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クローネンハレの2階に飾られるジョヴァンニ・ジャコメッティ「霧の海」(写真右)
Christian Flierl/Photo13
ディエゴ・ジャコメッティの真ちゅう製ランプ(左)、ジギスムント・リギーニの「桃の静物画」、1917年
Christian Flierl/Photo13
オーギュスト・ジャコメッティ「鳥かご」(制作年不明、写真中央)とリギーニの静物画(同左)、マックス・グブラー「夜」(同右)
Christian Flierl/Photo13
マルク・シャガールの「夕陽」(1974年)はクローネンハレ1階のビアホール入り口で客を迎える
Christian Flierl/Photo13
シャイム・スーティンの静物画、1923年(左)。オーギュスト・ロダンがフランス・米国国籍ダンサー、イサドラ・ダンカンを描いた水彩画
Christian Flierl/Photo13
ジョルジュ・ブラック「大きな雲」、1952年
Christian Flierl/Photo13
パブロ・ピカソ「Peintre au travail(仮訳:仕事中の画家)」、1965年(左)。ピエール・ボナール「小さな洗濯女」、1896年
Christian Flierl/Photo13
ジョルジュ・ブラック「平野Ⅱ」、1955~56年
Christian Flierl/Photo13
フェルディナント・ホドラー「桜の木」、1901年(左)。ジョアン・ミロ「太陽のかけらが遅出の星を傷つける」、1951年
Christian Flierl/Photo13
レイモンド・ペティボン、パブロ・ピカソ、アンリ・マティスの作品がクローネンハレのバーで客がやって来るのを待ちわびる
Christian Flierl/Photo13
スターシェフやレストランの世界ランキングがもてはやされる時代に、チューリヒのレストラン「クローネンハレ」は一筋別の道を突き進んでいる。これほど見事に食と美術を組み合わせたレストランは世界のどこにもない。壁に飾られた近代名画の数々は、ついに1冊の写真集にまとまった。
このコンテンツが公開されたのは、
2019/11/02 09:00
Eduardo Simantob
ブラジル・サンパウロ生まれ。ポルトガル語編集部員で文化担当。映画学および経営学の学位を取得後、ブラジル大手新聞社フォーリャ・デ・サンパウロに入社。2000年にスイスへ移住し、様々なブラジル・メディアの国際特派員を務める。チューリヒを拠点に、活字・デジタルメディアやドキュメンタリー映画の国際共同制作、視覚芸術(第3回バイア・ビエナール展、チューリヒのヨハン・ヤコブ美術館)に関わる。13~17年までルツェルン応用科学芸術大学カメラアーツコースでトランスメディア・ストーリーテリングのゲスト講師を務める。
Christian Flierl(写真)&Eduardo Simantob(本文)
「Pays de Rêve(仮訳:夢の国)外部リンク 」はレストランが数十年に渡り食事を提供してきた芸術家とのつながりを忠実に描こうとしている。レストランに関連する作品の写真や資料画像であふれる大判の写真集には、編集者がチューリヒの若い作家に本文の執筆を依頼。今も昔も変わらないクローネンハレの雰囲気が情緒たっぷりにつづられる。
写真集は大都市の文化的生活におけるクローネンハレの位置づけを完璧にまとめている。だが編集・執筆陣の多くは若く、クローネンハレの全盛期にスイス人作家マックス・フリッシュとフリードリヒ・デュレンマットが知的闘争を繰り広げたことを知らない。あるいはジェームス・ジョイスなど中立国スイスに亡命してきた貧しい芸術家や作家に、伝説の女将フルダ・ツムシュテークが温かく値ごろなスープを振舞ったことも知らない。フルダは法外な値段で芸術家たちが食事にありつけないことがないよう徹底した。
「第二次世界大戦中は、ビールは大量に飲むが食べ物は少ししか要らない学生向けのテーブルがあった。若者の胃袋には良くないことなのに!私は厨房に行って鍋いっぱいの肉入りスープを作らせ、刻んだソーセージを加えて若い人たちに食べさせた。彼らの多くはいつか地位や権威ある男性に成長したことだろう」―フルダ・ツムシュテークは後にこう回想した。
芸術品への投資
哀しいかな、こうした日々はもはや過去の遺物となった。クローネンハレはチューリヒの近代芸術家にはいささか高すぎて、かつてのように芸術家のたまり場ではなくなったかもしれない。だが壁に飾られた作品は、グスタフ・ツムシュテークがメニューとコレクションの両方にお金をかけてきた事実を如実に物語る。
グスタフが母親と共同でレストラン・バーの経営を始めたのは1975年。元々は絹製品に強い関心があり、絹貿易を通じてファッションや美術の世界にものめり込んでいった。
レストランの常連客は、同じ建物内にあるグスタフの住まいには作品が収まりきらないだろうと冗談を飛ばした。だが実は、グスタフは大戦中や戦後にフランスで培った人脈を大切に引き継いでいるだけに過ぎなかった。レストランを飾る作品を制作する多くの芸術家と友達になり、援助していたのだ。
独特の風景
数十年後、これらの作品が数百万ドルはいかないにしても、数十万ドルの価値を持つことになるとは誰も予想していなかった。当時は、芸術品の収集は今日ほど博打的な投資ではなかった。
レストラン自体はチューリヒのなかでも芸術的で自由奔放な雰囲気の一帯の中心に位置する。カフェ・オデオンやレストラン「テラス」が並び、チューリヒ美術館や当時反共産主義で悪名高かった「クジャク劇場」(現チューリヒ劇場)にも近い。こうした文化的なシンボルが多く残るなかで、クローネンハレは街のさらに華美な側面を映し出す。文化の世界で働く人々より、チューリヒの金融エリートに食を提供している。
美術館のキュレーターや芸術保護論者は、湿気や日光、温度が管理されず子供や酔っ払いも往来するレストランで貴重な作品を保管することに牙をむくかもしれない。だが2005年に89歳で亡くなったグスタフの遺言通り、作品はレストランが存続する限りその壁を飾り続ける。
コレクションはフルダの死後グスタフが1985年に創設した「フルダ・グスタフ・ツムシュテーク財団」によって管理されている。ミシュランやトリップアドバイザーがいくつ星を与えるかに関係なく、クローネンハレは世界のグルメ界で独特の地位を築いている。
(英語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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