The Swiss voice in the world since 1935

トランプ政権の多様性攻撃がスイスの医薬品開発を妨げる理由

製薬企業のラボ
米国は、スイスの製薬会社ロシュの世界収益のうち50%近くを占めている  Keystone / Georgios Kefalas

スイスの製薬会社ロシュとノバルティスは、ドナルド・トランプ米大統領の行政命令を受けて、多様性や包摂性に関する目標を見直すと発表した。専門家は、臨床研究において多様性に関する目標を放棄すれば、医薬品開発が数十年遅れる可能性があると警告する。

トランプ氏の発した大統領令の圧力は、米国の外に本社を置くグローバル企業にもおよんでいる。複数のスイス企業が、DEI(多様性・公平性・包摂性)に関する用語や目標を、米国内だけでなく世界レベルで見直すと発表した。

製薬大手ロシュの広報はswissinfo.chのメール取材に対し、今後10年間の目標を次のように変更すると述べた。

「当社の労働力を反映する世界的リーダーシップを駆使し、人々が最高の業績を上げられるようなインクルーシブな環境を達成する」「人々が最高の業績を上げられるようなインクルーシブな環境を育む」

この決断は、トランプ氏の一連の行政命令、特に1月21日付「違法な差別の廃止と能力に基づく機会の回復に関する大統領令」に応えたものだ。この大統領令には、「民間部門におけるDEIによる違法な差別と優遇措置廃止の促進」外部リンクという項目が含まれている。

DEIプログラムや企業指針は、すべての人々にとって働きやすい職場環境を創出し、社会的弱者が経営幹部などの代表的地位に就くことへの障壁撤廃を目的としている。米国の大企業は人材の獲得と維持、また多様化が進む消費者のニーズに応えるためにDEIの概念を導入しており、世界中にも波及しつつあった。トランプ氏はDEIを、非マイノリティに対する不公平な待遇を招く「ウォーク(社会的不平等に対する目覚め、転じて過剰な自由主義の意)」文化だと非難してきた。

トランプ氏がDEI潰しにかかる中、ロシュは2月半ば、在米子会社ジェネンテックのウェブサイトから多様性に関する目標外部リンクを削除した。バーゼルに本社がある競合会社ノバルティスも3月、米国内での採用プロセスから多様な人事担当者による面接外部リンクを廃止すると発表した。

swissinfo.chが入手した3月18日夜のロシュ幹部から社員に宛てた電子メールによると、同社が世界レベルでの変更を決断したのは、「新しい法律を遵守しなければ、当社のグローバルプログラムや目標が米国内の関連組織に悪影響をおよぼす可能性があるため」だという。

スイスに本社を置くグローバル企業が次々とトランプ氏の要望に屈しようとしている事実は、米国の大統領令がどこまでおよぶのか、製薬研究や開発など企業の主要な活動に影響は出るのかという疑問を提起した。

医薬品の開発には、病気や治療が与える影響が性別、ジェンダー、民族性によってどう違うかを正確に把握することが重要だ。

2022年、ノバルティスは臨床試験における人種的不平等に対処するため、1770万ドル(約26億5700万円)を投資した。同社は前年から、歴史的にアフリカ系が多い米国の26の大学と協力して、医療と教育における不公平への対処などを目的とした10カ年計画「ビーコン・オブ・ホープ(希望の光)」外部リンクプロジェクトを立ち上げている。

ノバルティスはswissinfo.chに宛てた電子メールで、「臨床試験への多様な患者の参加は、当社の研究開発にとって極めて重要である」と述べ、希望の光プロジェクトへの投資を継続する意向を明らかにした。

ロシュも同じような見解を示している。同社の2024年の年次報告書は、「当社の医薬品および診断薬の研究・開発・ソリューション提供のあらゆる側面にDEIを組み込んでいく」と述べ、さらに「インクルーシブな調査研究の専門チーム」を擁していることを明らかにした。

ロシュの広報担当者はswissinfo.chの取材に対し、米国支社のインクルーシブチームが今後も「より幅広い患者層を反映できるよう、さまざまな人種、民族、家系の患者を対象とする臨床試験デザインに力を入れて行く」と説明した。

しかし依然として不安は大きい。ロシュの経営陣は社員宛ての電子メールで、米国と全世界両方において「今後、DEIの内容、活動、プログラムには変更があるだろう」と予告している。

長期的な弊害

専門家らはswissinfo.chの取材に対し、医薬品開発における多様性の後退で、最終的に苦しむのは患者だと警告する。

2018年から2022年までロシュとバイオジェンで働いた病理学・神経学者のアントネラ・サントゥッチョーン・チャダ氏は「新薬の研究において性別、ジェンダー、人種を考慮しないのは科学として不適切なだけでなく、もはや怠慢だ」と述べた。

マッキンゼー・ヘルス・インスティテュートが昨年発表した 研究結果外部リンク によると、過去40年間で、女性への副作用が理由で生産を停止された医薬品は、男性への副作用によるものよりも3.5倍も多い。

米国食品医薬品局(FDA)は、1993年まで、出産可能な年齢の女性が早期臨床試験に参加することさえ認めなかった。だがこの10年、スイス外部リンクを含む多くの国の医薬品規制当局が、臨床試験の多様性を高めるための指針や基準を次々に策定している。

臨床試験対象の多様化は、人口動態の観点からも、緊急の課題となっている。国連は、1960年に世界人口の11人に1人だったアフリカの人口が、2050年には4人に1人に増えると予測している。現在、アフリカは世界人口の16%以上、世界疾病負荷の25%を占めているが、同地域で実施されている臨床試験は世界全体のわずか2~4%だ。

インクルーシブ戦略コンサルタント、クラウディア・ヴァッカローネ氏は、多様性の後退は「明白・深刻な影響をもたらす。特に女性やマイノリティの健康問題に対処する医薬品や医療機器の研究開発に支障が出るだろう」と話している。

圧力の兆候

医療研究における多様性と包摂性が、トランプ政権から圧力を受けそうな兆候はすでに現れている。

トランプ氏が就任した最初の週、研究における多様性に関する複数の連邦政府のウェブページ外部リンクが削除された。2025年から本格運用する予定だった、後期臨床試験において過小評価されている集団からの登録改善に関する業界向けガイダンスも含まれていた。このガイダンスはその後復元されたが、現行の取り組みのうち何がどのような形で継続するのかは依然として不明だ。

米国の金融情報サービス大手ブルームバーグは2月の時点で、米製薬大手ブリストル・マイヤーズ スクイブが2024年の年次報告書から臨床試験の多様化に関する目標を削除したと報じている。外部リンク

ノバルティスとロシュにとって、米国は依然として最も重要な医薬品市場で、両社の世界収益の40~50%を占めている。両社は米国政府とも有利な契約を結んでおり、例えば65歳以上の国民を対象とした公的医療保険「メディケア」を通じて、研究や医薬品供給を行っている。

前出のチャダ氏は、「治療対象となる集団を確実に反映した臨床試験を行うために、企業には規則や指針、さらにはインセンティブが必要だ。後戻りしている時ではない」と話している。

編集:Virginie Mangin/dos、英語からの翻訳:阿部寿美代、校正:ムートゥ朋子

人気の記事

世界の読者と意見交換

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部