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ボナール展、光と色の調和の世界にいざなう

「コーヒー」、1915年、油彩 © 2012, Tate, London / © 2012, ProLitteris, Zurich

光と色の調和の世界に遊ぶ。そんなひとときを持てる「ピエール・ボナール展」がバーゼルのバイエラー財団美術館で開催されている(1月29日~5月13日)。

ピエール・ボナール(1867~1947)は、フランス中産階級の人々の朝食や入浴の場面など、日常生活を描いた平凡な画家と思われがちだった。だが実は、こうした「平凡」なテーマを通じて独自のスタイルを構築していた。それは、描く対象の配置などで日本の浮世絵に影響を受け、色に対する極端に敏感な感性で対象を含む平面を「色が独自の力を持つ世界」に変貌させるものだった。

 レンゾ・ピアノ設計のバイエラー財団美術館。全面ガラスの外壁から穏やかな光が差し込む。外の庭の池には睡蓮と植物群がガラス一枚隔ててそこにあり、手前の館内にはボナールの作品「夏」の画面を、大木の緑とブルー、地面の光輝くオレンジ色が埋め尽くしている。

 来館者は、バーゼルで現実の庭を眺めながら同時に画面上の過去のフランスの庭を眺める。そうするうちに画面の中の緑に囲まれ、庭の匂いまで感じられ、庭を眺めるボナール自身になった錯覚にとらわれる。そうして、ボナールの、庭から受ける印象を画面に構成しようとじっと眺める行為を、来館者は美術館の庭を眺めながら疑似的に行うことで、より深くボナールの作品を味わえる。

 「印象を画面に定着させるために」じっと眺めたのは、庭だけではない。ボナールは自宅の各部屋でこの行為を行った。今回の展覧会は、鑑賞者がこうした各部屋をボナールの視点から眺められるようにと工夫されている。つまり、各展示室がボナールの住んだ家の各部屋を再現するように、以下のタイトルによって仕切られ、60点の油絵もこのタイトルごとにまとめられている。「ダイニングルーム」、「庭」、「浴室」、「家の内・外(窓)」、「鏡」。

日本の浮世絵から

 「ダイニングルーム」と題された展示室に飾られている代表作「コーヒー」。コーヒーを飲む妻のマルトの傍で、愛犬まで前足をテーブルに載せ参加する。光溢れる昼食後のひととき。

 ところが、画面の構成面ではマルトや犬を眺める目線とテーブルやその上のポットを眺める目線はまったく異なる。テーブルはまるで、それを上から眺める犬の視線からのように平らで、ほとんど観客に向かって倒れてきそうだ。ところがポットは真横から見て描かれ、対してミルク入れはもう少し上から見て描かれている。

 「こうしたあらゆる角度からの遠近法がミックスする構成法を、ボナールは日本の浮世絵から学んだ」と、この展覧会を企画したウルフ・キュスター学芸員は言う。若いころパリで開催された浮世絵展に深い感銘を受け、浮世絵のコレクションまで行ったボナール。「非常に日本的なボナール」というあだ名までついていた。

 しかし、浮世絵からの影響はこの「多視点からの遠近法」だけではない。「例えば、広重や北斎では、テーマは富士山なのだがそれは画面の中心に描かれず、富士山を背景に人々は仕事をしたり、歩いていたりしている。雨まで描かれている。つまり、山を主題にしながら継続する時間の中でのシーンと雰囲気を表現している。こうした『雰囲気の表現』をボナールは自分の絵に取り入れた」とキュスター学芸員は続ける。

 実際、「コーヒー」でも、静物画的な作風でコーヒーカップやポットそのものを描くことが主題ではない。画家は、犬が前足をテーブルに上げたユーモラスな瞬間、妻がコーヒーカップを口に持っていく満ち足りた瞬間、給仕人がテーブルに食後酒を置くうれしい瞬間という三つの異なる時間を同時に画面上に構築することで「幸福な雰囲気」を演出しようとした。

