ジェームズ・ボンド スイスの血を引く広告塔
ジュリアス・ノオ博士から世界を救った50年後の今でも、ジェームズ・ボンドは高い興行収益を上げ、世界中の観客を魅了する。だが、スイスがなければ、映画もボンド自身も全く別物になっていたかもしれない。
1962年10月5日。スクリーンに映るのは、ベルン郊外オスタームンディゲン(Ostermundigen)出身の若い女性。きつめの白いビキニにナイフをはさんだ彼女が海の中から現れるシーンで、映画館の観客は度肝を抜かれた。
ジャマイカの海岸で貝殻を集めて売る美女、ハニー・ライダー役を務めたウルスラ・アンドレス。スイスドイツ語の訛りが強かったために、声は吹き替えになったものの、彼女の聖像的なイメージは今も元祖ボンドガールと見なされることが多い。映画「女王陛下の007」(1969年)の興行収益はインフレ換算で4億5800万ドル(約358億円)を記録した。
半世紀たった今、この映画の後にはこれまで22本が制作され、6人の俳優がボンドを演じた。ジェイソン・ボーンという別のアクションスターも登場したが、ボンドシリーズの勢いは衰える気配がない。
(スイスで)今月下旬に公開予定の最新作「スカイフォール」は、スイス出身のマーク・フォースターが監督を務めた「慰めの報酬」(2008年)の5億8600万ドル越えを狙う。
007とスイスとのつながりは、単に同国出身の女優や監督にとどまらない。ボンドはつまるところ、半分スイス人なのだ。小説では、ボンドの母親モニク・ドゥラクロアはヴォー州出身に設定されている(モンブランでの登山事故で亡くなった)。
「一説によると、(作者の)イアン・フレミングはジュネーブに恋人がいた。スキーの練習をしに、スイスやオーストリアで過ごすことも幾度かあった。こうした経験が彼の作中に現れたのだ」と、スイス・ジェームズ・ボンド・クラブのダニエル・ハーバートゥア会長は語る。
フレミングは56歳で亡くなる1964年までにボンド小説12冊を書き上げた。確かに、その作品中には自身の生い立ちを元にした箇所がある。例えば、ボンドはジュネーブ大学に通っていたとほのめかされているが、これは実際にフレミングが通っていた大学だ。
スイス・ジェームズ・ボンド・クラブには160人のボンドファンが集い、その3分の2が男性だ。ハーバートゥア会長と会員らは時折集まり、「小説を交換したり、特定のシーンについて議論したりする」。映画「慰めの報酬」の撮影が近くのブレゲンツ(Bregenz)で行われた際、会員30人はエキストラとして出演した。
会員についてハーバートゥア会長はこう語る。「クラブの中には(現在ボンド役を務める)ダニエル・クレイグのファンもいるし、撮影地のファンもいるし、自動車のファンもいる。ファンの興味は幅広い。だが結局のところはすべてジェームズ・ボンド関連だ」
観光業を押し上げ
ボンド映画のシーンで最も印象深いもののいくつかはスイスで撮影されている。例えば「女王陛下の007」では、ジョージ・レーゼンビー扮するボンドがシルトホルンの除雪機に向かって悪者を突き飛ばしたシーン。1995年の「ゴールデンアイ」では、ティチーノ州ヴェルザスカ谷(Verzasca)のダムから記録的なバンジージャンプをしたシーンなどがある。
ボンド映画はこの2カ所にかなりのインパクトを与えたと、スイス政府観光局のダニエラ・ベアさんは言う。「映画の撮影地はファンにとって本当に人気のある目的地。シルトホルンやヴェルザスカ・ダムもその一つ。この2カ所を選択することは、スイスの良い面を見せるという点で私たちの考え方と合っている。シルトホルンは冬のオリジナルともいうべき山。また、ヴェルザスカ・ダムは『スイス体験』の象徴だ」
実際、この2カ所はボンドとのつながりで今もなお利益を上げている。シルトホルン山頂の回転式レストラン、ピッツ・グロリア(Piz Gloria)では「ジェームズ・ボンド007ブレックファスト・ビュッフェ」を27.5フラン(約2300円)で注文することができる(ただし、マティーニは含まれない)。
