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第2次トランプ政権で試される製薬大手への信頼

米国のジョー・バイデン政権は2023年のインフレ抑制法に基づき薬価引き下げ交渉に着手した。そうした保険・医療政策の多くが、第2次ドナルド・トランプ政権によって先行き不透明になる
米国のジョー・バイデン政権は2023年のインフレ抑制法に基づき薬価引き下げ交渉に着手した。そうした保険・医療政策の多くが、第2次ドナルド・トランプ政権によって先行き不透明になる Copyright 2024 The Associated Press. All Rights Reserved.

米国で第2次ドナルド・トランプ政権が誕生する。生物医学の分野でイノベーションが加速する可能性がある一方、科学や貿易、公衆衛生が妨げられ、製薬業界に対する社会の信頼が損なわれるリスクもある。

スイスのロシュ・ノバルティスなど製薬大手にとって、米大統領選挙の行方は利害に大きく関わる問題だった。ジョー・バイデン政権は米政府として初めて、業界との薬価引き下げ交渉に着手した。しかし第2次トランプ政権の誕生により、薬価交渉を含む現政権の保健・医療政策の先行きは不透明化する。

ジュネーブ拠点の業界ロビー団体、国際製薬団体連合会(IFPMA)のデービッド・レディ事務局長は「トランプ政権の政策が実際にどうなるかは、まだ見通せない。しかし政党がどうあれ、皆が欲しているものは同じ。良好な健康とイノベーションだ」と語った。英経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)がロンドンで5〜7日開いた年次業界会合「グローバル・ファーマ・バイオテック・サミット」で、swissinfo.chの取材に応じた。

多くの保健・医療課題の進め方について、トランプ氏の計画はまだわからない。しかし、患者の金銭的負担を軽減するための薬価引き下げは、確実に政策目標に入ってくるだろう。なお、カマラ・ハリス副大統領が政権を取った場合、バイデン政権が始めた価格交渉の対象を当初の10品から拡大するとみられていた。一方、製薬業界は、値下げは利益を削り、イノベーションへの投資を妨げると主張している。

この政策を継続するかどうか、トランプ氏は明言していない。薬価引き下げは第1次トランプ政権も模索した。しかし、国際医薬品価格を物差しに使い、適正な国内価格を割り出すという同氏の提案外部リンクは、ほとんど進展しなかった。

薬価を下げる動きは、スイスの企業と経済に直接影響する。米国は世界最大の医薬品市場であり、ノバルティスやロシュといった製薬大手の世界販売量の40%余りを占める。スイスが過去10年で遂げた経済成長の半分は医薬品に由来する。その値段が下がれば、国内の課税基盤にまで累が及ぶだろう。

しかし、トランプ政権に伴う製薬業界の懸念はこれだけではない。トランプ氏が選挙期間中に発した科学、安全、公衆衛生に関する言葉が何かを予告しているとしたら、同氏の政権復帰が突きつける試練は、薬価どころか製薬業界への社会的信頼にまで及ぶ恐れがある。

「急進的」なイノベーション

トランプ政権が生物医学分野のイノベーションをどうみるか、という疑問もまた、製薬業界の不安を招いている。スイス企業のある幹部はFTの業界会合で「トランプ氏や同氏に近いイーロン・マスク氏のような支持者らは、急進的なイノベーションを苦にしないことを示してきた」とswissinfo.chに語った。

こうした姿勢により、テクノロジーや難治性疾患の研究に新規投資や斬新な発想がもたらされる可能性はある。その一方、大きな混乱が生じる恐れもある。トランプ氏はすでにイノベーションの促進や公衆衛生の保護を担う連邦機関を全面的に見直すか、一掃さえする構えを見せている。共和党議員らも、すでに疾病予防管理センター(CDC)や国立衛生研究所(NIH)といった国内主要機関の大規模な再編外部リンクを議論している。

