色や形がきれいな果物を提供するため、果実農園では植物生長調整剤(植物成長ホルモン)が広く使われている。だが人体への影響に関する研究は少なく、そのリスクについてはあまり知られていない。
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スイス人がこよなく愛する果実、リンゴ。スイスの果樹農家のためのロビー団体「スイス果物組合)」によると、リンゴはスイスで最も人気がある果物で、消費者は年平均100個以上のリンゴにかぶりつく。
だがそのリンゴには、見た目を良くするために、人体に害を及ぼす可能性がある植物生長調整剤が使われていることはあまり知られていない。スイスのリンゴ園では、毎年こうした薬剤が約300 kg散布されている。これはリンゴ栽培面積の8割を優にカバーできる量だ。植物生長調整剤はまた、木に実る果実の数を減らし、残った果実を大きく収穫する「薬剤摘果」にも使われる。
連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)の研究員、ルッカ・ザッハマン氏は、「スーパーマーケットの場合、(買うか買わないかは)リンゴの見た目で決まる」と話す。「価格や品種、生産方法、原産地などが消費者の選択に影響することもあるが、それ以外の判断材料はあまりない」
リスクはあまり知られていない
病害虫の駆除に使う農薬が人体に与える影響については数多くの調査があるが、植物成長調整剤についてはこれまであまり問題視されてこなかったため、健康との関連性を示す研究がほとんど存在しない。
ある科学文献のレビュー外部リンクによれば、植物生長調整剤には内分泌かく乱作用を持つものもあり、性ホルモンの産生に悪影響を与え、生殖機能に支障をきたす可能性がある。これらの化学物質は食品や人間の尿からも検出外部リンクされており、暴露による農業従事者や消費者への有害性が懸念されている。
連邦内務省食品安全・獣医局(BLV/OSAV)はswissinfo.chの取材に対し、「審査を経て認可された農薬は、植物生長調整剤も含み、(該当する使用条件や禁止事項を守って)正しく使えば、人体に有害な影響を及ぼさないとされる」とEメールで回答した。
欧州連合(EU)と同様、スイスでも植物成長調整剤は農薬と同じように扱われる。使用には規制当局から承認を受ける必要があり、ラベル表示や最大許容残留量についても一定の決まりがある。そしてこれらの薬剤が私たちの健康を脅かす可能性があるのも、農薬と同じだ。
世界保健機関(WHO)がとりまとめた化学物質の危険有害性に関する分類・表示の世界調和システムでは、25種類の植物成長調整剤がリストアップされ、リスク別に5段階に分類されている。毒性評価には標準的な指標であるラットの致死量が用いられた。リストの中に「極めて高い」、あるいは「非常に高い」区分に分類された成長調整剤はなかったものの、中程度の危険有害性(5段階中3番目に高リスク)に分類される薬剤が8種類あった。そのうち4種類は(塩化クロルメコート、メピコート、ナフチルオキシ酢酸、パクロブトラゾール)スイスで認可されている。一方、EUでは2種類(パクロブトラゾールとメピコート)しか認めていない。
スイスの環境保護団体プロ・ナトゥーラは、これまで植物成長調整剤について反対運動を起こしたことはないが、環境を汚染する物質には変わりなく、削減すべきだと考える。
広報担当のニコラ・ヴュートリッヒ氏は「化学物質によって環境や私たちの体が汚染されることは絶対に避けるべきだ。果物や野菜の見た目がますます『完璧』になり、それが消費者にとって当たり前になれば、むしろ逆効果」だと言う。
ドイツをはじめ欧州数カ国で活動するNGO「フードウォッチ」は、成長調整剤を含むEUで使われる農薬を2035年までに全廃する運動を展開している。移行にあたり、まずは小麦やトウモロコシなどの穀物から取り掛かるよう提案する。こうした農作物は農薬の使用が最も普及しており、止めるのも最も安価で簡単だからだ。果実類も脱農薬の視野に入れているが、こちらは若干時間を要するかもしれない。
広報担当のサラ・ホイザー氏は「ブドウやリンゴ農家は、これら作物に特有な病害虫の課題を抱えるため、移行は長引くだろう」と言う。「それでも単に見た目だけの問題なら、段階的に農薬をなくすことも可能だ」
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結局はコストの問題
ザッハマン氏は今年5月、果実の外見を良くするためにスイスのリンゴ農家で使われる植物成長調整剤についての研究を発表した。ベースとなった調査には、スイスのリンゴ栽培面積の4分の1をカバーする約200の生産者から回答を得た。それによると、約2割の農家が果実の外見を良くするために、約6割の農家が薬剤摘果のために成長調整剤を使っていた。
農家の販売ルートによっても違いがあった。同調査では、作物を仲介業者に卸す農家の方が、消費者に直接販売する農家より植物成長調整剤を使う傾向が強かった。外見を良くするための散布は、前者の方が後者より約3割多かった。またリンゴを大きく育てるための薬剤摘果についても、前者の方が後者より約2割多かった。主な理由はコスト上の問題だった。
「仲介業者に卸す農家の方が、リンゴの格付けが下がった時の損失が大きい」とザッハマン氏は説明する。同氏の推算では、少々のキズや欠点が許されるクラス2のリンゴの価格は、厳しい外見の規格をクリアしたクラス1の価格の約4割にしか満たないという。これに対し産直農家の場合、クラス2のリンゴでもクラス1の7割近い値を付けられる。
では、不自然なまでに完璧なリンゴを有利にし、農家に成長調整剤を使わざるを得ないようにしている張本人は誰なのか?
