前
次
カメルーン北部マンダラ山地の景色。1959年撮影
Nachlass René Gardi, Staatsarchiv des Kantons Bern
1953年、カメルーンの北部でマファ族の人々が見守る中撮影をするルネ・ガルディ。写真は探検に同行したパオル・ヒンダーリングが撮影。ヒンダーリングは現在、バーゼル民族文化博物館に勤務する
Nachlass René Gardi, Staatsarchiv des Kantons Bern
1959年、カメルーン北部にあるマンダラ山地南部で撮影された写真
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
ルネ・ガルディの写真集「Kirdi(キルディ族)」の見開き。1955年
Nachlass René Gardi, Staatsarchiv des Kantons Bern
(写真左)モフ族の少女。(右)ツェデ族の鍛冶職人。共にマンダラ山地で1953年撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
カメルーン北部アトランティカ山のビムルル村。1955年撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
モコロの綿市場に綿を持ってきたマンダブ山の農民。1953年撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
(左)顔に模様を刻んだドアヨの少女。ドアヨはカメルーン北部のポリ西部に暮らす農民。1955年撮影。(右)ホサ族の染物職人。カメルーン北部で1964年撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
結婚式で踊る女性たち。カメルーン北西部のアトランティカ山の麓ワンガイで1955年撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
カメルーンとチャドの国境付近に暮らす農耕民族のムッセイ族。カメルーン北部のガルア北西部にて1982年撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
夫をしのび悲しみに暮れる村長の妻。カメルーン、1955撮影
Fotostiftung Schweiz, Winterthur / Gardi, René
ミシャ・ヘディンガー監督によるドキュメンタリー映画「African Mirror(アフリカの鏡)外部リンク 」は、スイス・ベルン出身の写真家で映画監督のルネ・ガルディが、フランスの植民地支配下にあった1950年代のカメルーンで行った撮影旅行を振り返る。このドキュメンタリーが描くのは、ガルディの父権主義的(パターナリスティック)で人種差別的なアプローチが、ガルディがアフリカに抱いた空想よりも当時のスイスについて多くを語ることだ。
このコンテンツが公開されたのは、
2019/11/30 12:30
「私は常々、自分の映像によって現実が偏った見方をされないようにしてきた」。ガルディは晩年の1985年、カリフォルニアのアフリカ研究センターに宛てた手紙の中でこう説明し、自身の作品のドキュメンタリーとしての側面に疑いを持つことは決してなかった。
ガルディと同郷の若き監督ヘディンガーは、「アフリカの鏡」でガルディのこの職業的信念を再考する。映画は現在、スイス・ドイツ語圏で上映中。来春にはフランス語圏で公開される。
では、なぜこのような忘れ去られていた人が想起されたのか? 「ベビーブーム世代がアフリカのことを思うと、ルネ・ガルディの映画が頭に浮かぶ」とベルンの日刊紙ブントは「アフリカの鏡」に関する特集記事で書いている。ガルディの評判は主に、著書、講演会、メディアでの発言をとおして存在感のあったスイス・ドイツ語圏にとどまる。とはいえ、ガルディがカメルーンで撮影した映画「Mandara(マンダラ山地)」は、1960年の第10回ベルリン国際映画祭「若者向け最優秀ドキュメンタリー」部門で特別賞を受賞し、注目を集めた。
性と植民地
ガルディの若者に対する愛は特別なものだった。1944年、スイスで教師を務めていたガルディは生徒数人に対する性的暴力で有罪判決を受けた。彼の小児性愛は今日に至るまで着目されることはなかったが、ヘディンガーはドキュメンタリーの中で、ガルディが撮影したカメルーンの若者の裸体とこのことを結びつけた。
「アフリカの鏡」はガルディを非難することを意図したのではなく、ガルディが形作ったアフリカの描写に疑問を投げかける。 ヘディンガーによると、空想の植民地の中心には至って搾取的な性欲がある。これは、昨年パリで出版され激しい論争を引き起こした本「Sexe, race & colonies(ジェンダー、人種、植民地)外部リンク 」に応えたものだ。セックスツーリズムが振興し続けていることを考えれば、この空想は続いている。
同様のことが、ガルディが作品で築き上げたアフリカの人々へのビジョンにも当てはまる。 「近年撮った写真を見ると、とても悲しく感じることがよくある。すべての苦労、必要、喜び、頑固さを持ち合わせた優れた手工業者たち、これらの生まれながらの芸術職人、非常に穏やかに勇気をもって運命を受け入れるテントや村の素晴らしい母親たち。彼らは、彼らを知っている人々の記憶にのみ生きることになるだろう」と、ガルディは前出の手紙の冒頭に書いている。
根強く残る「高潔な野蛮人」神話
