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セリーヌ・ディオンもスイス代表に 欧州歌合戦「ユーロビジョン」の歴代アーティスト

ステージ上でマイクを持って踊る黒いTシャツとズボンを身に着けた男性
2019年スイス代表のルカ・ヘンニは4位を獲得した KEYSTONE

欧州国別対抗の音楽祭「ユーロビジョン・ソング・コンテスト2024」のスイス代表に、ラッパーのNemo(24)が選ばれた。スイスは36年ぶりの優勝を果たすことができるだろうか。期待を胸に、輝かしい歴代の中でも特に大きな印象を残したスイス代表を振り返る。 

2024年のユーロビジョンはスウェーデンのマルメで5月9日に準決勝、11日に決勝が開催される。スイス代表のNemoはラップ、ドラムンベース、オペラ、アートコアをミックスした楽曲「The Code」でエントリーした。勢いのあるラップは好評で、英国の賭けサイト外部リンクでも人気を集めている(優勝候補ナンバー1はクロアチア)。 

各国を代表するアーティストが生放送でパフォーマンスを披露し競い合う歌謡曲の祭典。スイスに本部を置く欧州放送連合(EBU)が1950年代に立ち上げた。7カ国が参加した1956年の初回から徐々に参加国が増え、今では40カ国以上が参加する欧州最大の歌唱祭典へと成長した。予選を勝ち抜いた代表が楽曲を披露し、各出場国の審査員と約140カ国に及ぶテレビ視聴者の投票で優勝者が決まる。

ただ、あまり高望みはしない方がいいかもしれない。スイスは1956年にルガーノで開催された第1回大会で優勝して以来、下り坂と落胆続きだからだ。1956年にフランス語の曲「Refrain(リフレイン)」で優勝したリス・アシアは、1957年と1958年もスイス代表として出場した。2011年と2012年(87、88歳)には楽曲提供もしたが、スイスの選考委員は他のアーティストを選んだ。 

顔を寄せ合う男女の白黒写真
仏歌手のアンドレ・クラボーと言葉を交わすリス・アリサ。1958年のユーロビジョン・ソング・コンテストにて KEYSTONE

第1回開催から10年ほどの間、スイスは自国の代表に、隣国のドイツ、フランス、イタリア、あるいはさらに遠くの国々からアーティストを迎えた。例えば1963年にはイスラエルのエスター・オファリム、その2年後にはギリシャのヨヴァンナが選ばれている。 

1963年のスイス代表として楽曲「T’en va pas(行かないで)」を披露したオファリムは当初、優勝が確実視されていた。しかし心変わりしたノルウェーのせいで(と言われている)、スイスは2ポイント差でデンマークに惜敗した。しかしそれがオファリムのキャリアの足かせになることはなかった。オリファムは夫のアビとともに1968年に「シンデレラ・ロックフェラ」で全英1位を獲得するなど、世界的な大ヒットを記録した。 

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カメラ目線で微笑む女性の白黒写真
エスター・オファリム KEYSTONE

その後20年間、スイス代表はスイス人アーティストをコンテストに送り出してきたが、誰も結果を残すことができなかった(例外は1986年に準優勝したダニエラ・シモンズ)。1977年のロンドン大会に出場し6位に食い込んだペペ・リエンハルト・バンドの楽曲「Swiss Lady(スイス・レディ)」は、スイスで大ヒットした。アルプホルンのソロで始まる曲としては悪くない。 

同曲のタイトルは英語だが、歌詞はすべてドイツ語だ。ユーロビジョンは1977年から1999年まで「自国公用語のいずれかの言語で演奏しなければならない」という規定を定めていた。スイスの場合は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語(ロマンシュ語は1989年の1度きり外部リンク)のどれかになる。 

ステージ上のバンド
1977年にチューリヒの選考会に出たペペ・リエンハルト・バンド(ペペ・リエンハルトは写真左のフルート奏者) KEYSTONE

そして、カナダからの20歳のシンガーの登場だ。1988年、セリーヌ・ディオンはスイス代表として6億人のテレビ視聴者の前で「Ne partez pas sans moi(私をおいて行かないで)」を生披露した。20カ国の審査員たちは圧倒的な才能を目の当たりにした。もはや恋人に懇願する歌であろうと、バスに駆け込む歌であろうと、どうでも良いほどだった。 