スイス最大のスーパーマーケット・チェーン「ミグロ」の広報担当者、トリスタン・セルフ氏は、果物の見た目に応じた価格のガイドラインはなく、常に「各農業部門が設定した基準価格をもとに生産者に支払う価格を決定する」と話す。
果物部門の基準価格は、スイス果物組合とスイス果物・野菜・ジャガイモ協会(SWISSCOFEL)が設定する。スイス果物組合のガイドラインでは、食用リンゴを外見に応じ3段階(エクストラクラス、クラス1、クラス2)に分類している。エクストラクラスは、外見に影響のないごくわずかな表皮のキズ以外は許されない。クラス1は、わずかな欠点は許されるが、表皮の欠点は1 cm2以下のサイズとする。クラス2は少し条件がゆるく、欠点のサイズが2.5 cm2まで許されるが、それでも一定の最低基準は満たす必要がある。
農家には死活問題
外見についてここまで厳しい規格があるにもかかわらず、スイス果物組合は、見た目の改善のために農薬を使うのはガイドラインが原因ではないと反論する。エディ・ホリガー副会長の説明では、長期保存を可能にし、時間が経っても販売できるクオリティを満たすリンゴ作りが植物成長調整剤の目的だという。
また、「農業で利益を上げ、持続可能であるためには、作物の味だけでなく、見た目の品質も重要」と続ける。「収穫量にばらつきが出ないよう、非常にデリケートなアプローチが必要だ。ある年は大きすぎる果実が少ししか取れずに在庫がすぐに底をついたり、またある年は小さすぎて商品にならない果実ばかりが大量に発生したりすることがないように」
そして植物成長調整剤の禁止や、大幅な削減を求める規制は、果樹農家を経済的に破綻させかねないと指摘する。「農家が対策を講じなければ、収益はあっという間に赤字となり、生産を続けられなくなる。そのリスクはあまりにも大きい」だがスイスでは、農薬への風当たりがますます強くなっている。スイス連邦政府は2023年、こうした農薬による環境への悪影響を2027年までに半減させるという目標を掲げた。プロ・ナトゥーラは、植物成長調整剤もその対象に加えるよう求めている。
「十分な研究がないのなら、予防的な措置を取るべきだ。現在使われている成長調整剤に関しては、使用を減らすよう勧める(ザッハマン氏の)研究結果を支持する。また、成長調整剤も政府の農薬削減計画に盛り込むべきだ」(プロ・ナトゥーラ、ヴュートリッヒ氏)
編集:Nerys Avery/ts、英語からの翻訳:シュミット一恵、校正:宇田薫
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農薬が自殺手段として使用されることが多い国では、農薬販売を規制して衝動的な自殺を予防するプロジェクトが進んでいる。世界では自殺者の約3割が農薬を使用しており、農薬会社にも自殺予防への取り組みを求める声が上がっている。
スリランカでは2008年、農薬業界に衝撃が走った。同国の農薬に関する技術勧告委員会が、パラコート、フェンチオン、ジメトエートなど一部の農薬を市場から回収するよう命令したからだ。回収の理由は、これまでのように人や環境に与える危険性を回避するためではなく、農薬を使った自殺が同国で多発しているためだった。
世界保健機関(WHO)は、今年9月に発表した自殺防止に関する初の報告書で、農薬による自殺の多さを問題に取り上げている。その数は世界の自殺者の約3割に上ると推測されており、12年だけでも24万人が農薬を服用して自殺したとみられている。特に、農村人口の多くが小規模農業に従事する途上国や新興国で、農薬による自殺が拡大している。
企業責任
農薬が自殺の手段となっていることに対して、スイスの農薬大手シンジェンタなどのメーカーに責任を求める声が上がっている。しかし、「薬物や薬を使った自殺があるからといって製薬会社が責任を持つべきか、と尋ねるのと同じだ」と、国際自殺防止協会(IASP)のヴァンダ・スコットさんは話す。
農薬メーカーは農家を対象に、製品の安全な取り扱いに関する講習会を企画しているが、一方で農薬が本来の用途以外で使用されることについてはあまり関心がないようにもみえる。
シンジェンタの広報担当者は「農薬の事故と自殺目的での服用を分けて考える必要がある。使用説明書に沿って本来の用途に使用される限り、農薬は安全で効果的な製品だ」と話す。
自殺予防団体や研究者たちは、農薬メーカーの置かれている微妙な立場を認識している。