エキゾチック
しかし、いかがわしい「スイスの銀行家」の登場シーン以外にスイス自体が作中で描かれることはない。1999年の「ワールド・イズ・ノット・イナフ」ではユダヤ人の休眠口座について会話が交わされるシーンがある。銀行家は言う。「私はただ、正当な所有者にお金を返そうとしているのです」。それに対しボンドはこう答える。「それがスイスの銀行家にとって、どれだけ大変なことか知っているよ」
「スイスは冷戦下の第一線ではなかったことは明らか。また、エキゾチックなアピールもなかった」と、英国エクセター大学の歴史教授で『ジェームズボンドの政治:フレミングの小説から大スクリーンまで(The Politics of James Bond : From Fleming’s Novels to the Big Screen)』を出版したジェレミー・ブラックさんは語る。
昔の映画にはサメがメインで登場するものが多く、水中撮影も多かった。「ボンドの魅力の一つは、彼が西インド諸島のような色鮮やかで見知らぬ場所を訪れたことだ。(海のない)スイスではできることが限られていた」
強さと弱さ
サンゴ礁はないスイスだが、それなりの強みはある。「チューリヒの旧市街を駆け巡るカーチェイスは大迫力だ。大事なのは、ユニークなものを見せること。それがスイスアルプスだ」と前出のハーバートゥア会長は言う。「(スイスアルプスは)スクリーンの中で大変素晴らしく見える。(初代ボンドの)ショーン・コネリーには空中シーンはなかった。初めて登場したのが『女王陛下の007』だ。次はロジャー・ムーアで、そのほとんどがスイスで撮影された」
ムーアはグシュタード(Gstaad)に住んだことがあり、現在はクランモンタナ(Crans-Montana)に冬用の別荘を持つ。主演を務めた「私を愛したスパイ」(1977年)のオープニングシーンはサンモーリッツ(St.Moritz)で撮影された。このシーンで繰り広げられるカーチェイスは、ムーアではなくスタントマンが行っている(ちなみに、壮観な断崖ジャンプはカナダのバフィン島で撮影された)。
ボンド一行は「ロシアより愛をこめて」(1963年)、「美しき獲物たち」(1985年)、「ゴールドフィンガー」(1964年)でもスイスを訪れている。
ハーバートゥア会長は「フレミングは第2次世界大戦後にゴールドフィンガーを書いた。当時の人はこぞって資産をスイスに貯蔵していたため、スイスのイメージは悪かった。金の密輸地としてのイメージは、フレミングによるところがあるかもしれない」と説明する。
スイス政府観光局は今後50年もボンドで観光客を引き付けるだろう。しかし、ハリウッドから金にどん欲と思われているスイスの金融業界は、その悪いイメージを払しょくするのにさらなる努力が必要だ。
かつてボンドは「ワールド・イズ・ノット・イナフ」で怪しい銀行家ラシェーズに向かって皮肉たっぷりにこう言った。「スイスの銀行家が信用できなければ、世界はいったいどこへ向かうのだ?」
2月21日:フリードリヒ・デュレンマットの戯曲「物理学者たち」がチューリヒで初上演
3月24日:物理学者オーギュスト・ピカール死去。漫画「タンタン」の「ピーカー教授」のモデルとされた人物だった。
4月1日:核兵器を禁じるイニシアチブの可否を問う国民投票で、65%の国民が反対票を投じた。
4月10日:スイス育ちのオーストリア人マクシミリアン・シェルがアカデミー主演男優賞受賞。
6月7日:チリで開かれたサッカー世界選手権で、スイスはイタリアに敗北。
6月21日:映像芸術家ピピロッティ・リストが生まれる。
8月9日:作家ヘルマン・ヘッセ死去。
8月13日:マッターホルン西壁、初登頂達成。
(英語からの翻訳・編集 鹿島田芙美)
(英語からの翻訳・編集 鹿島田芙美)
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