グルジア6000年の伝統醸造法でスイスワイン生産
サンサンと陽の当たる傾斜面を利用し、この地域特有のワイン生産で知られるヴァレー/ヴァリス州。中でも「ヴァレーのワイン村」として有名なサルゲッシュで、「グルジア6000年の醸造法」をスイスに取り入れたワイン農家を訪ねた。
この農家「アルベール・マティエール ( Albert ・Marthier&Fils) 」では、こうしたグルジアの方法のみならず、樽の内部を焦がしたり、数種類のワインを混ぜたりとさまざまな工夫を行い、ワイン愛好家を惹きつける。もちろんヴァレーの伝統品種にも力を入れている。
土地の魂を深く表現する醸造法
行き交うトラックからは摘み取ったブドウの甘い香りが、あちこちの農家からはアルコール発酵のにおいも漂う。10月中旬、40軒のワイン農家が集まるサルゲッシュ村 ( Salgesch )はブドウの収穫と発酵準備に大わらわだ。
この村の入り口に、兄弟、従兄4人と従業員6人の中規模ワイン農家のアルベール・マティエール がある。82年続くこの家の経営者、アメデ・マティエールさんは、兄のペーターさんにいわせれば「とにかく新しいアイデアに溢れた弟」だ。
このアメデさんがグルジアの醸造法をスイスに持ち込んだ。地中に埋められた大きな素焼きの壺 ( クヴェヴリス/Kvevris ) にブドウを入れ発酵させるという、6000年前から続く伝統的な手法だ。
「発酵剤も何も加えず、皮つきのブドウをそのまま絞って壺に入れる。アルコール発酵後に白い泡が出てくると、後はたまにかき回し、毎日何回かブドウたちに『元気か。調子はどうだ』と挨拶しにいった」
とアメデさんは微笑む。
こうして発酵に8カ月間かけた後、今年6月に樽に移し、来年2011年の秋まで眠らせるつもりだ。
「ブドウの成長に付き添っている感じだ。特にゆっくり大きくなる子どもを楽しみながら見守っているようだ。この方法を取り入れてからは哲学的になった」
2008年、グルジアでのワイン生産を試みるドイツ人の友人とグルジア東部カクヘティ( Kakhétie ) に行き、そこでこの伝統に初めて出会った。
「それまでは聞いたこともなかった。子どもの生誕を祝って仕込んだ壺を20歳の誕生日まで開けないといった話も聞いた。グルジア人はわれわれを歓待してくれ何年も触っていない壺を特別に開けてくれた」
そして、この「ワインの原点に立ち返り、土地の魂を深く表現してくれる」方法に心動かされ「これをスイスに持ち帰りたいと思った」とアメデさんは当時を振り返る。
気が狂ったとは思われていない
さっそく最大で2000リットル入る壺を七つ注文。グルジアのブドウに似た赤、白ワイン用の品種を選び、2009年秋の収穫時に壺に入れた。アルコール発酵も普通は10日間で済むのに、4、6週間かかった。その後8カ月目に樽に移す時「白ワインは生き生きとした素晴らしい味だったが、赤ワインは酸化し過ぎていて」、がっかりした。
さらに、当時の歓待とは裏腹に
「アルコール発酵が終わった後は壺から出して樽で2次発酵をさせるのか、それとも再び壺に戻すのかとグルジアに問い合わせても、答えはさまざま。10人が10の返答をする。結局、伝統を外部に漏らしたくないのだと理解した」
今は自分たちで試行錯誤するしかないと納得している。スイスで初めてこの方法を取り入れた責任も感じる。それに
「今のところサルゲッッシュ村の同業者たちは、われわれ兄弟の気が狂ったとは思っていず、どうなるかじっーと見守っている感じだ」
と話す。
頑固でデリケートな女性のよう
ほかの兄弟はこのアメデさんの「冒険」に協力しながら、一方で伝統のヴァレー州のワイン生産にいそしむ。それにこの新しい方法は成功しても、全生産の一部を成すに過ぎないからだ。
マティエール家では、ワイン消費量が伸び続けた1990年までは、「スイスワインの名刺」であるシャスラや一般に人気のある品種を育ててきた。しかし時代は、質の良いワインを少量飲む方向に変わってきた。そこで