ところが、スイスに「0点」を与えた歴史的ライバルのオーストリアの審査員は別として(スイスもやり返し、オーストリアは最下位に終わった)、隣国フランスがスイスに与えたのは1点だった。一方、ドイツはポルトガル、スウェーデンとともにスイスに最大となる12ポイントを与えた。ユーロビジョンにおける地政学といったところだ。セリーヌ・ディオンが歌ったスイスは優勝した。 

マイクを持って歌う女性の白黒写真
セリーヌ・ディオンは1988年にスイス代表として「Ne partez pas sans moi(私をおいて行かないで)」を披露し、見事1位を獲得した KEYSTONE

スイスは2001年のコンテストを欠場し(2000年に下位6位となったため降格)、2002年にシュラガー(ドイツ語ヒット曲)歌手のフランシーヌ・ヨルディ自作の「Dans le jardin de mon âme(私の魂の庭で)」で復帰した。22位という不本意な結果となったが、それでもヨルディからトレードマークの笑顔が消えることはなかった。彼女はその後、歌手として、またテレビの司会者として成功を収めることになる。 

笑顔のドレス姿の女性
フランシーヌ・ヨルディは2002年のエストニア大会にスイス代表として出場した KEYSTONE

ここから、スイスはユーロビジョン・ソング・コンテストにおける暗黒期に入る。スイスがコンテストの本選に出場することはめったになく、出場しても中位に終わることがほとんどだった。そこで2007年、スイス公共放送協会(swissinfo.chの親会社)は、スイスダンスミュージック界の真のスター、DJ BoBoことルネ・バウマンをスイス代表に選んだ。BoBoはこの人選に「国民の血税が国外アーティストのために使われるのは恥ずべきこと。国民はそれに抵抗すべき」と話した。 

期待は高かった。BoBoは全世界で1千万枚以上のレコードを売り上げたアーティストだ。しかし、BoBoの楽曲「Vampires Are Alive(吸血鬼は生きている)」は決勝進出を逃し、大失敗に終わった。キリスト教徒が曲のサタニズムに苦言を呈し論争を巻き起こしたものの、関心も話題性も低いままだった。 

舞台でパフォーマンスを披露する男女グループ
DJ BoBoは全力でパフォーマンスを披露した KEYSTONE

驚きの人選は続く。2013年には、95歳のエミール・ラムザウアーがコントラバスを担当する救世軍バンドがスイス代表に選ばれた。しかし、政治的・宗教的な内容を禁止する規則により、「ハイルスアルメー(ドイツ語で救世軍の意)」というバンド名での出場や救世軍の制服着用はできないと告げられ、出だしからつまずいてしまう。最終的に彼らは「Takasa(The Artists Known As Salvation Army)」と改名して出場を果たした。しかし、そうした努力もむなしく、彼らもまた決勝に進むことはできなかった。ラムザウアーは、2021年に103歳で亡くなった。 

ステージ上のバンド
スイスでパフォーマンスを披露する「Takasa」ことハイルスアルメー、2013年撮影 KEYSTONE

失望に終止符が打たれたのは2019年。2012年に英オーディション番組「ポップアイドル」ドイツ版で優勝し、レンガ職人からポップシンガーに転身したイケメン歌手、ルカ・ヘンニが「She Got Me」で4位に入った。スイスのトップ5入りは1993年以来の快挙だった。 

▼2019年の準決勝前にルカ・ヘンニについて報じた映像クリップ(ドイツ語圏スイス公共放送/SRF、日本語字幕付き)

その次の大会となった2021年(2020年は新型コロナウイルス感染症の流行で中止)には、「Gjon’s Tears(ジョンズ・ティアーズ)」としてプロで活動するジョン・ムハレマが「Répondez-moi(答えてください)」を歌い、さらに1つ上の成績を収めた。 

スイス国旗を持って舞台に登場する男性
2023年大会に出場したレモ・フォラー KEYSTONE/Copyright 2023 The Associated Press. All rights reserved

2023年のリバプール大会では、レモ・フォラーがパワーバラードナンバー「Watergun(ウォーターガン)」で葛藤と無力感を歌い上げたが、あいにく得点にはつながらなかった。ユーロビジョンは前年に優勝アーティストを輩出した国が開催地となるルールだが、2022年に優勝したウクライナではロシアによる侵攻が続いているため、英国で開催された。 

英語からの翻訳:大野瑠衣子、校正:ムートゥ朋子 

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