFに肯定的なものだった。
swissinfo.ch: ダボス会議に関する報道にはあなた自身もよく登場し、「地元のボス」などと呼ばれました。この呼び方は当たっていますか?
ヴィルシュ:ホテル関係者の中で、ということなら確かに私は「ボス」だった。これはベルヴェデーレで数多くの社交イベントを売り込んだことが大きい。これらのイベントはセレブの間では大人気で、彼らはメディアにポジティブな記事を書いてもらおうと写真撮影にも愛想よく応じた。当初はこういったイベントは取材が許可されず、ネガティブな報道が目立った時期でもあった。ベルヴェデーレでは、時々これらのイベントを取材陣に開放したというわけだ。
swissinfo.ch: ビル・クリントン元米大統領のベルヴェデーレ訪問は詳しく記録に残っています。クリントン元米大統領のホテル訪問回数は11回。彼には特に親しみを感じましたか?
ヴィルシュ: 信頼関係を作ることのできたゲストには特に親しみを持った。クリントン元米大統領も間違いなくその1人だ。彼はポジティブなオーラに溢れ、会話の相手として素晴らしい。だからこそ友人になれたのだ。
swissinfo.ch: 00年にはクリントン元米大統領に関連してネガティブなニュースが流れましたね。ダボスで行われた過激なデモの画像を元に、米メディアが当時「クリントン大統領の危篤」を報じました。
ヴィルシュ: あれは難しい状況だった。我々はこれを、どちらかというとダボス会議自体から目をそらすものだと受け止めた。この件のために、ダボス会議の安全対策や、WEFとスイスが長年にわたって保ってきた「安全で信頼できる」というイメージが不当に傷つけられた。
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