スイスの視点を10言語で

ロシア人の凍結資産、返還か没収か? 最高裁判決で揺れるスイス銀行

イメージ図
イラスト:Kai Reusser / SWI swissinfo.ch

ロシアの巨額詐欺事件に絡んだスイスの最高裁判決が、スイスの銀行に大きなジレンマを突き付けている。判決を無視してロシア人資産を凍結し続ければスイスの司法制度に抵触する恐れがあり、判決に従えば米国で制裁を受けるリスクがある。

スイス連邦裁判所(最高裁)が1月21日に下した判決外部リンクで、ロシア市場に特化した英系投資ファンド「エルミタージュ・キャピタル・マネジメント(HCM)」の敗訴が確定した。

HCMは上告審で、スイス検察が2011年に捜査を開始し、その後打ち切ったマネーロンダリング(資金洗浄)事件に関し私訴当事者(刑事手続に当事者として参加できる者)の地位を争ったが、最高裁は私訴当事者の地位は刑事犯罪の被害者に与えられるものであり、今回の事件においては、HCMに直接的な損害を与えたことが立証できないとし、HCMを私訴当事者から除外することを認めた連邦刑事裁判所の2022年判決外部リンクを支持した。
このマネーロンダリングが絡むロシア財務省への大規模な詐欺・脱税事件は「マグニツキー事件」と呼ばれ、疑惑を告発したロシア人弁護士セルゲイ・マグニツキー氏が2009年に不審な獄中死を遂げたことに因んで名づけられた。

スイス検察の捜査打ち切りが正式に確定し、UBSなどスイスの銀行の口座に捜査開始時に凍結された1400万フラン(約23億4000万円)が解放されることになる。

HCMの顧問弁護士だったマグニツキー氏は、同社がロシアで約2億3000万ドル(約350億円)を脱税していたことを告発した。詐取された金は、複雑なマネーロンダリング(資金洗浄)を通じてスイスなど数カ国に秘匿されていた。

複数の国が制裁

この判決は、スイスの銀行が国際法に違反する可能性があるかどうかも含め、いくつかの疑問を提起している。3人のロシア人顧客は、外国での人権侵害に加担した個人・組織に制裁を科す「マグニツキー法」に基づき、米英カナダ、オーストラリアなど複数の国で制裁を受けている。つまりスイスの銀行は、3人の資産の取り扱いに関し、米国の制裁に違反するリスクを慎重に考慮する必要がある。判決を受けて銀行が資金の凍結を解除するかどうかは、現時点ではわからない。

最高裁判決は、HCMがスイスで取りうる法的手段を使い果たしたことも示した。HCMは1月31日に発表した声明で、凍結解除を容認する判決は「ロシアやマグネツキー事件との関係で国際制裁に違反し、国連の国際組織犯罪防止条約外部リンク国連腐敗防止条約外部リンクにも著しく違反する」と反発した。

スイス銀行による資産凍結解除は国際法に違反するかという質問に対し、スイス銀行協会(SBA)の回答はあいまいなものだった。「スイスの銀行はスイス・国際・超国家当局によって課せられた制裁を含め、適用されるすべての法律と規制を厳格に遵守している」

10年にわたる法廷闘争 

最高裁判決は、英米をはじめ資産が秘匿された他の国々でスイスの銀行が訴えられる可能性を生み出した。こうした国々ではHCMはロシアでの詐欺計画の被害者とみなされ、凍結資産は没収されるか当局との和解金に充てられた。

連邦検察庁(BA/MPC)が2011年に開始した資金洗浄事件の捜査では、HCMは私訴当事者として認められた。

しかし検察庁はスイス国内で立件するには証拠が不十分だとし、21年に捜査を打ち切った。

検察庁は捜査の過程で、スイスの銀行UBSとクレディ・スイス(現在はUBSの子会社)のロシア人顧客3人の口座1800万フランを凍結した。

ドミトリー・クリュエフ:2億3000万ドル詐欺時件の主犯。米国、カナダ、英国、オーストラリアから制裁を受けている。

ヴラドレン・ステパノフ&オルガ・ステパノワ:米国、カナダ、英国、オーストラリアから制裁を受けている。

デニス・カツィフ:米国、オランダ、イスラエルで資金洗浄容疑で捜査を受けた。 米国当局には2017年に600万ドル、オランダ当局には2024年に300万ユーロの和解金を支払った。

検察庁は最終的に、差し押さえた1800万フランのうちマグニツキー事件との関与が立証できたのは400万フランだったとし、これを没収した。

マグニツキー事件で使われた横領手段は、ロシアメディアのノヴァヤ・ガゼータや、国際ジャーナリスト組織「組織犯罪と汚職報告プロジェクト(OCCRP)」が詳しく報じた。ロシアの警察官らが英投資会社エルミタージュ・キャピタル・マネジメント(HCM)のロシア子会社から押収した書類と社印を悪用し、子会社の所有権を別名義に書き換えた。

警察官らは複数のペーパーカンパニーを設立し、HCMの「子会社」が盗まれたとして損害賠償を請求した。原告・被告の両方を装った警察官らに騙されたロシア仲裁裁判所は、書類上の巨額損失があり、同社に収益はないと認定した。警察官らは裁判所の「お墨付き」を根拠に、ロシア財務省に納めていた所得税2億3000万ドルの返還を請求。オフショア口座を通して還付金を国外に送金した。

