ビーガンチーズ生産者がチーズ王国スイスで苦戦する理由
伝統的な製法でビーガンチーズを製造し、躍進を続けるスイスのメーカー、ニュー・ルーツ。だが同社の前には国内酪農業界の強い反発など多くのハードルが立ちはだかる。
アリス・フォコンネ氏とフレディ・フンツィカー氏のビーガンチーズ作りは、発酵食品好きが高じて始まった。
ビーガンチョコレート職人とプロのマウンテンバイカーの2人がベルン州トゥーンの自宅でお気に入りの製品を再現する実験を行ったのは、今から8年前のことだ。
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「遊び感覚で色々な食材を発酵させていた。自分たちでコンブチャ(お茶を発酵させた植物由来の発酵飲料)やザワークラウトを作って、それでチーズも試してみようと。当時のスイス市場にはビーガンチーズがなく、豆腐しかなかった」とフォコンネ氏は振り返る。
試行錯誤の末、ペースト状にしたカシューナッツからカマンベール風のソフトチーズを作ることに成功した。外見は従来のチーズと変わらないが、中は硬めで、風味もややマイルドだ。
スイスのスーパーマーケットチェーン・コープから舞い込んだ大口発注と、持続可能な食品事業を支援する投資会社ブルー・ホライズンからの融資が追い風となり、ニュー・ルーツはトゥーンの朝市での屋台販売から、4千平方メートルの生産拠点を持つ企業へと急成長を遂げた。工場は首都ベルンから電車で30分ほどの自治体オーバーディースバッハにある。
設立当初から黒字成長を続け、昨年は販売数300万個を記録した。だが全てが順風満帆だったわけではない。
ビーガンチーズに対する偏見
ニュー・ルーツのベストセラーはカマンベール風のソフトタイプチーズと、冬場はビーガンのチーズフォンデュだ。顧客の3割をビーガン(完全菜食主義者)が占める。(スイス人女性の約1%がビーガン、男性は0.2%、2022年スイスヴェグ調べ)。
それ以外は乳糖不耐症の人や妊婦、あるいは倫理的、持続可能性、健康上の理由からビーガン製品を購入する人たちだ。
ビーガンチーズは、スイスではまだニッチな商品だ。フォコンネ氏の推定では、スイスのチーズ市場に占めるビーガンチーズの割合は0.5%程度にとどまる。
シェア拡大を阻む要因の1つに、ニュー・ルーツのブランド戦略がある。同社は動物愛護を中核に据えて差別化を図っているが、まだスイスの消費者からあまり共感を得られていないという。牛乳やチーズ、ヨーグルト、バター等の乳製品を年に1人当たり平均293キログラム消費するスイス人は、「牛が草を食み、人間のために牛乳を作るのは全く自然なプロセスだと信じている。環境問題より動物愛護の方が重要視されている」とフォコンネ氏は主張する。
製品名から「ビーガン」を外して「プラントベース(植物由来)」に変えるべきだと迫る投資家サイドの圧力にも屈せず、同社は動物愛護をブランドアイデンティティを全面に押し出した路線を貫いている。
原材料の調達
もう1つの問題はコストだ。ニュー・ルーツの売れ筋ソフトチーズは、コープでは100グラム当たり6.63フラン(約1130円)だが、同量のスイス産オーガニックカマンベールは2.68フランで手に入る。
価格差が生じる主な原因は、主原料のカシューナッツを輸入に頼っているためだ。高価な食材であるカシューナッツは、従業員が手袋などの保護がない状態で殻を剥くと接触皮膚炎を起こすことがあるため、適切な労働条件下で生産された材料を調達する必要がある。
「スイスでは牛乳に対して政府から高い補助金が出る。一方、私たちは有機栽培され、公正に取引されている高品質のカシューナッツを使っているが、補助金は出ない」(フォコンネ氏)
将来的には国内調達できる食材を増やす方針だが、脂肪と糖分、タンパク質のバランスが取れたカシューナッツの代替探しに難航しているという。
2022年以降、同社はスイス産のルパン豆やイタリア産のひよこ豆を一部の製品で実験的に使用している。