 こうした時間が異なる出来事の構築は、実は、ボナールが印象派の画家のように対象の前にキャンバスを立てることはなく、印象を感じとるやいなや自分のアトリエにこもって、その印象・雰囲気を再現することに全力を尽くした事実に関係する。

 彼の残した言葉に「対象や物(例えばコーヒーポットなど)がアトリエにあるとそれは画家にとって危険だ。その対象を現実的に表現しようとする誘惑に負け、最初に得た(その対象を含んだ)印象を失ってしまうからだ」というものがある。

 この、眺めた対象から切り離されて、印象だけを再現しようとしたボナールにとって、「色」は、その再現のための最大の武器だった。

 

 キュスター学芸員によれば「色はボナールにとって最も大切だった。色に執着していた」。さらに「メロディを聞いて音階を当てる人のように、ボナールは色に対してハイパーセンシティブ(感受性が極端に強い)だった」。そんな色をボナールはその場の印象を創作するために最大限に使う。それは、その後の抽象画家が、色そのものが持つ表現力を追及した姿勢に似る。

浴室

 肌の病気のため、浴槽につかるのを好んだ妻マルト。その姿と浴室の雰囲気を捉えた作品は、今回「浴室」と題された展示室に少なくとも10点はある。

 「大きな浴槽」という作品では、午後の光がマルトの上半身にあたり、紫とオレンジ、青が混ざったような色の中に体は溶け込み、体の輪郭線さえはっきりしない。だが、画家にとって、輪郭線などはどうでもよいことだ。浴槽の上部の黄色もタイルなのか壁なのか分からない。大切なのは、その平面が黄色であり、その黄色の輝きを通して画家が表現したい「感情」なのだ。

 だが、浴室はいつも輝いてはいなかった。「灰色の裸体」では、浴室の壁も浴槽も灰色がかった白が支配し、マルトの体も肌色の各所に灰色が入る。顔も上げた右手に影が入る。

 そうした陰りのある作品をキュスター学芸員は、「今回、光り輝くオレンジ色などに幸福感を感じてもらい、ゆったりとした時間を過ごしてほしいというのが一番の狙いだ。しかし、ボナールが色で表現しようとしたのはそれだけではない。悲しみや、失われていくものへの哀愁、男女間の越えられない壁などもっと深い感情が表わされている」と言う。

 そんなさまざまな色が織り成す感情や雰囲気を味わいながらも、やはりボナール展は全体として、色の調和の中に、ボナールという画家の熟成した人間性が感じとられるものだ。

1867年、10月3日フランスのフォントゥネ・オウ・ローズ(Fontonay-aux-Roses)に生まれる。

1885年、パリの大学で法学を学ぶ傍らアカデミー・ジュリアンで絵の勉強を始める。

1888年、ゴーガンの影響により後期印象派のグループ「ナビ派」をモーリス・ドニなどと結成。1900年に解散。

1890年、パリで日本の浮世絵展開催。浮世絵から影響を強く受ける。

1891年、初めてフランスで1884年から開催されている無鑑査・無褒賞で自由に出品できる美術展「アンデパンダン展」に出品。

1893年、後に妻となるマリア・ブールサン(通称マルト)に出会う。マルトはボナールが一番好んだモデルだった。

1912年、パリ北西に家を買う。モネが住んだジベルニィ(Giverny)に近かったため、しばしばモネを訪ねる。

1925年、マルトと結婚。

1940年、南仏のカンヌに家を買う。この後、第2次大戦中はパリに行くことなくカンヌで制作に励む。

1942年、マルト死去。

1944年から47年に結核で亡くなるまでの期間は、展覧会、絵画制作、出版など多忙な日々を送った。

1月29日から5月13日まで、バーゼルのバイエラー財団美術館で開催。

ボナールの住んだ家の各部屋を再現するように60点の油絵が展示されている。

行き方 : 連邦鉄道のバーゼル駅から2番のトラムに乗り、途中で6番のトラムに乗り変え、バイエラー財団美術館前下車。

入場料、25フラン。毎日10時から18時まで開館。詳しくは電話+ 42-061-2737373

バーゼルにて

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