南国カーボベルデ産の金賞受賞ウォッカ 生みの親はスイス人
ウォッカと言えば寒冷な地域を連想するかもしれないが、酒類3大品評会の1つ「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション」で2023年の金賞を受賞したのは、大西洋の南の島・カーボベルデ共和国で造られたウォッカだった。生みの親は9年前に首都プライアに移り住んだスイス人のホセ・シュタイナーさん(28)だ。
ホセ・シュタイナーさんは蒸留酒の製造を始める前、プライアで飲料専門店を経営していたが、次第に売ることより造ることの方に興味が移っていったという。「ある飲み物は、どうして他の飲み物より優れているのか。何故10フラン(約1700円)の酒と40フランの酒があるのか。いつも疑問に感じていました」
実現するためには何が必要かを調べ、オランダで蒸留士のコースを修了した。カーボベルデに戻ると自分の店を売却し、そのお金で蒸留機を購入した。
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「ここで生まれたジンを作りたかった」とカーボベルデから電話インタビューに答えるシュタイナーさん。当時は地元産の酒と言えば、グロッグと呼ばれるサトウキビの蒸留酒だけだったという。乾燥し降水量も非常に少ないこの島国は、火山が生んだ景観が特徴的だ。
波乱の幕開け
数々の美しいビーチがこの島の魅力だが、「スイスでは当たり前にあるものがない」という欠点もある。衣料品のチェーン店も、ファストフード店も、ウォッカの瓶詰めに必要なボトルや蓋も「全て輸入品」だと話す。
また、ある国で「第一人者」になるのはそう簡単なことではないことも思い知らされた。カーボベルデ政府がジン製造に関する法体制を整える間、シュタイナーさんは資格を差し止められ、蒸留作業の中止に追い込まれたという。新ビジネスにとって幸先の悪いスタートだった。
規制に関する問題が解決すると、酒の種類をジンからウォッカに切り替えた。どちらもウイスキーのように樽の中で長期間貯蔵する必要がないため、早く結果を出したい場合に適している。
独自の香りを生み出すため、ジンにはハーブやスパイス、果実などの「ボタニカル」が添加される。ではウォッカに求められる味とは?「可能な限りニュートラル」とシュタイナーさんは答える。
ウォッカは炭水化物を蒸留して造るため、ほぼ何からでも造ることができる。「例えばフランスにはブドウから造ったウォッカがあります。ただブドウの風味は取り除く必要がありますが」
ウォッカはどんな味がすべき?
シュタイナーさんのウォッカは穀物製だ。風味と脂肪分は蒸留して全て取り除く。タンパク質のグルテンも取り除かれ、最後には純粋なアルコールと水だけが残る。「例えば軽くパンのような風味を足すこともできますが、万人受けはしません」
だが少なくとも、審査員の心は捉えたようだ。ロンドンで毎年開催されるインターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティションでは3千種類以上のドリンクが審査されるが、2023年に出品されたシュタイナーさんの「プロスペラス ウォッカ(Prosperous Vodka)」は100点満点中99点を獲得。100点が付くことはないため、これは事実上の最高得点だ。
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金賞獲得の朗報が舞い込んだ時、シュタイナーさんは休暇中だった。「受賞を聞いて、皆で夜通し祝いました。自分たちのウォッカに自信はあったものの、さすがに最高得点は驚きました」と笑う。
自分の人生やカーボベルデでの成果について語るシュタイナーさんは、実に生き生きとしている。しかし幼い頃に初めて経験した移住生活は、もう少し大変だったという。
海から遠く離れたスイス北東部アッペンツェルのシュヴェルブルン村で生まれ育ったシュタイナーさんは、10歳の時に両親と共に40キロメートル程離れたローマンスホルン(トゥールガウ州)に引っ越した。14歳になると、家族でポルトガルのアルガルヴェに移り住んだ。
予想に反したポルトガルでの生活
当時10代だったシュタイナーさんにとって、移住はちょっとしたショックだった。ローマンスホルンにいた頃からポルトガル人コミュニティとは交流があったが、ポルトガルの学校に通い始めると、自分の語学力では全く歯が立たないことを痛感した。
家では母親とポルトガル語を話していたが、初めの頃は教師の言うことがほとんど理解できず、テストの時は教科書を丸暗記していたという。
やがて夏休みにレストランやバー、クラブなどでアルバイトをするうちに、ポルトガル語が上達していった。同時にスペイン語と英語もマスターした。この時のバイトの1つが、人生を大きく変えることになる。カーボベルデ出身で後の妻となるリヴィアさんとの出会いだ。ポルトガルの大学を卒業して故郷に帰りたがっていたリヴィアさんと一緒に、シュタイナーさんもカーボベルデに移る決心をした。
今では2人は結婚し、5歳になる娘にも恵まれた。カーボベルデの公用語はポルトガル語だが、シュタイナーさんは現地の人たちが島々の共通語として日常的に使うクレオール語も新たに習得した。
自分のウォッカが「地元産」と認識されることが重要だと話すシュタイナーさん。ラベルにはカーボベルデの主要な島々が描かれ、カーボベルデ人を共同創業者に選んだ。「地元の人の顔がある方が信頼感を得られる」からだという。
唯一の欠点は、ウォッカの原料となる穀物がここでは育たないため、フランスから輸入していることだ。ただ「スイスでカカオが育たなくても、チョコレートはスイスの製品と見なされます。それと同じです」。
娘を連れて家畜の品評会へ
人生の前半をスイスで過ごしたシュタイナーさんは、やはりスイスに自分のルーツを感じるという。もっとも彼の場合、スイスと聞いて懐かしく思うのはチョコレートやソーセージのセルベラではない。
懐かしいと感じるのは、自分が生まれ育ったスイスの村だ。定期的に帰省し、今もスイスドイツ語を忘れない。娘を連れて家畜の品評会に行ったこともある。「娘にもスイスを知ってもらうためにね」
スイスに帰ると、いつも昔馴染みの友だちに会うという。「一緒にいると心が和む」と言うシュタイナーさんは、カーボベルデで新しい友だちを作るのは容易ではないと話す。「もともとあまりオープンな人間ではない」上、外国人である自分に金目当て接近してきた人か否かを常に見極めなくてはならないためだ。
身に染みついた「時間厳守」
外国暮らしが長くなっても、今も抜けないスイス人気質があるという。それは「きっちり時間を守ること」。カーボベルデの人たちとは正反対だ。それでも徐々に新しい故郷に溶け込み始めているのか、「もし帰国しても、何もかも組織化されたスイス社会に再び馴染めるかは分からない」と話す。恐らくその中間が最適なのだろう。
だがまだしばらくカーボベルデを離れる予定はない。今の彼に必要なのは大量のボトルだ。「1日に300本瓶詰めしています」。目標はさらに大きい。プロスペラス ウォッカはポルトガルでは販売されているが、スイスではまだ手に入らない。「いつかそうなれば、本当に嬉しいですね」
編集:Balz Rigendinger、独語からの翻訳:シュミット一恵、校正:ムートゥ朋子
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