また、より多くの原材料を国内で調達し、スイス農家が畜産から脱却できるよう促すためにチューリヒ拠点の「トランスファーマツィオン(TransFARMation)」とも提携した。
チーズ大国スイスでの足場固め
食品の安全や衛生に関する既存の政府規制はビーガンチーズを想定して作られたものではなかったが、ニュー・ルーツがこれらの規制を満たすのに何ら問題はなかった。
「弊社は食品安全当局からチーズ製造業者と同じ扱いを受けている。厳格なチェックはあるが、当局の指導の下、衛生や交差汚染の問題について理解を深めた」とフォコンネ氏は言う。
スイスチーズ協会も、消費者の間で植物性代替食品の人気が高まっていることを認めている。
「私たちの食生活には植物性タンパク質も欠かせない。事実、植物性タンパク質は今後ますます重要になるだろう。ただしその栄養価を維持するためには、加工食品として取り入れるべきではない。こういった加工食品は、肉やチーズの食感や風味を再現するために結合剤やその他の添加物を使用していることが多いからだ」と、チーズ業界団体「スイスチーズマーケティング」のマーケティング責任者マーティン・シュパール氏はEメールで回答した。
ビーガンの代替食品は加工食品、という一般的なイメージが販売のデメリットになっているとフォコンネ氏も認める。「否定的な意見の中には、添加物の多い超加工食品という先入観が要因のものもある。実際は、成分の95%がカシューナッツペーストと水なのに」
だが最大の難関はスイスの酪農ロビーだ。製品を「チーズ」と表記すれば訴えるという脅しに常に直面しているという。そしてパッケージやウェブサイト、ソーシャルメディアにも業界からの厳しいチェックの目が光る。
チーズの法的定義は唯一「動物由来製品に関する規制」に記されている。もちろん植物由来のビーガン製品は対象外だ。
第50条には「チーズとは、レンネット(凝乳酵素)やその他の凝固剤又は工程によって乳清から分離された乳から得られる製品」とある。
連邦内務省食品安全・獣医局(BLV/OSAV)は2021年にインフォメーションレターを発表し、動物性食品に代わるビーガン製品について明確な説明を試みている。
それによると、チーズ、ステーキ、ソーセージなど一般的な食品のビーガン版は認められているが、カマンベールやブリーチーズのような伝統的に動物性食品を連想させるものは認められていない。
商品の表記とマーケティングに関する規則はより厳密だ。ビーガンの代替食品は、動物性食品と銘打ってはならない。
つまり、「ビーガンチーズ」や「ビーガンマヨネーズ」と表記することは認められず、「ビーガンのチーズ代替品」や「ビーガンのマヨネーズ代替品」としなければならない。
「一般消費者とのコミュニケーションにおいて、私たちは事実に基づいたコミュニケーションを重要視しており、他の市場関係者にも同じことを求めている。誤った情報や表記による消費者の混乱を避けなければならない。これは特に栄養面で深刻な結果を招く恐れがある」と牛乳生産者団体スイスミルク(SMV/PSL)の広報官レト・ブルクハルト氏は言う。
これに対しフォコンネ氏は「ネズミが猫を相手に戦っているようなもの。酪農業界は法的にも経済的にもはるかに強い力を持つ。私たちの息の根を止めるのは訳ないこと」と話す。
同氏が慎重になるのには理由がある。スイスの代替肉メーカー、プランテッドは「プランテッド・チキン」や「ギュッゲリ」(スイスドイツ語でチキンを意味する)といった商品名の取り下げを拒否したため、訴訟を起こされている。
商品名の表記を厳しく規制する背景には、消費者を守る以外の理由があるとフォコンネ氏は考える。「スイスの酪農・食肉業界は、実は消費者の混乱を懸念しているのではない。自分たちの経済的損失を防ぎたいだけだ」
編集:Virginie Mangin/ts、独語からの翻訳:シュミット一恵、校正:宇田薫
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