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医薬品開発の性・ジェンダー格差は解消できるか

臨床試験結果が男女別に分類され、公に報告されることはまれである。そうであっても、医薬品の承認や処方情報において、男女の有効性や安全性の違いが考慮されることはほとんどない。
臨床試験結果が男女別に分類され、公に報告されることはまれである。そうであっても、医薬品の承認や処方情報において、男女での有効性や安全性の違いが考慮されることはほとんどない SWI swissinfo.ch / Helen James

薬の効き目は男女で異なることがある。だがそうした性差が実験や臨床研究で考慮されることはまれだ。現状を解消しようとする動きは出てきているが、歩みは遅い。

米国食品医薬品局(FDA)は昨年7月、日本のエーザイと米国のバイオジェンが開発した早期アルツハイマー病治療薬レカネマブ(商品名:レケンビ)を正式に承認した。世界では現在、約5500万人がアルツハイマー病で苦しんでいる。レカネマブは、その原因物質とされる脳内アミロイドβ(ベータ)タンパク質を減少させる薬で、同病の治療薬としては20年ぶりだ。

承認の重要な裏付けとなった臨床試験では、認知機能の低下をプラセボ(偽薬)に対して約27%遅らせる効果が認められたと報告外部リンクされている。

だがこの27%はあくまでも平均値で、効き目は男女で異なる。同論文の補足資料によれば、被験者(1700人)の51.7%を女性が占めるが、認知機能低下の抑制効果が認められたのは男性が43%だったのに対し女性はわずか12%だった。

エーザイの広報担当者はswissinfo.chの取材に対し、この研究は薬効の男女差を測ることを目的としたものではないため、性差が出たことへの解釈は難しいと回答した。その理由を明らかにするには、臨床試験のサンプルサイズ(データ解析の際に対象全体から抽出する標本数)やプラセボ群の病気の進行度などの種々の要因を考慮し、データを精査する必要があるという。とはいえ、特にアルツハイマー病は患者の7割近くを女性が占めるため、結果は看過できないとする専門家もいる。

バイオジェンでアルツハイマー・プログラムに2年間携わった神経科学者のアントネーラ・サントゥッチョーネ・チャダ氏は「レケンビ(レカネマブ)はアルツハイマー病患者にとって画期的な薬だ。だがその効果は男性と女性で異なることを認め、理由を明らかにする必要がある」と指摘する。同氏はチューリヒ拠点の非営利団体「ウィメンズ・ブレイン財団」の共同創立者だ。

医薬品規制当局や研究助成機関も、医薬品開発における性(生物学的な属性)とジェンダー(社会・文化的な属性)の配慮に目を向け始めた。国内最大の公的研究助成機関で生物医学分野の主要な研究資金源(年間助成額は約10億フラン、約1660億円)であるスイス国立科学財団(SNF/FNS)は昨年、健康研究や医学に性・ジェンダーを組み入れるための国家研究プログラム外部リンク(総額1100万フラン)を立ち上げ、提案の募集を開始した。

米国、カナダ、欧州諸国でも、男性患者に主眼を置いた従来の医薬品開発や医療研究を見直す動きが出てきている。

「ビキニ・メディシン」を越えて

複数の専門家がswissinfo.chの取材に対し、レカネマブの主要な臨床試験の被験者の半数以上が女性だったこと、また報告書で結果に性差が出たことが記載されていたのは前進の兆しだと回答した。

慢性疼痛(とうつう)患者の約7割が女性だが、痛みに関する研究外部リンクの8割は男性または雄のマウスでのみ行われている外部リンク。女性の方が罹患率の高い病気でも、多くの臨床試験が男性被験者を中心に行われている。

神経系の慢性難病の多発性硬化症の罹患率も女性は男性の2倍だ。脳卒中、心血管疾患、全身性エリテマトーデスのような自己免疫疾患も女性の方が多い。

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だが研究結果は男女別で分けられず、公的な報告書に記載されることもほぼない。そうであっても性別やジェンダーによる効果や安全性の違いは医薬品の承認過程で考慮されず、薬の説明書にも記載されない。

女性が研究対象の中心となるのはもっぱら女性特有の病気だ。

スイス製薬大手ロシュ傘下のジェネンテックでウィミンズ・ヘルス部門を率いるステファニー・サスマン氏は「ウィメンズ・ヘルスの守備範囲は、ビキニ・メディシン(訳註:乳がんや子宮がんなど、ビキニで覆う部分を対象とする医療)が想定するものよりも幅広い」と話す。

医薬品研究で性差の視点が欠落していることが、女性の健康にこれまで深刻な影響を与えてきた。「何百種類もの疾患で、女性の診断が遅れたり、完全に誤診されたり、効果のない薬や安全でない薬を処方されたりしている」とサスマン氏は指摘する。

マッキンゼー・ヘルス・インスティテュートが1月に発表した調査報告外部リンクによれば、過去40年間で市場から撤去された医薬・医療品のうち、女性への副作用が原因と考えられるものは男性への被害を理由とするものよりも3.5倍多かった。

世界トップクラスの医療を誇るスイスも同様だ。5月に発表された政府委託の報告書は、女性に合った治療が提供されておらず、それが「より多くの副作用と予後の悪化」につながっていると指摘する。