ドイツの製薬会社バイエルの米国法人で最高執行責任者(COO)を務めるセバスチャン・グート氏は、大統領選をめぐるパネルディスカッションで「米食品医薬品局(FDA)は多くの面で模範的基準であり、世界の多くの人が参考にする機関だ。私たちは予測可能で、科学に基づき、患者の安全への献身を揺るがず追求する機関との連携に産業全体で大いに依拠している」と指摘した。

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しかし、米保守派グループ「プロジェクト2025外部リンク」の政策提言集は製薬業界に照準を合わせ、「公衆衛生規制への製薬会社の支配を防ぐ必要がある」と主張している。

中国についても、トランプ氏は現政権よりも強硬路線を取る見通しだ。中国ではバイオテクノロジー産業が台頭しているが、製薬大手との連携が危ぶまれる事態も起こりうる。その一方、中国は腫瘍学分野の医薬品や人工知能(AI)活用をはじめ、すでに生物医学研究で重要性を増し、開発中心地となっている。

製造工程でも、多くの企業が中国の調達先と関係を深めてきた。対中制裁のさらなる厳格化や保護主義政策の拡大により、この取り組みが混乱に陥る恐れもある。

スイスは国内市場が小さいため、製薬業の貿易依存度が高い。輸出総額に占める医薬品と化学製品の割合は合わせて約40%に上る。

スイスの業界団体インターファーマの広報責任者、ゲオルグ・デレンディンガー氏は「イノベーションに有利な枠組みを整えることが不可欠だ。私たちは保護主義的な姿勢や産業政策に反対している」と述べた。

科学と公衆衛生をめぐる懸念

製薬業界の信頼に対する最大の脅威は、科学と公衆衛生に対するトランプ氏の見解だろう。米国では新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)以降、科学に対する信頼が低下してきた。ピュー・リサーチ・センター外部リンクが2023年に実施した調査によると、科学者をほとんど、またはまったく信頼していない米国成人の割合は27%で、2019年の13%から上昇している。

トランプ氏や著名支持者の多くは過去にワクチンへの懐疑を公言し、正確性の疑わしい科学理論外部リンクを広めてきた。また、同氏自身は関与を否定しているが、前出のプロジェクト2025が提唱する保健政策は、科学研究の役割を縮小する内容になっている。

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トランプ氏は保健政策に関し、ワクチン懐疑論者のロバート・F・ケネディ・ジュニア氏を「解き放つ」と発言し、一部のワクチンの禁止措置を排除しない姿勢を示している。だが、英医学誌ランセットに掲載された調査結果外部リンクによると、ワクチンは過去50年、世界で推定1億5400万人の命を救ってきた。

ケネディー氏が主導する「米国を再び健康に」運動は、肥満や糖尿病、自閉症、がん、精神疾患のような慢性疾病への対策を主な優先課題に定めている。一方、生殖に関する自己決定権は制限され、女性の健康外部リンクに関する研究は今でも乏しい資金を切り詰められる見通しだ。

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米政府が世界各地で展開してきたエイズ対策「大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)」など、世界規模の主要な保健政策への予算もリスクにさらされかねない。トランプ氏は2020年、米国を世界保健機関(WHO)から脱退させた。同氏は新型コロナのパンデミックが始まって以降、WHOは腐敗し、中国に支配されていると非難していた。その後、米国はバイデン政権下で同機関に復帰している。

トランプ氏の影響でWHOなどの世界的な保健事業が弱体化すれば、低所得国での医薬品普及や保健インフラ構築で提携してきた製薬会社が経営難に陥る恐れがある。

製薬業界はただでさえ、信頼の低下に苦しんでいる。米ギリアド・サイエンシズのマイケル・エリオット副社長(医療担当)はFTの会合で、製薬会社の仕事の科学的根拠が疑われれば、公衆衛生はさらに信頼を得にくくなると指摘。「コミュニケーションの取り組みを強める必要がある。これは人々の健康のためだけではない。(科学的根拠への疑念は)製薬業がもたらす価値への疑いを招くからだ」と論じた。

編集:Balz Rigendinger/sb、英語からの翻訳:高取芳彦、校正:宇田薫

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