インドの自殺予防団体「スネハ(Sneha)」を設立したラクシミ・ヴィジャヤクマールさんは「死と結び付けられる製品を好む人などいない。農薬メーカーは問題に取り組む道を模索してはいるが、同時に、製品を売らなければならない」と言う。
農薬メーカーは、農薬の不正使用に対する直接的な責任は認めてはいないが、農薬へのアクセス制限が自殺予防につながるとの考えを示している。
スイスの農薬メーカー、バイエルクロップサイエンスの広報は「農薬を鍵のかかった場所に保管し、限られた人しかアクセスできないように制限することで、事故や自殺を防ぐことができる」と話す。
シンジェンタもまた、農薬の安全な保管方法を確保するために研究者や団体と協力する必要性を認めている。「私たちだけでは問題を解決できない。そのため、WHOやIASPと5年以上協力し、メンタルヘルスや農薬の安全な保管方法などを中心とした自殺予防プログラムを支援している」(同社規制管理部)
安全な保管方法の確保
自殺予防分野のトップ研究者たちが集まった07年のWHOの会議では、アジアの農村地帯で農薬を鍵付きの棚で安全に管理した場合に、どれほどの自殺予防の効果があるのかについて調査することが決まった。農薬の管理方法に注目されたのは、精神的に悩みを抱える人が簡単に農薬を入手できないようにするためだ。
調査国としてインド、スリランカ、中国が選ばれた。インドでは、農薬による自殺は首つり自殺の次に多く、自殺方法の第2位だ。
インド政府によれば12年の自殺者13万5445人中、約15%にあたる2万人以上が農薬を使って命を絶った。しかし、インドでは自殺が社会的に恥で、犯罪行為であることなどを考慮すると、報告されていない自殺も多い。
農薬を鍵付きのロッカーで集落ごとにまとめて管理する試みは、10年に初めてインドのタミル・ナドゥ州の二つの村で実施された。
「この村では花が栽培されており、15日ごとに農薬が散布される。農薬の使用頻度が高いことからこの村が選ばれた」と、調査を進めているヴィジャヤクマールさんは説明する。
当初、二つの村は共同の保管ロッカーの導入に消極的だった。畑とロッカーの間を行き来しなければならなくなるからだ。だが、通うのに便利な場所にロッカーが設置され、また定期的に店に農薬を買いに行く必要もなくなるので、最終的には人々に受け入れられた。
「初めは理解を得られず、保管ロッカーの利用率は4割だった。だが、今は満杯で、もう一つ保管場所を確保しなければと考えているところだ」(ヴィジャヤクマールさん)
結果としては、二つの村では導入から18カ月間で自殺者は26人から5人に減り、自殺防止に効果がみられた。
農薬へのアクセスを制限することで、さらにマハーラーシュトラ州やアーンドラ・プラデシュ州、チャッティースガル州、カルナータカ州などの半乾燥地域でも自殺防止が見込まれている。この地域では、農業従事者の6割が自殺し、農薬を使った自殺が多い。
農薬の入手制限プロジェクト
農薬の管理方法を変えること以外にも、「有毒な農薬の一部を販売禁止にすれば自殺予防に大きな効果が期待できる」とヴィジャヤクマールさんは指摘する。
例えばスリランカは1995年、WHOが最も毒性が高いとする農薬の輸入・販売を制限し、98年には殺虫剤に使用されるエンドスルファンも制限した。これにより、同国ではこの時期の自殺者数が減少。規制実施後の10年間(1996~2005年)では、それ以前の10年間(1986~95年)と比べ、自殺者は約2万人少なくなった。
WHOは自殺防止に関する報告書で、管理方法の見直しや販売制限など農薬へのアクセスを制限することは「このおびただしい数の自殺者を減らす手段として、大きな可能性を持つ」と指摘している。首つりや、薬物や銃による自殺に比べ、農薬自殺の危険のある人は見つけやすく、農薬に近づけないようにすることも簡単だからだ。
英エディンバラ大学の研究員、メリッサ・ピアソンさんは現在、農薬を安全に管理し自殺予防を試みるプロジェクトをスリランカで進めている。「農薬自殺の多くが、衝動的で発作的なものだ。インドや中国、スリランカのこれまでの調査から、自殺率の高い他の国で見られるような、死に対する強い決意があるわけではないことが分かっている」
ピアソンさんのプロジェクトはスリランカの162の村で2010年に始まった。農薬の入手制限による自殺予防計画では最大規模の試みで、注目が集まっている。プロジェクトの成果報告書は、インドと中国の調査データと同様に、16年に発表が予定されている。
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