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ジュラと沖縄が出会うとき

後列左からにミッシェルさん、赤嶺さん、和宇慶さん、ダニエルさん。前列に岡田さんと横田さん swissinfo.ch

ベルンから独立後、1979年最後にスイスに加盟したジュラ州と沖縄には共通点がある。それは中心からはずれていること。そして人と人との距離がとても近く暖かさが溢れていることだ。

こうした二つの地域がアートを介在にして出会った。「ジュラ・沖縄II」は、17人の沖縄のアーティストがジュラ州の古都ポラントリュイ に2週間滞在し、地元の人と交流しながら作品を展示するプロジェクトだ。

沖縄とは深い縁

 ブタ料理を食べ大騒ぎするサン・マルタン祭。遠くで働く者もこの日には家族や友人に合うため必ず戻って来るという。古い16世紀の城のある旧市街にはところ狭しと特産品のスタンドが立ち、地元の人や観光客でにぎわう通りを沖縄のアーティストたちが散歩し人目を引いている。そんな11月15日、ポラントリュイ ( Porrentruy ) で「キーワードは交流」という、プロジェクトの仕掛け人ダニエル・ロペスさんに会った。

 ダニエル・ロペスさん( 39歳 ) はスペイン系スイス人でジュラ育ちの写真・ビデオアーティスト。2003年から現在も沖縄に住む。日本語を流ちょうに話し、ついこの9月まで沖縄テレビの人気タレントでもあった。

 ジュラで青年期までを過ごしジュネーブで仕事をした後、世界の旅に出た。日本に着いたとき、東京、京都などを回ったが、京都には特別感動しなかった。そうした折、友人から沖縄が面白いと言われた。ガールフレンドも沖縄が好きだった。「沖縄とは深い縁で結ばれている」と言う。沖縄の南部、玉城 ( たまぐすく ) の丘から青い海を見たとき、スイス、スペイン以外で初めて「ここに住みたい」と強く思った。タイや韓国など多くの国を回ったが、こんな思いに捕らわれたことはなかった。

 その後、一度スイスに戻ったとき、たまたま聞いた沖縄の民謡のCDに涙が止まらなかった。

友情に支えられ

 沖縄では、家や塀などの「壁」を写真に収めていった。民家風のレストランが翌年にはマンションに建て替わるなど、変遷の激しい沖縄で唯一時間の流れを感じさせてくれるのがさまざまな表情の壁だったからだ。

 壁の写真集がスイスで出版された2008年秋、沖縄の5人のアーティストを連れてジュラに戻った。それが「ジュラ・沖縄I」だ。「お世話になった沖縄の仲間に自分の故郷を知ってほしい」という素朴な思いだった。出版のプロモーションをしてくれた中学時代の友人ミッシェル・エンジさんが、スイス側の展示室の準備などを引き受けてくれ、いわば2人の友情に支えられたプロジェクトがこうしてスタートした。

 今年2回目の「ジュラ・沖縄II」では、沖縄県立芸術大学の先生や卒業生を中心に17人が展示。こうした遥か彼方の異国の作品だが、昔病院だった石作りのジュラの展示空間になぜかピタリとマッチしている。

 デザイン科で教える赤嶺雅 ( あかみねただし) さんは、人で言えば年を重ねて行くような、物で言えば年月がたち風化していくような、そんな流れの一瞬を、黒、茶系の渋い色で銅版画、シルクスクリーン、デジタル化された版画に定着させる。

 伝統工芸に憧れ、同大学で織物を習い、自分で織った布を着物に仕立てた後の残り布で袋等を製作する横田裕子さん。同じく沖縄の伝統陶芸を学んだ岡田リマさん。岡田さんは前回暖かく迎えられたのでそのお返しの気持ちを込め、抹茶茶わんだけを今回は製作して、初日に御茶会も催した。