「シャスラは隣のヴォー州でもできる。ヴァレー州でしかできない品種に戻るべきだ。それが結局この土地にも合い、質の良い本物の味の生産に繋がる」
と、舵を大きく切り替えた。
ヴァレー州には、ローマ時代にイタリアから持ち込まれた、この地方だけで育つ伝統品種が約6種類ある。中でも赤ワインの品種「コルナラン ( Cornalin ) 」は、1906年に流行った病気でほぼ全滅するまでは、この地方だけで14世紀から作ら続けた「ヴァレー州の赤ワイン」だった。
透明感のある深い赤色で、若いときはチェリーに似た甘さとフレッシュな野生の味、何年か寝かせるとまろやかな味に変わる。しかし、なにしろ病気に弱く生産量が少ないため、忍耐強いわずかな生産者だけが細々と全滅状態後も生産を続けてきた。マティエール家もそうした中の一つだ。
ところが今、本物の味を追求するワイン愛好家に人気が出てきて、コルナランは蘇った。
「頑固でデリケートな女性のように、気をつけてやらないとそっぽを向く。ミネラルに富んだ陽のよく当たる傾斜面が好きだ。ただし、高温はいけない。35度を超えると実が焼けてしまう。ここは風あたりも良く乾燥している。コルナランはこうした一等地だけに合う」
とコルナランが植わる畑で、ブドウの房を慈しむように手に載せ、82歳になる父親のエリックさんは言う。
イメージ作りや創造性の大切さ
一方、伝統の白ワインの品種の代表格は「プティット・アルヴィンヌ ( Petite Arvine ) 」。これも古く1602年からヴァレー州だけで育成されてきた。マンゴーなどエキゾチックな果物の香りと甘さがあり、同時に口に残る一滴に塩味がある。
「世界一の白ワインだと自負している。シャスラはスイスの白ワインとして、毎日の食卓に上るものだが、プティット・アルヴィンヌは特別な機会に、特に高級レストランなどでワイン愛好家が選ぶワインだ」
とアメデさん。
また、アメデさんに言わせれば「ヴァレーのワインは一度では分からない。時を重ね友情を深めるように、味が少しずつ分かってくるもの」。従って、現在のマティエール家の経営方針は、こうしたワインの愛好家を対象にヴァレー州独自のワイン生産を増やし、一方で「ワインはアートになってきている」ので、数種類のワインを独自にブレンドした商品を売り出していくことだ。
それに
「ワイン生産とは、実は厳しい肉体労働なのだが、商品のイメージ作りや、創造性、コミュニケーションが欠かせなくなった。さらに、本物を追求する現代の嗜好に応える必要もあり、その流れでグルジアの伝統の醸造法も取り入れた。中規模の生産者が生き残っていくには、こうしたこと全てを実践するしかない」
と、経営者としての真情も覗かせた。
1928年に一代目アルベール・マティエールさんがワイン生産を始める。現在三代目の兄弟、従兄などを含む10人が働く中規模のワイン農家。
60ヘクタールのブドウ畑を所有。年間生産量はワインの瓶にして60万本。
畑を所有し、収穫からワインの瓶詰、販売まで行う中規模農家としては、サルゲッシュ村では珍しい。
スイスでは、ワイン消費量の4割を国内産、6割を輸入が占める。このため、マティエール家では「競走相手は隣の州ではなく、フランスやドイツ、イタリアだ」と考えている。
マティエール家で育てているヴァレー州特有の伝統品種は、白ワインとしては、プティット・アルヴィンヌ ( Petite Arvine ) 、ユマーニュ・ブランシュ ( Humage Blanche ) 、レーズ ( Rèze ) 。
赤ワインとしては、コルナラン ( Cornalin ) 、ユマーニュ・ルージュ ( Humage Rouge ) 。
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