20世紀の半ばに強く意識はされていなくとも広く共有されていた「高潔な野蛮人」神話は、今日でも完全に消えてはない。2007年にニコラ・サルコジ元仏大統領はセネガルのダカールで、「アフリカの問題は、子供時代の失われた楽園へのノスタルジーからアフリカが抜け出せずにいることだ」と衝撃的な演説をした。この発言は、カメルーンの作家アシール・ンベンベなど数多くの著名人によって盛んに批判された。
またガルディは、カメルーンで訪れた部族とスイスアルプスに住む山岳住民の類似点を描いた。「私たちスイス人にも植民地があればと思うこともある」とすら言った。
ガルディのこの言葉はヘディンガーにとって意義深い。「ガルディは、小さな国スイスへの偉大なる願望をこのように表現した。そして、彼が形成したアフリカのイメージ自体がスイスにとっての一種の植民地、つまりスイス人にとっての想像上の国だった」
スイスは植民地帝国でこそなかったが(19世紀末のエリートの間に広まった植民地主義の思考はあった)、スイス外務省開発協力局はガルディのビジョンから逃れられなかった。特に「アフリカのスイス」と呼ばれたルワンダでは、1994年の大虐殺が起きるまで、スイスの開発協力員らが国のトップにまで深く関与していた。
(仏語からの翻訳・上原亜紀子)
続きを読む
次
前
おすすめの記事
スイス映画資料館「シネマテーク」がオープン
このコンテンツが公開されたのは、
2019/09/11
古い貴重な映画や書籍、ポスターなど映画関連の「宝物」を保存するため、スイス西部・ローザンヌ近郊に資料館が登場した。世界の映画界にとっても貴重な資料の宝庫だ。
もっと読む スイス映画資料館「シネマテーク」がオープン
おすすめの記事
残すか変えるか まちの改名問題から考える差別との向き合い方
このコンテンツが公開されたのは、
2019/07/04
人種差別主義者だった科学者の名をつけられていた公共空間に対し、スイスの2つの都市がそれぞれ異なる対応をとった。それは人種・性差別の歴史との向き合い方や、差別のないまちづくりのあり方について再考するきっかけをもたらした。
もっと読む 残すか変えるか まちの改名問題から考える差別との向き合い方
おすすめの記事
博物学者ルイ・アガシー、人種差別的だった ヌーシャテルが通りを改名
このコンテンツが公開されたのは、
2018/09/11
ヌーシャテル市役所は7日、ヌーシャテル大学地区内を通る「Espace Louis-Agassiz(ルイ・アガシー広場通り)」を改名すると発表した。スイス生まれの博物学者ルイ・アガシーはヨーロッパに氷河期があったことを発見した人物として世界的に有名だが、人種差別的な一面があった。
もっと読む 博物学者ルイ・アガシー、人種差別的だった ヌーシャテルが通りを改名
おすすめの記事
夢を実現 タンザニアのマサイ族とともに
このコンテンツが公開されたのは、
2016/08/05
マリーナさんは、マサイ族の女性が作るビーズアクセサリーを海外に販売する会社の設立に携わり、現在では約200人の女性がアクセサリー製作で収入を得ている。 マリーナさんの家は、タンザニア北部にある友人の農場内に建てたモンゴル…
もっと読む 夢を実現 タンザニアのマサイ族とともに
おすすめの記事
最後の遊牧民プナン族と暮らしたスイス人写真家
このコンテンツが公開されたのは、
2019/09/27
写真家トーマス・ヴュートリヒさんは、ボルネオ島北部のマレーシア・サラワク州の熱帯雨林で先住民族のプナン族(ペナン族)と生活し、彼らの暮らしぶりをカメラに収めた。吹き矢を使った狩猟から熱帯雨林の伐採まで、存亡の危機にあるプナン族の日常を写真で伝える一方、「自分は第二のブルーノ・マンサーではない」と語る。
もっと読む 最後の遊牧民プナン族と暮らしたスイス人写真家
おすすめの記事
ロブ・グナント―スイス写真界のゴッホ
このコンテンツが公開されたのは、
2019/09/07
スイス人写真家ロブ・グナントは、社会の重要課題を力強い写真で表現する能力に長けていた。今年8月、20万点のネガを遺してこの世を去った。
もっと読む ロブ・グナント―スイス写真界のゴッホ
おすすめの記事
ケニアの海岸で 心ゆくまで生き抜く人生
このコンテンツが公開されたのは、
2016/08/05
アフリカへと渡ったきっかけはゾウだったかもしれないが、この地に根を張ることが出来たのは3~18歳の4人の養子のお陰だ。 ダニエラさんは漁船のリサイクル帆布で作ったバッグを作る会社を立ち上げ、地元の漁師コミュニティーに新た…
もっと読む ケニアの海岸で 心ゆくまで生き抜く人生
おすすめの記事
スイスで難民から弁護士になった男性の物語
このコンテンツが公開されたのは、
2017/06/17
セス・メディアトゥア・トゥイサベさんは9歳の頃、難民としてスイスにやってきた。そして今、弁護士になるための最終試験を受けている。
もっと読む スイスで難民から弁護士になった男性の物語
おすすめの記事
「平等の学校」で学ぶこと ジェンダー平等を目指して
このコンテンツが公開されたのは、
2019/10/11
スイスでは、進路や職業の選択において女子と男子の間に大きな違いがある。スイス・フランス語圏のプロジェクト「平等の学校(L’école de l’égalité)」は、生徒たちがジェンダーに基づく性差別やステレオタイプを認識し、それを排除できるようにするための手助けをしようとしている。国際ガールズデーを機に、このプロジェクトでどのような取り組みが行われているのかを紹介する。
もっと読む 「平等の学校」で学ぶこと ジェンダー平等を目指して
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。