基礎研究からの根強いバイアス

女性の健康格差が根強い主な理由の1つは、こうしたバイアスが医薬品開発の基礎研究段階で既に科学モデルに組み込まれ、それが後期段階まで引き継がれているからだ。

科学分野ではつい最近まで、女性の体は男性の縮小版と見なされていた。ウィメンズ・ブレイン財団委託の昨年の調査報告書外部リンクによると、雄の動物のみを使った研究の件数は、雌の動物も合わせて用いた研究の5.5倍と、依然として圧倒的に多い。

スイス南西部のローザンヌ大学一般医学・公衆衛生センター(Unisanté)で、医療・ジェンダー部門を率いるカロル・クレール氏は「研究者の中には、雄の動物を使うことに慣れ過ぎて、雌と雄のマウスの脳の仕組みが異なるのか疑問にすら思わない人もいる」と話す。

大学・研究機関や製薬企業は、性差が生じることがわかっている場合でも、女性を臨床試験等に組み込むことは複雑でコストがかかると訴えてきた。その理由の1つが、女性はホルモンレベルが月経周期で変動するためだという。だがホルモン変動は男性にもあり、女性と同様に薬への反応に影響を及ぼすことが最近の研究で示されている外部リンク

遅い歩み

各国政府はこの分野でのジェンダーギャップを認識し、解消に向けた取り組みを進めている。だが研究活動に過度の制約を課さず、コストを抑えながらいかに成果を出すかに頭を悩ませる。

米FDAは1993年、ガイドラインを改訂し、医薬品開発の全過程に女性を含めるべきだと明記した。これまで禁止されていた出産適齢期の女性の早期臨床試験参加を認めたことになる。だが妊婦は依然、ほとんどの試験から除外されている。

米国の生物医学研究の最大の公的助成機関である米国国立衛生研究所(NIH)は同年、公的資金による第3相臨床試験(大規模集団に対して薬の効き目を検証するフェーズ)に女性被験者を入れることを義務付けた。

欧州連合(EU)は2014年、EU助成の研究課題におけるジェンダー平等の指針を示すツールキット外部リンクを発表した。

しかしチャダ氏は「ガイドラインがあるからといってそれが守られるとは限らない」と指摘する。臨床試験で全体的に女性被験者の人数・割合が増えたことは各種調査で示されている外部リンクが、初期段階の動物実験では進歩が鈍い。臨床試験データを性別で分けて解析し、女性に合わせた医薬品を開発しようとする動きもほとんど見られない。

政策は出されたものの中身は往々にして曖昧で、強制力も弱い。2018年にNIH助成で実施された臨床試験107件を調べた結果外部リンク、女性被験者の割合の中央値は46%だった。だが男女別データが報告された臨床試験は107件中26%にとどまり、男女別データのあるもののうち15%は女性比率が3割を下回った。

スイスの対応は他国よりも遅い。SNFの助成要件にはジェンダー多様性に関する記載はない。

これについてローザンヌ大学のクレール氏は「スイスでは研究助成機関が研究に介入しすぎることを嫌う傾向がある。研究は各人の責任の上で行われるものだとの考えが根底にあるからだ」と話す。「治療対象のグループを研究に含めるのは当然だが、それを強制できるトップダウン的な取り組みがなされない限り実現は難しいかもしれない」 

だが変化は起きている。新型コロナウイルス感染症ワクチンで女性の方に副作用が多く出たことも、この変化を後押ししている。スイス政府は臨床試験法を改正し、研究におけるジェンダーバランスの向上を義務付けた。改正法は11月に施行される。

政府はまた、医薬品承認機関スイスメディックに対し、新薬評価において性とジェンダーをより適切に考慮する方法を2029年までに確立・実施するよう命じた。またSNFのプログラムによって、研究の初期段階でジェンダーギャップを解消する道が開けるだろう。

急成長する「フェムテック」市場

女性の健康・医療製品分野「フェムテック」の市場拡大をにらむ製薬企業も前向きな姿勢を見せている。市場調査によれば、更年期障害市場だけでも2031年までに240億ドル(約3兆3600億円)に上る見込み外部リンクだ。

「患者の旅路(訳註:発病・治療・回復までの心理・社会的な要素も含む経路)を女性の視点から考えると新たな可能性が見えてくる」とジェネンテックのサスマン氏は言う。ロシュは2022年、女性の健康に資する「プロジェクトX」を開始した。臨床試験における多様性に力を入れるだけでなく、病気の進行や治療への反応を理解する際に、生殖能力や更年期などの要因も考慮した取り組みを実施している。

チャダ氏は「事態は正しい方向に進んでいるが、医薬品開発ではジェンダーは依然として後回しにされている」と現状を憂え、こう強調した。

「性やジェンダーの差を(研究開発の)初期段階から感知し議論できるよう、我々の考え方を変えていかなければならない。そうすることで初めて、全ての人にとってより安全で効果的な医薬品を開発できる」

編集: Virginie Mangin/ts、 英語からの翻訳:佐藤寛子、校正:宇田薫in/ts

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