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ナチスの略奪美術品はどこへ消えたのか

1945年のドイツにて、アメリカ兵が、ヘルマン・ゲーリングによってヨーロッパ各国から略奪された美術品を観察している Keystone

スイスは6月末からチェコ共和国で49カ国が集うプラハ会議に出席した。この会議では、数々のテーマが取り上げられたが、その中でも少々厄介な、ナチスにより略奪された美術品問題について討議された。

1930年代から1940年代にかけて、ユダヤ人が所有する美術品が略奪された。その数は数千点にも上り、その中のいくつかはスイスにたどり着いた。しかしながら、美術品を見つけ出し、それを今後どのように取り扱うかを取り決めるまでの道のりは、決して平坦ではない。

会議の目的

 5日間かけて行われた「ホロコースト時代財産会議 ( Holocaust Era Assets Conference ) 」では、各国政府官僚、非政府組織 ( NGO ) 、ユダヤ人協会が集い、ホロコーストに対してどのように伝えていくべきか ( 教育 ) 、忘れ去られないために何をすべきか ( 記憶 ) 、また、略奪された美術品や財産について話し合いを行った。

 スイス代表団のスポークスマン、ベンノ・ヴィドマー氏は、スイスはホロコーストに関連した問題を重要視し、2004年以来、国際協力のもと、ホロコーストの教育、記憶、研究を行うプロジェクトチームの一員であることを強調する。

 この会議の主な目的は、1998年に行われた「ワシントン原則 ( Washington Principles ) 」の進展を話し合うことだ。世界44カ国は、ワシントン会議で、略奪された美術品を確認し、記録文書を公開し所有者と相続人と共に「公正で公平な解決」を目指すことに同意している。

 「( 会議は ) スイスがさらなる支援をし、積極的に調査をすることで役割を果たす姿勢を示す機会でもあり、未解決の問題に取り組む機会でもあります」

大量の盗難

 賠償請求ユダヤ人会議の報告によると、ナチスはユダヤ人やそのほかの犠牲者から推定65万点の美術品と宗教的価値のある品を押収した。これは今だかつてない「最大級の盗難」とも言える。

 美術品はナチス軍の官僚の手にわたり、競売にかけらるか、もしくは秘密の場所に隠された。いくつかの美術品はスイスへたどり着いたが、1947年に然るべき所有者に返還するよう法律が制定された。そのため、
 「法律制定によって、1950年までに77点の押収された絵画がフランス人収集家や美術商人に返還されました」
 と美術品に関する法律専門家のアンドレア・ラシャーは語る。

 この問題は冷戦時代に忘れられてしまったが、1990年代に再び浮上してきた。歴史家のトーマス・ブオンベルガー氏が発表した論説記事によって、スイス人美術商人がナチスによって略奪された美術品売買の仲介であったことが暴露され、これがターニングポイントになった。

 その時、スイスの銀行がナチスによって略奪された財産を処分していたという意外な新事実も明るみに出た。

スイス側の対処

 当時、連邦文化局 ( Federal Culture Office ) の法的、国際事件を扱う責任者であったラシャー氏は、国の管理下にある美術品が略奪された美術品であるかを調査し、ブオンベルガー氏に1933年から1945年の間のスイス国内の美術品売買の調査報告も依頼した。

 1999年、ラシャー氏は「1カ所ですべての手続きが完了する」ことを目的に、略奪された美術品の連絡相談所を設置した。これは美術品の相続人が、美術品が所蔵されている、スイスの美術館や財団、州、市などと返還の話し合いをするのを支援するためだった。

 これが功じて、いくつかの件はすぐに解決された。「グラウビュンデン美術館 ( Bündner Museum ) 」が10年前にジルバーベルク家に絵画を返還した件がこれにあたる。

 しかしながら、以前、スイス政府による「ベルジエ委員会 ( Bergier Commission )」 は第2次世界大戦中の資産取引に関して調査したが、私的、公的文書を入手するにあたって法的手段を充分活用しなかったので、押収された美術品についてさらなる事実を発見できなかった。これをラシャー氏は「失われたチャンス」と見ている。