 和紙を教える和宇慶朝健 ( わうけ ちょうけん) さんは、鉄板に色を塗り、その上から和紙を押し付け版画のようにプリントしたものなど、さまざまな色彩が鮮やかな抽象作品を展示。
 「日本人は文化や歴史的背景がある程度共通で、例えば青は透明感や聡明さをイメージするが、西欧では憂鬱さを意味すると聞いた。そういう違いも含め、ジュラの普通の人たちが普通に、自分の記憶などを基にイメージの広がりを体験してもらえたらうれしい」
 と語る。

写真で交流

 和宇慶さんにとってはジュラがスイスだ。緑が深くこんな素晴らしい土地を離れてなぜダニエルさんが沖縄に住むのか理解できないと笑う。泊まったミッシェルさんの家は14世紀の建物。石の階段が人の踏み跡を残し、凹んでつるつるになっていた。
 
 「14世紀と言えば琉球王朝ができたとき。沖縄では家は台風などで100年ももたないから、こうした石の古い建物に感動する。また、本当の交流はこうして2週間も滞在して初めて体験できる」
 と語る。額縁を作ってくれた額縁屋の主人が、和宇慶さんの作品を尊敬するスペインの画家アントニ・タピエスに似ていると言ってくれたこともうれしいし、本物のタピエスの作品を出して見せてくれたのには驚いた。

 ところで、こうした交流をまさに日々アートを使って実践しているのが、写真家仲本賢 さんだ。写真の展示ギャラリーに来るジュラの人たちに、その場でポーズを取ってもらい写真に収める。1人に平均50回はシャッターを切り、この中から「その人らしさ」が一番表れている1枚を仲本さんの鋭い目が選び取り、壁に並べていく。
 「1度モデルになった子どもが自分のおばあちゃんなどを連れて必ずまた来る。このおばあちゃんたちがまたモデルになり、輪が広がって行く」
 というほどに「仲本写真館」は大はやりだ。

 1回目の2008年に撮ったジュラの人たちの写真を右ページに、那覇の人の写真を左ページに納めた写真集が1冊20フラン ( 約1670円) で今回発売されているが、これがまた人気を呼び次々と販売されていく。

 ところで版画や小物でも、1人の作家の作品の最低1点にすでに買い手が付いており、沖縄のアーティストは徐々に知られていっている。

ジュラのアーティストが沖縄に

 那覇とジュラの人を撮った本の左右のページを見比べながら、ダニエルさんは「ジュラの人と沖縄の人は似ている」と言う。遥かに離れた土地なのに2カ所には共通点が多い。

 両方とも素晴らしい宝物のような場所だがあまり知られておらず、また訪れてやっとその良さがと分かるのに辺境地と思われている点。そして人と人との距離がとても近い点だ。

 今回の企画はこうした人と人の距離が近い、良い意味での「辺境地」だからこそ実現したとダニエルさんは言う。スイス側での準備を引き受けたミッシェルさんは、学校の先生だが、働きながら、もちろんボランティアで奔走した。ミッシェルさんが声を掛けると、ギャラリーのオーナーや額縁を作る人たちがすぐ動いてくれた。みんな知り合いだ。こうした暖かさに支えられて「ジュラ・沖縄協会」も3カ月前に誕生した。
 
 「ただし、財源はゼロ。人の働きが財源の協会。今回アーティストたちも、旅費、滞在費共全部自分持ち。額縁代だけがもしかしたら州の文化部から出るかも知れないが・・・しかし交流は続いていく。来年はジュラのアーティストが沖縄に行けたらと考えている」
 と、ミッシェルさんは前方だけを見ている。

ジュラ州の古都ポラントリュイ ( Porrentruy ) で11月12日から12月19日まで開催。
17 人の沖縄のアーティストの作品展示に加え、11月12日にはハプニングや沖縄のロックバンドの演奏会も開催された。
版画、布、陶器などの展示が「サル・デ・オスピタリエール ( Salle des Hospitalières ) 」で、写真展が「ギャラリー・デュ・ソヴァージュ ( Galerie du Sauvage ) 」で開催されている。
ポラントリュイには、電車でジュラ州の首都デゥレモン ( Delémont ) まで行き、ここでポラントリュイ行きの電車に乗り換える。バーゼルから約1時間、ジュネーブから約2時間40分。

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