世界で最も美しい書店
デジタル時代の今、大勢の見学者が押し寄せる書店がある。アルゼンチン・ブエノスアイレスの「アテネオ・グランド・スプレンディッド」だ。オーナーは、アルゼンチンとスイスの国籍を持つリカルド・アルトゥロ・グリューンアイゼンさん(68)。築100年の劇場を書店に改装後、年間100万人もの見学者が世界中から訪れるという。
グリューンアイゼン一家は2000年、芸術的価値の高い建造物に新たな方向性を与えることに決めた。こうして元劇場だった建物は、今では世界で最も美しい書店としてブログやガイドブックで紹介され、ナショナルジオグラフィック誌でも今年、「『世界で最も美しい書店』へ行ってみよう外部リンク」という記事でこの書店が取り上げられた。
エマニュエル・マクロン仏大統領が昨年訪れたことで注目を集めた場所に案内してくれた一人が、出版グループILHSAの代表を務めるリカルド・アルトゥロさん。一家が書店の道を歩み出した2000年を振り返り、「この建物が閉鎖する直前に、ここを貸し出し、改装することに決めたのです」と語る。
1902年からアルゼンチンで
一家が出版業界に関わるようになったのは比較的最近のことだ。一代目がアルゼンチンに移住したばかりの頃は、この国にやってきた多くの移民同様、土地と仕事を探すことで精一杯だったという。
「祖父のカルロス・オットー・グリューンアイゼンは1902年、25歳のときにスイスからアルゼンチンに移住しました。1908年に土地を購入し、ブエノスアイレスから北東1200キロメートルのエル・チャコの森林を開拓することにしました」(リカルド・アルトゥロさん)
カルロス・オットーさんはもう一人のスイス人、ジュール・ユリス・マルティンさんと共同でその土地にヴィラ・アンジェラという町を作り、皮革工場向けの皮なめし剤を製造するラ・チャケーニャ社を創設した。
石油業界に転身
カルロス・オットーさんの企業家としての道はそこでは終わらなかった。「祖父は1928年にある企業を救いました。ブエノスアイレスから南に1800キロ離れたところにある、アルゼンチンで最初の石油企業アストラです。祖父は経営難に陥っていた同社の副社長に就任しました」とリカルド・アルトゥロさんは回顧する。
「ジュネーブとブエノスアイレスに2万5千人の株主がいましたが、政治的、経済的な状況は厳しいものでした。1944年から90年代までに内閣が20回変わり、そのうち4回は軍事政権で、民主主義が途絶えることもありました。そしてインフレ率は度々、数百パーセント台に上昇したのです」(リカルド・アルトゥロさん)
グリューンアイゼン一家は96年にアストラの売却決定後、ILHSAグループを買収し、出版業界に足を踏み入れた。ILHSA傘下の書店は現在54社あり、元劇場のアテネオ・グランド・スプレンディッドもその中に含まれる。
「劇場に閉鎖が迫っていたため、私たちは書店を開くことにしました。ラ・チャケーニャやアストラに続きこの書店でも、配当金をかなり抑え、非常に慎重な経営方針を取ることにしました。この非典型的な国で事業を成功させるためです」と、リカルド・アルトゥロさんは語る。
スイスの起源地を訪問
現在、アルゼンチンの書籍市場における売上高の25%をグリューンアイゼン一家が占める。しかし一家の最年少は、国が新たな経済危機に陥っている中、農業分野に再び従事することにした。
「私たちがしていることは、曾祖父が当時したことと同じです。そのすべてがこうして続いていることを誇りに思います」と、リカルド・アルトゥロさんの息子、フェリペ・グリューンアイゼンさんは言う。
一家は15年前にスイスを訪れた。「私たちのルーツであり、旅券に記載されている起源地であるベルン州のディエムティゲンについて知るためでした」。そう語るフェリペさんは、スイスにある自分のルーツに強い関心を持ち、家系図の研究に無数の時間を費やしてきたという。
一家は30年前にスイスの旅券を再取得した。今は遠く離れた土地からアルプスの国の政治に参加している。
曾祖父カール・オットーが家族に残したものは何だろうか?アルゼンチンに暮らすグリューンアイゼン一家4代目の1人であり、リカルド・アルトゥロさんのもう1人の息子リカルド・ガブリエルさんは、世界で最も美しい書店の店内を案内する傍ら(上の動画参照)こう答えた。「端的に言えば、仕事、努力、献身、まじめさです」
世界におけるスイス人
国外に暮らすスイス人は76万200人。そのうちアルゼンチン在住者は1万5千人。
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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