 多くの美術品は個人に譲渡されたと考えられており、略奪された美術品がスイスにどれだけ残っているかを知ることは不可能だったと彼は話す。連邦文化局も近年、美術館の調査を開始し、絵画の出所の情報をまとめている。

氷山の一角

 「わたしはこれは氷山の一角で、この先10年間のうちに略奪された美術品がもっと表面化してくると確信しています。これは世代交代の問題で、相続人が絵画を相続し、それを売却しようとする時に、市場に出回るようになるでしょう」
 とラシャー氏は語る。

 全ての美術品の所有者がその出所を知っているわけではなかったが、略奪された美術品に関しては「公正で公平な解決」を見つけることが重要だとラシャー氏は考える。しかしながら、スイスには、ドイツやオーストリアに見られるような、略奪された美術品に対処する特定の法律が定められていないため、専門家の間では批判が上がっている。

 ラシャー氏は、プラハのような会議は各国の経験、意見を交換し、文書公開などの問題に対しての取り組みや協力を強化するために重要だと言う。
 「あれから70年間もの月日がたちました。わたしたちは、起こった出来事を取り消すことはできませんが、起こったことを認識することや、70年前の不当な処置をこのまま放置したくないという意志を示すことはできるのです」 

( 英語からの翻訳 白崎泰子 )

ドイツ人実業家であったエミール・ゲオルグ・ビューレ ( Emil Georg Bührle ) は1920年にスイス国籍を取得した。このチューリヒにある、「E.G.ビューレ・コレクション( Bührle Sammlung ) 」( 今年2月10日の絵画盗難の現場となった )の創設者は第2次世界大戦中に美術品の収集を開始した。ユダヤ人が所有していたいくつかの絵画は出所が不明で、そのうち13点の絵画を財団を通して返還することになった。芸術愛好家として名を残そうとした武器商人の生涯を振り返る。

チェコ共和国のプラハで、「ホロコースト時代資産会議 ( Holocaust Era Assets Conference )」 が6月26日から30日まで行われた。数々の文化団体とユダヤ人協会の協力のもとでチェコ政府が議長を務めた。
会議には、およそ500人の代表団が参加したが、スイス代表団は内務省、外務省閣僚、そして略奪美術品を調査する専門家で構成されている。

1998年、ワシントン原則はスイスとそのほか43カ国によって調印された。各国は、
任意協定のもと、略奪された美術品を確認し、記録文書を公開し、所有者や相続人と共に「公正かつ公平な解決」を目指す。
アンドレア・ラシャー氏によると、この公正かつ公平な解決は、正当な返還、支払い、または、本来の所有者と現在の所有者と共同で美術品の売却、利益分配、美術館での美術品の展示、歴史的背景の紹介まで含まれる。

ザンクトガレンでは、スイス人芸術家、フェルディナント・ホドラーの絵画
「トゥーン湖とシュトックホルンの山並み」に関して論争がある。
6月末にメディアで報道された内容は、1935年にユダヤ人商人、マックス・ジルバーベルク氏が彼のほとんどの美術収集品を売却するよう強要されたが、その中にはこのホドラーの絵画も含まれていたという。
現在、財団所有の絵画は1980年代、出所が不明なまま購入されたものだが、「ザンクトガレン美術館 ( Kunstmuseum St.Gallen ) 」で展示されている。このことがジルバーベルクの義理の娘、グレタ・ジルバーベルクによって訴えられた。
1992年に「グラウビュンデン美術館 ( Bündner Museum )」 に寄贈されたある絵画も10年前に彼女に返還された。
カミーユ・ピサロ作の「マラケ河岸と修道院 ( Camille Pissarro’s Le Quai Malaquais et l’Institut ) 」は、絵画の所有権論争が巻き起こったために、ロンドンのクリスティーズオークションハウスから除外された。以前は、ゲシュタポによって略奪された絵画はスイスの銀行の地下金庫に保管されていた。

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