またスイス検察庁は捜査終結時、HCMを私訴当事者から除外した。HCMはこれを不服として連邦刑事裁判所(スイス南部ベリンツォーナ)に控訴したが棄却され、22年に上告した。

検察に報復

英HCMの創設者ビル・ブラウダー氏は最高裁判決を受け、「マグニツキー事件でロシアを幇助し、ロシアのウクライナ侵攻下で資産を返還することに関与したスイス人に対し、制裁と説明責任を求める」と述べた。

ブラウダー氏はswissinfo.chの取材に対し、「スイスの法執行機関で起きた汚職をわざと見逃し、その結果として制裁対象のロシア人への資産返還を招いたスイス当局者」にマグニツキー法上の制裁を与えるようヘルシンキ委員会の協力を仰ぐと話した。ヘルシンキ委員会は米政府の独立機関で、57カ国との人権・軍事安全保障・経済的協力の促進を任務とする。

おすすめの記事

ブラウダー氏は報復相手として、マグニツキー事件の捜査指揮をとったミヒャエル・ラウバー元検事総長やその側近、シュテファン・ブレットラー現検事総長を念頭に置く。

米国での訴訟リスク

スイスの銀行UBSとクレディ・スイスは、スイスの判決を受け入れて米国の制裁を受けるリスクを冒すか、それとも判決を無視してスイスの司法制度に抵触するかという微妙な立場に置かれている。

判決を受けて、HCMはUBSの経営陣に対し、「制裁対象者」に資金を渡す際の潜在的な法的リスクを列挙する書簡を送った。

金融機関は最高裁判決とは別に、米国や英国、欧州連合(EU)、その他の国際規制枠組みに拘束されており、制裁対象者の銀行取引を助けることは重大な罰則が科される可能性があると指摘した。

巨額の罰金

米国の制裁法に違反した場合、米国財務省は国際緊急経済権限法外部リンクに基づいて厳しい罰金を課すことができる。制裁対象者に利益をもたらす取引に対しては、組織犯罪対策のために制定されたRICO法や反テロ法など米国の他の法律に基づいて民事・刑事責任、三倍賠償などの賠償責任が発生する可能性もある。実際、仏BNPパリバは2014年に制裁企業との決済を処理したとして89億ドルの罰金を科され、英HSBCは2012年に資金洗浄幇助と制裁違反により19億ドルの罰金を命じられた。

米国でも事業を展開するUBSはswissinfo.ch の取材に対し、凍結資金の扱いを明らかにしなかった。

「UBSは世界的な金融機関として、国連、スイス、EU、英国、米国を含む複数の管轄区域で適用される法律や規制の要件および制裁を遵守している」

「米制裁はスイスで効力なし」

スイスで制裁の執行・監視を担う連邦経済管轄庁(SECO)は、スイスは米国の制裁ではなく、ロシアとロシア人に対するEUの制裁に従っていると説明する。

SECOによれば、HCMに関してスイスの銀行に資産を預けている3人はEUの制裁リストに載っていないため、その資産は現制裁制度の下ではEUでもスイスでも凍結される必要はない。

SECOはswissinfo.chに対し、「米国などの第三国が課す制裁は、原則としてスイスでは法的効力を持たない」とメールで回答した。

一方で、銀行はリスク軽減のために外国の制裁を考慮することもあると付言した。swissinfo.chが取材した複数の専門家は、スイスの銀行がスイスの裁判所の判決に従えば、米国による制裁を受ける可能性が高いとの見解だ。

「米制裁ははるかに大きなリスク」

かつてスイス司法・警察省で経済・組織犯罪課を率いていたマーク・ピエト氏は「UBSはおそらく(資産の返還を)拒否するだろう。ロシアが資金の回収を試みようとするいかなる法的訴訟よりも、米国の制裁の方がはるかに大きなリスクとなるからだ。UBSは、取引を進めることはできないと主張するだけで良い」とみる。同氏は著名な汚職防止専門家で、現在はホワイトカラー犯罪とスイス刑法を専門とする国際法律事務所を運営する。

ピエト氏は、UBSが米国での政治的支持を失うリスクを冒すはずはなく、この件には政治的・法的両方の課題があると考えている。「銀行は権力側に留まるために、(ドナルド・トランプ米大統領のものも含め)さまざまな政治運動を金銭支援してきた可能性が高い。共和・民主両党ともこの問題でスイスの銀行に圧力をかけたがたっているとみられ、UBSにとっては深刻な脅威だ。UBSはおそらくいかなる行動も控えるだろう」

swissinfo.chは昨年、ロシアの世界的脱税事件でスイスに流れ込んだとされる1000万フランの行方についてスイス当局が調査を怠っていたことを明らかにした。

編集:Virginie Mangin/ac、英語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

おすすめの記事
ニュースレター

おすすめの記事

外交

絶えず変化する世界の一員であるスイスは、どのような外交政策を進めているのか?その最新動向を解説します。

もっと読む 外交

人気の記事

世界の読者と意見交換

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部